新家 月子の

つぶやき日記Ⅴ

 去年は意識して沢山つぶやいたつもりでしたが、まだまだ足りないとのお声もちらほら。ネタ提供をよろしくお願いします。きれいな写真もどうぞ。

 何はともあれ、今年もどうでもよいことをつぶやいてまいりますので、どうぞ見守ってやってくださいませ。

2017年12月28日

 

「良いお年を」と挨拶を交わすのも、もうあと僅かです。この一年間で、多くの句集に出会い、多くの名刺を頂きました。まだまだ新しいご縁に恵まれることに感謝します。来年も“つぶやき”がネタ満載であることを願います。

 

さて、毎年、近所の石材店が28日の早朝から餅つきをするのですが、準備のために洗った杵がずらりと干されているのを見ると感慨深いものがあります。日本人である血が騒ぐといいましょうか…。昔、正月や祝日には、どの家の門にも国旗が掲揚されていたものです。我が家では祖父の役目でした。てっぺんの金色の玉を触りたくて、欲しくて仕方が無かったことを覚えています。最近はめっきり見かけなくなりました。国旗を持っていない家のほうが多いのではないでしょうか?世界でも有数の美しさを誇る“日の丸”。お正月にはあちこちで見られるでしょう。良いお年を。

 

2017年12月23日

 

明日はいよいよクリスマスイブですね。師走も後半に入りました。やらねばならないこと、片付けねばならないこと、次から次に出てきます。というか、今まで気にもならなかったことが、俄然、気になるようになるのです。必要も無いのに、あれこれ気づいてしまうと、年内に片付けなくてはならない切迫感に襲われます。かくいう私も、自転車のタイヤを交換してきました。別に来年でもいいのでは…ということですが、これが年末感ということなのでしょうか?お陰で自転車はビュンビュン走ります。

 

先日、世界一大きな生のクリスマスツリーを見てきました。冬晴れの気持ちの良い日だったのですが、あすなろの巨木はちょっと寂しそう。26日までの残り僅かの命について、ジッと考え込んでいるようでした。決して他の介入を許さないような、そんな頑なさを感じました。神戸の地に打ち解けて欲しいなぁ、と思いました。

 

もっともっと皆に見に行って欲しい、あすなろの木が淋しくないように。

 

2017年12月16日

 

木枯しが吹く、そんな日には番茶とほっこり和菓子が食べたくなります。それも餡ものがいいですね。先日、甘味屋初体験という若い子を誘って、ぜんざいを食べに行きました。

 

「お汁粉とぜんざい、どっちにする?」と聞けば、驚くことに「餡子ものはビミョー」というのです。なんでも、子供のころから、チョコレートやビスケット、アイスクリームにポテトチップといったお菓子ばかりを食べさせられてきたために、餡子とは縁が薄いというのです。「あえて食べようとは思わない」ものの一つだと言います。

 

ぽっかりと時間が空いたときや、落ち込んだ時、疲れた時、人は甘味を欲するものです。ですが、彼女ら世代は「塩大福が食べたい」などとは思わないのです。コンビニの塩キャラメルプリンを目指すわけで、ましてや、“こし”か“粒”かのこだわりはまったく無いのです。粒餡派の私としては、粒餡の良さを熱く語れないのも淋しいことこの上なく、「練きりなら小豆っぽくないよ」などとこしあん派に譲歩までしてしまいました。

 

 もはや、時代はここまで来てしまっているのか…と驚いた出来事でした。そういえば、今年のお歳暮は肉もあったけど、洋菓子のオンパレードだった…。和菓子の先行きに暗雲が!せめてお年始ぐらいは和菓子を食べて欲しいと思うのでした。

 

 

 

2017年12月11日

 

今年ほど喪中ハガキが届く年は、初めてです。もう、10枚以上届いています。いよいよ、親世代の健康が心配になる年頃になったか…と実感します。

 

先日も、友人が独り住まいの父親のところに帰省したところ、やたら車のクラクションを鳴らすようになっていて驚いたそうです。理由は「邪魔だから」だそうで、一段上がった歩道の人にも、対向車線を来る自転車にも、とにかくクラクションを鳴らしまくる状態に「本当に、どうしたものか…」と弱り切っていました。

 

他にも、母親が商品棚の一番奥から牛乳を引っ張り出し、散らかした他の牛乳はそのまま放置して行く姿に、いたくショックを受けた話など、色々と耳にします。

だからと言って、すぐに一緒に暮らすなど出来ないのが現実です。他人なら“迷惑な人”で済みますが、我が親だとそうもいきません。他人に迷惑を掛けない…このことを美徳としてきた日本人にとって、尊敬していた親の変わりゆく姿は、辛いものです。でも、それが未来の自分たちの姿でもあるわけです。それを思えば、お年寄りに優しくなれるような気がしませんか?その姿を見た若い世代が、次は私たちの優しくしてくれるかもしれません。なんたって、人生100年計画ですからね。

 写真は、長崎のお土産。私、この柑橘類のお菓子系統が大好き。知っている人は、買ってきてくれます。

2017年12月5日

  この時期、アニマル柄を着た女性が目に付くようになります。毛皮をきている感覚になるのか?はたまた、野生の血が騒ぐのか?上手くファッションに取り入れている人などを見ると、それは暖かげです。特にヒョウ柄が人気のようです。先ほど、電車で乗り合わせた方は、靴はトラ柄、コートから覗くセーターにヒョウ柄、鞄はハラコ、という獣づくし。降りてゆく後姿を見れば、なんと髪留めも桃色のトラ柄、という徹底ぶりでした。このセンスに圧倒されますが、周囲に見事溶け込んでいるのが、ここ関西の土地柄でしょう。かくいう私も、ヒョウ柄の耳当やトラ柄のスカーフを所持していますが、ダブルコーディネートは上級者向けです。

 猪やタヌキ、鹿に熊といった獣が多く出没する季節、関西の街ではある種、別の獣が行き交う状態のような気がしておかしくなります。今年は例年になく猪が市街地を闊歩しているようです。もし、出くわしたら…急な動作は避けましょう。背中を見せてもいけません。動物は、武道の試合の様に、相手の眼を見ているものです。ゆっくり離れるように。実は、猪の方が人間に出会ってよほど怖い思いをしているのです。人間は地球上で最強の生物ですからね。

2017年11月29日

 

 今年も恐怖の12月がやってきます。何故か例年よりもハイペースで忘年会の予定が組まれ、がんじがらめに身柄を拘束されているような気分になっています。中には、昼に一件、続けて夜に一件という、何が何だか乱れ打ち状態の日も…。脅し文句は「忘年会ぐらいは来るよね」。日頃の無沙汰が悔やまれるわけです。罰ゲームか耐久レースの様相を呈してくるのですが、去年は大風邪を引いたうえ、不養生な日々が祟って重篤化し、最終カーブあたりでリタイア。

 

同じ轍を踏まないようにしたいものです。こ

 これに加えて「プレゼント廻し」の趣向を準備しなければならない会もあって、これが非常に悩まされるのです。贈り物のセンスに欠けるため、無い時間を犠牲にして百貨店や雑貨屋をウロウロしますが、なかなか決まらないのです。予算は俳句にちなんで819円。昨今、819円では何も買えないのです。そこが面白いといえば知恵比べ的で良いのかもしれません。

 

 忘年会を楽しみにしている人、戦々恐々としている人、色々おられるでしょうが、師走はあっという間に終わります。一年を振り返りながら、乾杯しましょう。

 

 この写真、仕事先で訪れた地域の小さな公園のにありました。遊具なのか、オブジェなのか、判らなさもいいと思います。

 

2017年11月22日

 

 天気の良い休日に、大阪城へ行ってきました。旧陸軍の建物が改装されたと聞いて、早速、出かけてみたのです。ジョーテラスという施設です。残念ながら結婚式の真っ最中で、中で食事はしませんでしたが、屋上からのお城の眺めは抜群でした。

 

 福知山城を見て来たばかりなので、大阪城の大きさがよくわかります。周りに広がる森も、もとはお城の敷地です。毎日、お勤めで登城していたお武家さんたちも、さぞ誇らしかったことだと思います。家康に埋められた堀を考えると、物凄い規模だということが判ります。

 近くに居すぎて逆に訪れない名所ってありますよね。海外もいいけど、近場の名所も再発見があること請け合いです。

 

 余談ですが、お城の歴史を紹介したコーナーで隣り合わせた関西弁のご婦人が「お城、一回焼けたんやって!これ、建て直した偽物なんて!」と言うので仰天しました。大阪夏の陣や大空襲を知らない人がよもや居ようとは!大変驚いた出来事でした。公衆の場であまり大きな声で話すことは、時に恥もかきます。肝に銘じました。

 

2017年11月16日

 

冬晴れのいい天気です。こんな日は、キューと寒くても気持ちが良いものです。

 

 さて、金色の文字が書けるボールペンを、これぞという時に使おうとしたら、インクが乾燥してしまって使えなくなっていました。こんな時、自分のしてしまったことをしんみり反省するのですが、いかんせん学習しません。出来立ての大福を貰った時も、楽しみに大事に置いていたら、夜には固くなっていました。可愛い切手を惜しがって仕舞いこんでいるうちに時代は52円から62円になっていました。

 

 なんでも楽しみを先に回して損をする…これを貧乏性というのでしょうか?「今」をもっと大事にしなければ、思うのですが性根はなかなか変えることができません。「今」を楽しく生きている人を見ると羨ましくてなりません。

 彼らにも彼らなりの悩みがあるのでしょうが、他人の生き方は良く見えるもの…。正解は無いのかもしれませんね。

 

 写真は、頂いた姫柚子です。これも大事に眺めているばかりいては萎んでしまうので、早速、お酒に搾ったり、料理に使うつもりです。

 

2017年11月11日

 

淡路島に行って来た人から、大好物のお土産を頂きました。玉葱はおまけです。このオレンジのお菓子はお酒にピッタリ!これを思いついた人は、生ハムメロンと同じくらいの快挙だと思っています。

 

 さて、太陽が低くなるこの季節、目の弱い私はサングラスと目薬が手放せなくなります。目が見える、これがどれほど大事なことか…。読書の季節には特に実感します。昔の人に比べて、現代人の視力は確実に落ちています。遠くの獲物を見つける必要が無くなったからでしょうか?物が溢れすぎて、目を酷使するからでしょうか?海洋民族は今でも遠くの鳥だまり(下に魚がいます)を探すために目が良いといいます。バルチック艦隊を真っ先に見つけたのは、石垣島出身の人だったというのも頷けます。

 

あのマサイ族の人でさえ、視力が下がっていると言います。電気の発明で、日が暮れても目を使う生活になって久しい現代人。ましてや「スマホ老眼」になったりしていてはいけません。何気なく使っている目も、たまにはお休みをあげませんか?例えば、遠くの山をしんみり眺めて珈琲を飲むとか、海に浮かぶ貨物船をみながらソフトクリームを食べるとか?

 

2017年11月6日

 

 先日、某テレビ局の全日本剣道選手権を見るために、仕事を休みました。礼に始まり礼に終わる、という剣道の精神はもちろん健在で、嬉しくなりました。試合には、六段や四段という人達がバンバン出場していて、今一番、年齢的にも体力的にも乗りに乗っている勇姿に目が釘付けになりました。

 

私の先生の中に八段のおじいさんが居られましたが、それはもう仙人の域に達しておられて、掛かり稽古の時など、相対しただけで動けず、動いていないのにこちらが息切れしてくるような気を発散されておられました。ご本人は面の奥でも常にニコニコされているのに、こちらが気負けするのです。重く鋭い竹刀ではなく、踊っているような、柳のような、流れるがごとく竹刀を使われ、他の先生たちをいとも簡単に打ち負かす姿は、無敵でした。 

 

極める、というのはこういうことなんだ、と子供心に非常に尊敬の念をもっていたことを思い出します。

 

 人生、一つは何かを極めたい。誰もが同じように考えるのではないでしょうか?果たして、自分には、何が向いているのか、熟考するのにちょうどよい夜の長さになってきました。

 

2017年11月1日

 

 北風がピューピュー吹いたのは台風の次の日です。木枯し一号も来て、一気に冬です。朝、くしゃみが止まらず困りましたが、これが世に言う寒暖差アレルギーなのか!と流行に乗っている気分を味わいました。どうも今年は季節が階段のようにガンガンと進むようで、大人も子供も大変です。

 

さて、季節到来!とばかりにちゃんこ鍋屋へ。その先で、「最近ゲラの校正をすると、目がしょぼしょぼする」などと通ぶって呟いてみたところ、「ゲラは、活版印刷のころの、活字を組む木枠の名称がなまった言葉」と教えてくれる人がいました。正しくは「ギャレー」というのが木枠の名前なのだそうです。へぇ~、とうなりながら、世の中、色んなことを知っている人はいるものだ、と感じ入りました。通を気取っておきながら、無知な自分が恥ずかしかったです。

 

 写真は丹波の黒豆!採れたてを送ってもらいました。すり鉢で塩と揉み、いそいそと大鍋を出して、固めが好きな私は56分茹でて氷水でしめ、食しました。大粒のプリッとした食感は、新鮮さの証。ああ、食べ物がおいしい季節ですね。

 

2017年10月27日

 

大秋という大きな柿を頂きました。写真でその大きさをお伝えできているでしょうか?「真っ赤に熟れたのを、スプーンでゼリーみたいに食べるんやで」と言い添えられたので、毎日、毎日、熟すのを待っています。そして、この柿を見るたびに下さった方のお顔を思い浮かべるのです。いい贈り物の仕方だなぁ…と思います。

 

さて、先日の台風一過の街にはたくさんのパトカーが行き交っていました。信号が消えているところもあったので、見回ってくれていたのでしょう。

 

皆さんは、パトカーに出くわすとどうされていますか?何も悪いことをしていないのに、なんとなくどぎまぎしてしまう私です。視線をどこへもっていけばよいのか、寸の間悩むのです。人生、一度も悪いことをしていないか?と問われれば罪深い人生を送ってきたことを隠せず。嘘をついたことはないか?と考えれば数えるのさえ恐ろしい。どうも後ろめたいのです。ガン見するのもなんですが、妙に顔をそむけるというのは怪しい。会釈するのもおかしい。かと言って、満面の笑顔っていうのもいよいよおかしい。そうこうしているうちに無事に通りすぎてしまう訳ですが、何が正解だったかしばし考えることに…。そんな事、ありませんか?

 

2017年10月22日

  雨が激しくなる前に、と早朝に投票へ行ってきました。投票所には同じ考えの人がいっぱい、人の熱でほんのりと温まっていました。その帰り道に、「文鳥をさがしています。人になれています」というくたびれた貼り紙を電柱に見て、少ししんみりしてしまいました。もう、一か月は貼ってあるその貼り紙には、真っ白な可愛らしい鳥の写真も掲載されています。

 昔は鳥を飼う家が多かったように思います。実家の隣にも立派な九官鳥を飼っている夫婦がいて、人気者でした。良くおしゃべりをする子で、その家のおばさんそっくりの笑い声で鳴く事もできたりして、長いこと可愛がられていました。「こんにちは」と回覧板を持って行くと、奥から「はぁ~い」と鳴くので、よく騙されました。

 

 人に飼われた文鳥は、きっと独りでは生きていけないでしょう。鴉が敵であることすら知らないでしょう。

 外の世界を知りたかった文鳥は、もう、かごの中には帰りたくないのか、お家への帰り道が判らないのか。大切な家族である文鳥を探す人たちの気持ちを思うと、やるせなく。文鳥の胸中を思うとどうしようもなく苦しく。今日のような台風の日は、自分からお家に帰って欲しいと、願うしかありません。

 鳥の一生も様々なんですよね、やっぱり。

 

 東京の新名物、というお土産を頂きました。チーズ味のお菓子でした。

 

2017年10月16日

 

 あれもこれも美味しくなる季節です。食事に行けば「○○産○○」という文字が溢れています。単純な私は「北海道産」と聞けば乳製品がすごくおいしそうに感じるし、「丹波産」ときけば、食べる前から間違いなく美味しそうと思ってしまいます。ただ、知人は「そんな事聞いてもいないし、美味しければどこ産でも関係ない」とヘソを曲げるのです。

 

 たしかに「○○産の○○」というのは、食べる前から「味に間違いなし」と予防線を張っているような気もするのですが、銘柄に弱い私のような人間にとっては有難いフレーズでもあります。

 

 いったい、いつごろからこういう言い方をするようになったのでしょうか?庭で採れた玉葱を、“淡路島産”と言って供せば、味が増すのか?と問われれば、単純な私は「それがそうなんです」と答えざるを得ません。わざわざ言う必要はないけれど、聞けば嬉しい○○産。ただ、あれもこれもと延々と一皿の説明をされるのも、“お預け状態”が無駄に長引くわけで、ウザい気もします…、ほどほどにはして欲しい。金木犀の薫りが充満するなかで徒然と考えました。

 

 

 

 写真はこれまたすべてに○○産と書いてある有機野菜です。やっぱりありがたくなるのでした。

 

2017年10月11日

  ノーベル文学賞も発表され、いよいよ読書の秋ですね。私はといえば、「ロボット・イン・ザ・ガーデン」という小説を読んで、しばらくほっこりしています。

 

アンドロイドが一家に一台、という近未来のお話で、裕福な家の家事や運転は人型のアンドロイドが務めている設定です。ある日、引きこもり気味の主人公の内の庭に、旧式もいいところの四角い箱を重ねたような(ブリキのロボット的な)ロボットが迷い込んで始まる冒険物語です。ロボットには自我があり、自らを「タング」と名乗ります。このロボットが小さな子供の様に純粋で素直でかわいいのです。私は「タング」にすっかり魅せられてしまいました。

 

AIの進歩が目覚ましい今、いつか産業の大半はロボットに取って代わられ、介護もロボットに頼るようになると言われています。AIが自我を持つ日は遠くないでしょう。「ターミネーター」のように人間に危害を加えるようになるかもしれない…。でも、ならないかもしれない…。AIとのあいだに、相棒のような、兄弟のような関係が築けるなら、未来は明るいように思えます。「タング」なら家にいてもいいかなぁ。

こんなところにも健気に咲いていました。

2017年10月6日

 

 久しぶりに特定健診に行ってきました。毎年行くべきなのですが、どうも億劫でサボり続けていました。

 さて、最近はメタボ健診というものがあり、身長、胴囲、体重までを看護婦さんがキッチリ測定してくれます。決して体重をサバ読んで記入しよう、なんて出来ないようになっています。そして毎回納得いかないような、不思議な気持ちに悩まされるのが、身長測定です。

 現在、人に聞かれると「157㎝」と答えます。もちろん自分自身の公式身長は157cmなのです。が、検診の都度、微妙に下がり続けて、今年はなんと“155.8cm”との測定結果になりました。測定の都度、減ったり増えたりするのであれば、誤差ということで納得できるのですが、一貫して減り続けている事が私を追い詰めます。いくらなんでも身長が減少し始めるのには早すぎるのではないか…、ということは学生時代のMAXの身長は見栄のために少し背伸び、もしくはズルした結果のものだったのでは…と心は千々に乱れます。

 現在、婦人服は平均162cm~165cmの女性を標準体型として作られていることを考えれば、かなりのおチビさんになってしまう私です。良く「ちびっこがヒョッコヒョッコ歩いているからすぐ判る」と言われる私ですが、あながち嘘ではないような気がしてきました。

 

 皆さん、健康診断に行っていますか?血液検査だけでもお勧めしますよ。

 林檎の木です。独特の豊穣感があります。

 

2017年10月1日

 

 十月です。さすがに涼しいです。

 

 さて、気候が良くなると、あちこち行きたくなるのが人情です。さっそく私も足を伸ばして来ました。円虹誌で赤塚氏による「お城のエッセイ」が好評ですが、それに触発されてドライブがてら福知山城を訪れました。

 

あの明智光秀のお城です。非常に優秀な武将として知られていますが、織田信長に逆らい足利氏の治世を再び画策したことにより滅亡への道をたどりました。本能寺の変は有名ですね。

激動の戦国時代、この長閑で静かな福知山から大軍を引き連れて、あっちの戦場へこっちの戦場へと移動していたのか、と思うと感慨深いものがあります。安土城まで呼びつけられれば、いったいどれだけの時間をかけて駆けつけていたのだろうか…、といったことも頭をよぎります。

 

長く放置されていた城跡は、有志の協力で再建されました。中でも目を引くのが「転用石」。再建時、石垣の石が足りなかったため、なんと祠や灯篭の石を利用したそうです。罰が当たらないのか…と心配になりますが一見の価値ありです。

今、福知山はスイーツの街として町おこしをしているそうで、黒豆や栗、芋といった秋のスイーツを食べに行っても楽しめると思います。天気のよい日にはちょっとお出かけしてみてはいかがですか?

 

 

 

2017年9月25日

 

 もう、銀杏が熟れて道にポツポツと落ち始めています。汗ばむ日もありますが、「水澄む」感じがしてきます。こんなさっぱりした風の吹くころに、私はよく“靴磨き”をします。

 

 幼い頃、父の靴を磨くことが私の役目でした。船乗りは、乗船時と下船時の行き帰りにしか背広やそれ用の靴を履く事は無いのでたいして汚れるわけでは無いのですが、よく磨かされました。「男の靴は大きくて重い」と子供心に思いつつ、その重さから父の帰宅を実感し、安心していたことを思い出します。面倒だとおもいつつ、磨き終えた時の満足感がなんとも言えませんでした。

 

 今でも、日が差し込む玄関に新聞紙を広げ、ズラリと靴を並べてみるとなんだか嬉しくなります。それに、のんびりブラシをかけ、クリームを擦り込んでいると妙に落ち着くのです。丁寧にやれば、古い靴もピカピカです。最後にすべてを棚に仕舞い終えた時の満足感がたまりません。意外と時間を食いますが、「靴を磨いただけの一日」というのがあってもいいのではないでしょうか?

 

 冬の玄関は冷たく寒いですが、秋の今ならお勧めです。

 

 

 句友が秋にピッタリの柄を手書きで入れたハンカチをくれました。重宝しています。ありがとうございました。

 

2017年9月20日

 

  風に当たると、涼しいよりも少し肌寒く感じるようになりました。アイスコーヒーはもうお役御免ですね。

 最近、敬語が正しく使えない若い人が多いと感じます。日本語は敬語として尊敬語、謙譲語、丁寧語を駆使して会話するようになっています。言語として、世界でも稀な難解さはそこにあります。文法的な話は小学校で習いますが、だいたいは周囲の会話を耳で聞いて自然と習得していく、といいます。ですが、電話で話しをしていても「何もそんなにへりくだらなくても…」と感じたり、「こちらが客なんだけど…」と思うことがままあります。多いのが、丁寧語と尊敬語が入り乱れている人です。これはもう聞いているこちらの方がハラハラします。なにせ相手にとっての自分の立ち位置が、激しく上下するのですから悩ましい限りです。ひどい人は自分にも尊敬語を使っていたりします。

  スマートフォン世代の人達は、生の会話が不足しているのでしょうか?メールでのつぶやき程度の会話で全て事足りているのか?ゲームに集中していて、両親をはじめとする周囲の大人が使う言葉は耳に入っていないのでしょうか?敬語が使えない帰国子女的な芸能人が、もてはやされる時代です。この先の言葉の乱れを心配しています。 

 

 先日、葡萄狩りの話を載せたところ、こんな素敵な句を寄せてくださった方がいます。

    星空や君はテラスで葡萄狩   順治

  まるで、秋の夜空から輝く星を摘みとっているかのような景が浮かびます。きれいな句を、ありがとうございました。

   渚にて星屑拾ふ野分後     月子

 

2017年9月15日

 

 台風、心配ですね。舐めるように列島を通過しそうで、何事もなければ良いな、と思っています。

 

 さて、もうすぐ敬老の日です。今や日本には6万7000を超える100歳以上の人が暮らしています。ほんの少し前までは、100歳を超えると全国ニュースになり、23人しか存在しない貴重な存在でした。本当に長寿の国になりましたね。そこで今日は敬老ビジネスの話をします。

 

 「奇跡の一枚」というのをご存じでしょうか?要は遺影のことなのですが、今、きれいに化粧をして、沢山のライトのもと別人のように美しい遺影を撮ってもらうのが高齢者のあいだで流行しているそうです。いくらなんでも盛り過ぎ、という厚塗りに、人生初体験の“付けまつげ”までされてゆく姿は可愛らしさであふれています。どんなおじいちゃんもおばあちゃんも、どんどん生き生きして表情までもが明るくなってゆくのですから、変身願望というのはいくつになってもあるものなのでしょう。

 

 どうでもいい写真を見ながらお焼香するより、幸せそうなきれいな顔を見ながらのほうが参列者もいいに決まっています。こういうビジネスもありだなぁ、と感心しました。

 

 我が家の“蜜柑もどき”で大事に見守り続けた蝶が無事に羽化しました。抜け殻だけが残されていたときは、ちょっぴり淋しかったです。秋に気持ちも切り替えました。

 

2017年9月11日

 

 マンションのお友達のテラスで葡萄狩りをしました。これ、マスカットです。やはり鉢植えなので小粒ですが、年々、粒は大きくなりつつあります。今年は、この籠の四杯分も収穫できました。秋の実りですね。

 

さて、若いころは、何がなんでも自力で解決しなければならない、迷惑をかけてはならない、と少し頑なに考えていた節がありました。ところが、年齢と共にだいぶ図々しくなったのか、知恵もつき、かつ丸くなって、人の助けを借りることを厭わなくなってきました。具体的に言えば、「取りあえず何でも声にしてみる」ようになって、もう何年にもなります。

 

 例えば、「リビングの絨毯を捨てたいけど、エレベーターに入らない」とあちこちで言ってみれば、巡り巡って、小型電動のこぎりを借りることができました。「父が送って来る巨大な魚を捌くのに時間がかかる…」と漏らせば、隣人の父親が元板前だと判明したことも…。そして我が家のすっぱ過ぎる蜜柑も「使い道が無い」と漏らしていたら、料理上手のSさんが使ってくれることに。

 

世の中、一人だと小さな力でも、声をあげることによって他者の能力を借りることができる…、意固地になっていては損だ、としみじみ思うこの頃です。

 

この葡萄狩りだって、「テラスの葡萄が採れすぎて持て余す」との話が巡り巡って私のところへ来たのです。他者の役に立ちたい、その代わり困ったときは助けて欲しい。まさに助け合いですよね。ああ、この地に根付いてきたなぁ、と感慨深くなる瞬間でもあります。

 

2017年9月7日

 

 叔父がアイサイト搭載の車に買い替えました。もうすぐ後期高齢者です。なにか考えるところがあったのでしょうか、外車一辺倒であったのに今度のは国産車です。叔母はまだアイサイトの機能を信用できずにいるらしいですが、叔父はオートクルーズ機能も駆使して大いに満足している様子。乗せてもらいましたが、実に優秀な機能でした。AIはここまで来ているのですね。この先、運転を続ける叔父が、安全運転で、事故を起こさないよう考えての決断を自慢に思いました。

 

時々、高齢者の運転する車が、中央車線をまたいで右へ右へと寄って走っているのを見かけます。追い越そうにも危ないので、大抵長い渋滞がひっついています。つまり、バックミラーを確認する気すらない、深刻な状態ともいえます。視野が狭くなり、路肩との距離が測りにくくなっているのでしょう。乗るなとは言いませんが、他者の為に車の機能に頼ってもいいのではないでしょうか?試しに試乗だけでもお勧めします。

さて、ある句会にて席題として「菊」が用意されていました。短い時間で何句も生み出すのは瞬発力を必要とし、苦しくも楽しい作業です。皆、驚くほど色々な「菊」の句を出していました。この感受性の豊かさに感心させられます。これが俳句の醍醐味ですよね。

2017年9月1日

  昨夜、マンションのあちらこちらから同時に歓声が聞こえて来て、驚きました。どうやら、サッカーの試合を見ていた様子です。すっかり涼しくなり、どの家も窓を開け放してしたのでしょう。秋の夜長、多くの住人が同じ出来事を共有していたことに微笑ましさを感じました。

 

 さて、野分の季節到来です。毎年、その年に発生する台風の数を、スーパーコンピューターが計算してくれて公表されています。今年は二十六個だそうです。つまり、後、十一個は発生する計算になります。この数が当たるか外れるか…、個人的には、コンピューターの実力に非常に興味がある訳ですが、どうなるでしょうか?

 

 ともあれ、ここのところの台風は、ハリケーン並です。想定外の被害も続出しています。誰もが異口同音に「まさか」「まさか」を連発します。遅きに失しているようですが、絶対安全な場所は無い、そう考えを改める必要がありそうです。

 今日は、防災の日。備えあれば憂いなし。まずは手近なところからでも、備えましょう。

 

 この写真、編集長が送ってくださいました。まだ、こういう技術が残っていることに安心します。

 

2017年8月26日

  今日は朝からビックリするくらいの涼しさです。未明に降った大雨のお陰でしょうね。今年の百日紅は、開花が遅く、まだまだ盛り。でも、虫も鳴き始めたし、秋なんですね。

 

 さて、この夏、マンションの人が保護犬を譲り受けてきました。夏休みの時期を狙って引き取ったそうで、柴犬のようで大きなたれ耳の中型犬です。少し人間が苦手らしく、犬好きの私も、しばらくは名前を呼びかけるだけで我慢していました。そして昨夜、とうとうお友達になれて、かなり喜んでいる次第です。

 

 保護犬の施設は色々ありますが、譲渡の審査が非常に厳しいそうで、このワンちゃんも譲渡条件に「室内で飼育する」「夏はエアコンを使用する」「留守番を二時間以上させない」等、多数あったそうです。大型犬の引き取り候補の家族と、一緒に説明を受けたりしたそうですが、結局、その人達は一週間に一度の通院による「留守番時間超過」のために譲渡不可になったと聞き、「それもどうなのかなぁ?」と思いました。一度辛い思いをした犬に、幸せになってもらいたい気持ちは理解できますが、幸せになる機会を奪っても元の木阿弥のような気がします。もう少し、肩の力を抜いてもいいのではないでしょうか?

 

 

2017年8月21日

  知人から甲子園に行った、という話を聞き、私も朝の空いた時間に第一試合だけですが見に行ってきました。これがもう、選手も、応援団も、ビールの売り子も「青春」真っただ中なのです。カンカン照りのもと、汗だくになりつつ動き回る!とにかく、みんな一生懸命なのです。このような一生懸命さに長いこと接していなかったので、ジーンと心に響きました。なんだか泣けてくるほど感動しました。「これぞ青春!いま、まさに青春している!」などとは、本人達は思っていないかもしれません。ただただ、辛いなぁ…なんて。でも、いつかきっと思い出すはずです。あれが自分の青春だった、と。皆、いい子で素晴らしく見えました。

 

「良い青春を送っているなぁ」と羨ましく感じながら帰りました。そして、自分にも青春時代があったことを、久方ぶりに思い出しました。

 

 

巨峰を頂きました。果物の中で最も好きなのが葡萄です。年々、粒が大きくなっていると思うのは私だけでしょうか?今からが旬です。楽しみです。

 

2017年8月16日

  昨日は終戦記念日でした。勝手に「終戦」と言っているだけでその実「敗戦」じゃないのか?と常々思っていました。先日、同じ意見を耳にして、少し味方を得たような気になっています。

 

 母方の祖父は軍医として従軍しましたが、戦争の話は一切しませんでした。対照的に職業軍人であった父方の祖父は雄弁でした。ただ、戦時中の怪我で体力を失い、その後、長い間結核に苦しみました。野戦病院にはメスが足りず、背中には軍刀で切り裂いて弾の破片を取り除いたという跡が袈裟懸状に残っていました。麻酔も無かったそうで「生きるか死ぬかの時に、痛いなんて言ってられない」とよく話していました。

 

戦争末期、特攻隊員の多くは、即席でもパイロットになれるように、わざわざ優秀な学生が選ばれました。その多くが「こんな時代だから、しかたがない」と死んでいきました。「生きるか死ぬか」ではなく、彼らには「死ぬ」しかなかったのです。

 

知覧特攻平和館の前で、満面の笑みを浮かべて記念写真を撮る母娘のニュース映像を見て、激しく違和感を覚えました。それでいいのか…と。戦争の記憶が確実に薄れつつあります。

 

 

空にはもう、秋の雲ですね。

 

2017年8月11日

  浴衣を見かけても、涼し気だとは思えず、暑そうだなぁ、と思ってしまう暑さです。こういう時期は、なかなか俳句もまとまらない気がします。ある会で「何かを感じたら、その場に一時間でも二時間でもとどまり、句が形となるのを待たなければならない」という話をされた人が居ました。その人は、時間が無くて立ち去るしかない時も、後日、再び同じ場所を訪れて、何時間でも句が形になるのを待つようにしているそうです。

 

吟行会では、ジッと同じ場所に腰かけて独り静かに句を捻っている人を見かけます。これが、大事なのですね。取り合わせをコチョコチョ考えるより、対象を見つめ、感じたことを煮詰め、余分なものを削ぎ落とす、これに時間をかけるべきなのですよね。「待つ」時間を楽しめたらいいのですが…。

 

そういう作句もあるのか、と開眼の思いがしました。酷暑の中、やり過ぎは禁物ですけどね。

 

2017年8月6日

 

 原爆の日です。私の祖父の弟は、学徒動員中に広島で原爆に遭い亡くなったと言われています。“言われている”というのは、戦争末期の軍内部の混乱と、原爆により何もかも記録が消えてしまったために、「当日、広島にいたらしい」ということしか判らないからだそうです。

 

 ハーモニカの上手な少年だったそうです。終戦になっても待てど暮らせど戻らない、ある日、コロンと石が入った骨壺が帰ってきたというわけです。職業軍人だった祖父が色々調べても、最後まではっきりとしたことが判らなかったといいます。

 

 そこに存在した、という痕跡すら残さない。原子爆弾とは恐ろしい兵器です。当時、どれだけの家族が、帰らぬ人を待ち続けたのでしょうか?原爆に遭った人、その家族、ともに地獄が待っていました。「広島の日」「長崎の日」、世界中の放送局で毎年、特集が組まれるべき負の遺産です。

 原爆記念館へ行ったことがありますか?素敵な海外旅行もいいですが、日本人なら、足を運ぶべき所だと思います。今日、この暑い日に、全身に火傷を負った人々がジッと身を横たえて、助けを待ったのです。

2017年8月2日

 

 この炎天下、街中や公園をウロウロしているのは、恋愛に夢中で暑さを感じない若者か子供ぐらいだろうと思っていたら、以外にも多くの人が出歩いているのだから驚きます。    なぜ、あえて昼日中のギラギラ太陽のもとそぞろ歩くのか?お仕事中ならいざ知らず、不思議です。犬のお散歩もいただけないですね。

 

 さて、私の知人からついに熱中症患者がでました。彼は、あえて炎天下をジョギングして自分を痛めつける、という理解不能な趣味があります。ほとんど裸のような姿(きちんとウエアは着用しているがそう見えてしまう)で20キロ近くを走破し、多量に発汗します。そのために熱中症に…。本人曰く「体内の毒素を排出する」と言いますが、もちろん半端なく危険です。早朝や夕刻では駄目なのか…という問いには、「この世を生き残るには極限の状態で精神を鍛える」という明確な答えが返ってきます。ただし、この場合、鍛えられた自分だけが生き残っても意味は無いわけで、家族はどうする?という疑問は残ります。ましてや熱中症で死んでいたら、逆に残された家族はどうする…という話です。本末転倒です。

 

 皆さんはこんな極端なことはしないでしょうが、お水を取りつつ暑さを凌いでください。

 

娘さん曰く「いつかやるだろうと思った」。

 

 西瓜、市民農園で収穫しているのを褒めたらくれました。一玉は持てない、と言ったら、豪快に手で割って持たせてくれました。

2017年7月28日

 

メロンの赤肉が出た時は小学生のころだったでしょうか?珍しさもあって、「メロンと言えば赤肉」とばかり“アンデスメロン”を食べ続けました。ところが最近になって、妙に緑色の果肉が懐かしくなってきました。濃厚な甘みに疲れてきた、というかさっぱりした甘さに郷愁を覚えるようになったのです。ところが、いつの間にかメロンの人気は赤肉に独占されん勢いで、店頭には赤肉がずらりと並んでいます。隅っこに贈答用のマスクメロンが箱に入って並ぶのみです。ハニデューメロンという白っぽいメロンも有りますが、ちょっと違う気がします。メロン界にも隆盛があるのだとしみじみ感じました。

 

でも、やはりメロンソーダは緑色だし、フルーツパフェには緑のメロンでなくてはなりません。いつかまた、緑色のメロンが押し返すときがくるのでしょうか?近いうちに?

九州のお土産を頂きました。サツマイモのお菓子です。九州は災害が続きましたが、こうやって旅行で訪れてお金を落とすことも立派な支援だと思います。

 

2017年7月23日

  曇っていても、二日酔いであっても、毎日しなければならないのが洗濯です。この季節は特に量が増えます。私は干すのは好きですが、乾いた洗濯物を取り込んで畳、タンスに仕舞う、という一連の行為が大嫌いです。皆さんはどうですか?

 

さて、先日、嫌な話を聞きました。螢狩りに来ていた観光客が、泊まっていたホテルに「(河鹿の)鳴き声がうるさい。眠れないので、なんとかするように」という苦情をよせるというのです。それも一件や二件ではではないというから驚きます。まったく、いつから日本人はこうなってしまったのでしょう。こういうことを本気で、正当な苦情として訴える神経が判りません。良く聞けば、若い人ではなく立派な大人の人達が専ら、というから驚きます。子供のころ、河鹿の鳴き声を聞きながら眠ったりしなかったのでしょうか?でも、この手の話を聞くことが増えてきたように思います。蒸し暑い中でもやもやしていたときなだけに、ますますモヤモヤしました。

 

これ、最中の皮と餡が別になったお菓子です。パリッとして美味しいですが、皮がしっとりして上顎に貼り付くような最中も好きです。

 

2017年7月19日かな?

 

 梅雨明けの発表がないですが、明けたんじゃないのかなぁ?ってきになるお天気が続いています。

 

 さて、先にも書いたように、高野山というところは、お墓に仏像、曼荼羅に古い建物、そういうものをくるくる見ているような場所です。たまに、遍路姿の方が熱心にお経を唱えていたりすると、こちらも神妙になったりするのです。

 

高野山には“弘法大師のそばで眠れば、極楽へゆける”という独特の「納骨信仰」が存在します。それ故に、弘法大師が居られる奥の院の周辺には有名無名の沢山の人がお墓を作っています。分厚い苔を載せた巨大な墓は、歴史を感じさせます。その上、裏切った武将の横に、裏切られた武将の墓があったり、宗教も国籍も何もかもが自由です。

 

 この納骨信仰、最初は骨を陶器の器に入れて埋めていたのが、変遷を得て、竹に骨の一部を括りつけたり、五輪塔型の器に穴を穿って骨をいれた物、骨に経典を書いた物さらには位牌を収める、というように姿を変えました。今でも続いていて、宿坊の本堂にも、ずらりと位牌や分骨箱が収められている様は圧巻でした。

 

 これだけでも信仰心の深さが判りますが、さらに曼荼羅図の染料に、自らの血液を混ぜたり、表装の間に髪の毛を偲ばせたりと、切実な祈りが伺えます。「何が何でも、死後は極楽へ行かねば、地獄でひどい目に合う」と信じていたからであって、昔の人の一途さには、胸を突かれる思いがするのです。

 

 時代の進歩とともに、神秘的なあいまいなものが消えて来ているように思います。無心に信じることを忘れてしまった自分に、気づく旅になりました。

 

お世話して下さった吟行係りのお蔭で、何不自由なく旅は終わりました。ありがとうございました。来年の吟行旅行は、鞍馬です。ご予定くださいませ。

最終日に、真田幸村親子が蟄居していた九度山へ行きました。

 

2017年7月14日

 ああ、九州は梅雨明けしましたね。こちらも入道雲がにょきにょきと生えて、今にも梅雨明けしそうです。

 

 さて、高野山の話の続きをしましょう。高野山と言っても、広大な一つの地域と考えた方が判りやすいかと思います。そこにあるものすべてが弘法大師にゆかりがあり、どこを覗いても仏様が溢れています。小さなものから巨大なものまで、地味なものから金ぴかなもの、如来から高僧といったものまで、なんでもござれです。建物や仏像、曼荼羅図といったものの説明はしませんが、お堂の中に入れば、そこはまるで胎内のように薄暗く、燈明に浮かびあがる仏様の中世的なお顔は、嫌でも煩悩を薄れさせるのでした。神の世界と、仏の世界がはっきりと区別のついていない私のようなものは、両者が混然一体として、ただもうありがたい気分になりました。

 

 しかし、一歩、出てしまうと煩悩は光の速さで戻ってきてしまうものです。気づけば、嫌世感ただよう見目涼しげな美坊主を探しているのでした。煩悩とはげに恐ろしい。でも、これが俗世に生きているリアルな「生」だとも言えます。

 

 修行ヤツレして、しおれた袈裟などを着て歩いているお坊さんなどは、そう簡単にはおられず、作務衣姿にどのお顔もふっくらつやつやなお坊さんばかり。ふと、足元をみれば下駄ではなく、スニーカーやクロックスというのが高野山なのでした。真言密教は禅宗ではないので、追い詰められるような行はないからでしょうか?とは言え、禿には慣れていても、剃り跡生々しいお坊さんの頭は非日常的で、やはり仏像と同じありがた味を感じずにはいられないのでした。つづく。

 

 

 

2017年7月11日

 

 列島は猛暑真っただ中ですね。無事、高野山から帰って来ました。翌日は、昼遅くに出勤したのですが、あまりの蒸し暑さにびっくり!霊山は涼しかったのでした。

 

 さて、高野山そのものについては皆さんのほうがご存じでしょうし、旅の様子は円虹誌に詳しく掲載されるので、ちょっと脇道に逸れた話をしましょう。

 

 まずは宿坊の話。宿坊は、決してお宿ではありません。もちろん、サービスというものを期待していないのですが、お部屋に通されてしばし放心しました。想像以上に“宿坊”だったのです。何と!部屋の鍵が内側からしか掛からないのです。しかも襖のような戸(?)の中央部を引っ掛けるのみという、無防備感が抜群なスカスカ加減なのです。そして、どの部屋も同じ襖様の戸が等間隔に並んでいるばかりなので、当然、部屋の区別がつきにくいのです。実際、私の部屋は、間違えた同行男性によって豪快に戸(?)を開けられた(もはや誰も鍵を掛けない)ため、風呂上がりを限りなくくつろいでいた女四人は、いらぬ緊張状態に陥ったのでした。

 

 座敷や廊下の窓には網戸など無く、外部からの虫はダイレクトin状態です。幸い、蚊は少なく悩まされることはありませんでしたが、逆に隔世感がありました。

 

 トイレも洗面台も、風呂も共有です。あちこちを頭を丸めた方々が、歩き回りお世話をしてくれます。青々とした剃り跡に、「これがお坊さんか!」とドキドキしていたら、さにあらず、彼らは“なんちゃって坊主”。ただの従業員であるのにもかかわらず、紛らわしくも、頭を丸めているのでした。聞けば、「本当のお坊さんは、滅多にお世話をされない」という事でした。

 

  ピカピカの長廊下を「毎日、雑巾掛けをする、冬は凍ってしまうことも有るのです…」、と聞いている隣の部屋では、お掃除ロボットが黙々と稼働中で、こんなところまで、なんでも有りの高野山の精神が生きているのでした。

 

 夜の八時に坊の門を出れば、信号はすでに点滅モードになり、店と言う店は閉まっていました。恐るべし霊山、山をあげて俗にまみれる人間を阻止するのでした。続く。

 

2017年7月5日

 

 蝉が泣き始めました。台風も来て夏ですね。毎年恒例の叔母お手製のバジルペーストが届きました。靴の箱に入れて送って来る辺りが、叔母らしい残念な常識と言ったところですが、とにかく嬉しい贈り物です。色もきれいな香り高い逸品であることは間違いありません。

 ミサワホームのCMで、鯖の味噌煮を作るおばあちゃん役で出ている叔母ですが、「夏に新バージョンの撮影がある」と張り切っています。芸能界の仕事は生涯現役らしいですが、そのことが元気に繋がっていることは明らかで、常に前向きです。     まぁ、たとえ地味な脇役ばかりの人でも、芸能人は一般の人に比べるとにかく派手なものです。叔母も派手です。お葬式であろうと、法事であろうとワーキャー派手です。そのモチベーションを見習いたいものです。

 さて、週末は円虹の吟行旅行で高野山へ行ってきます。その後の報告をお楽しみに。

 

2017年6月30日

 

 俳人の金原まさ子さんが亡くなりました。「あら、もう102歳」というエッセイを読んだことがあります。独特の感性から生まれる句は魅力的でした。100歳を過ぎても句を詠み続けられる、ということに希望を感じた方でした。

 

 さて、昨日の事ですが、「上手に染めてますね」と声を掛けられました。髪のことでした。幸運なことに、私はまだ毛染めをしていません。亡くなった母も、染めず仕舞いだったので、遺伝もあるのかもしれません。(ただし、探せば簡単に10本は見つけられます) 今や、白髪を染めていない女性は少なくなりました。外人と違って、白と黒のインパクトがあり過ぎるためか、他人より本人が気にする方が、多いと思います。 

 老いることへの否定的な文化は、東洋人の独特な考え方です。それに抗おうとするので、アンチエイジング市場が隆盛を誇るのですが、どれだけ、いつまで、やれば良いのか、が難しいところです。100歳で髪が真っ黒、というのも妙な違和感が否めませんし…。

 祖母は寝たきりになっても、恍惚の人になるまでグルコサミンやコンドロイチン入りのサプリメントや、プロポリスを飲んでいました。やはり、辞め時が判らなかったようです…。

 

 でも、感性が若く保てるサプリメントがあれば、私も飲みたい。きっと、死ぬまで、飲むでしょう。

 

 これは墨田の花火という紫陽花です。いま、見頃です。

 

 

 

2017年6月24日

 

「お前、鼻毛」から始まった飲み会で、フランスのマクロン大統領の結婚エピソードの話が出ました。私は「素敵、それも有り」と肯定派なのに対して、「何を言っているんだ、子供も夫も居るのに、おかしいだろう」「お前は子供が居ないぶん、いつまでもフワフワとして、まったくけしからん」と男性陣は反対らしいのです。日本の男性は、家庭への責任を、思いのほか重く受け止めていることが判った次第です。まぁ、40代の男にとっては、逆に妻を奪われてしまう側に立って考えていたのかもしれません。自分に落ち度が無いのに、他人に家庭を奪われるのは腑に落ちないものがあってしかるべきですが…。

 でも、女性に「鼻毛」と言う男もどうかしている…。真実、鼻毛が出ていたわけですが、「抜け、抜け」と大仰に騒がれて、さらに心のダメージは増したのでした。フランスの男性ほどを求めませんが、日本の男性に、情熱とデリカシーがもう一掴みあれば良いと思うのは私だけでしょうか?

 青柿があちこちで見られるようになりましたよ。

2017年6月19日

 

  梅雨晴の中、須磨寺へ行ってきました。源平合戦の平敦盛のエピソードで有名なお寺です。広い境内のいたるところに石仏やアニメチックな蛙、亀、お地蔵さんが鎮座しています。万緑を極むるといったなかで吟行を楽しみました。

 さて、句会でこれらの中の十六羅漢像を詠んだものが出されました。それについて「十六羅漢はお釈迦様の特別な高弟なので、軽々しく使用するのは賛成しない。よほどの覚悟が必要」という旨の意見が出ました。

 確かに涅槃図にも描かれる十六羅漢は、仏教からすれば尊敬される最高位の聖者です。しかし、羅漢像を見て、その「像」の姿から感じたものを詠むことは、信仰を尊重することと同列に考える話なのでしょうか?そういう考え方もあることを勉強させられたと同時に、ちょっと考えさせられました。「そんなことは当然だ」というご意見、沢山あるかもしれませんけど。

 須磨寺の十六羅漢像は、味のあるほのぼのした「羅漢さん」でした。

 明後日から、雨降りになりそうです。蝸牛、蛙が喜びそうですね。

 

 

 

 

2017年6月12日

 

若いお友達を、後輩に紹介することがありました。A子ちゃんは、性格もさっぱりしていて教養も申し分ないので、正直、後輩に紹介するときは鼻高々でした。いいことしたなぁ、なんて思っていたら、後輩君から「お断り」の連絡が…。想定外のことに理由を問い詰めたところ、最初はのらりくらりと理由にもならないようなことを並べていましたが、とうとう「箸の持ち方が…」と漏らしたのです。思わず「ああ…」と納得した次第です。A子ちゃん、行儀は良いのに、箸の持ち方が全然なっていなかったのです。まるで握ったように持っているのに、ちゃんと開閉する不思議に、私もちょっと驚いたのは確かです。

 

 男の人は見ていないようで見るべきところは見ている、といおうか。どうでもよい事のようで、それは決定的な“お断り”の理由になるのでした。いまや、正しく箸を持てる人の方が少ないのではないでしょうか。かくいう私の末の弟も、箸を交差にしてしまう癖を治すのに苦労し、今でもきちんと持てていません。皆さんのお子さんは箸を正しく持てますか?何よりも皆さん、正しく持てますか?和食がユネスコ無形文化遺産になった今、箸の文化も大事にしたいですよね。

 

2017年6月7日

 梅雨らしい天気です。これからはこのどんより感が続くのでしょう。さて、本を貸していただいた話を前に書きましたが、重なるときは重なります。別の方からも、本を貸して頂きました。正確にいえば「面白かった。あんたも気に入るはず。もう読んだからあげる」と、頂いたのですが、読書が好きなわたしにとっては、読むべき本が後に控えている、この状況は非常に心躍るものです。また、本を読み終える間際の淋しさが、次に読む本があることによって薄らぐような気もします。しかも、他人から進められる本というのは、往々にして自分では絶対に手を出さないようなジャンルのことが多く、新しい分野を開拓するような感覚に陥ります。読み始めは慣れないながらも、我慢して読んでいるうちにしっくり馴染んできます。美味しい珈琲とお菓子をティーテーブルに用意して、膝の上に

 

クッションを置いてゆっくりと読書ができる日は、雨降りが似合う気がします。読書の秋、と言われますが、本を読むのにピッタリなもうひとつの季節が6月にあるような気がします。

 

 このビスケット、一口サイズで読書にピッタリです。かわいいエッフェル塔型の木のピックで一つづつ取り出すのも、洒落てます。

 

2017年6月3日

 

 仕事関係で年に23回、顔を合わせる紳士がいらっしゃいます。もともと会計士さんだったそうで、いまは奥様の介護の傍らゆったりと生活されています。いつだったか、俳句の話をしたところ、「自分は東京大学の短歌愛好会に入っていた」という話をしてくださいました。

「好きな歌人がいるから、今度、本を貸してあげましょう」という約束のような、挨拶のような会話を交わしたのは半年ぐらい前の事。

 

 忘れかけていたら、本当に貸してくださいました。歌集ではなくエッセイです。しかも、いつ私に会えるか判らないので、約束のあとからずっと二冊を鞄に入れて持ち歩いてくれていたと聞くと、涙ものです。また、二冊ともサイン本で、「大切に扱って。感想を書いて送って」と言われると、ちょっと負担に。いま、一生懸命に読んでいるところです。吉野に暮らした歌人“前 登志夫”氏の、自然に向き合う徒然の文章からは、便利さと引き換えに見えなくなってしまったものに気付かされます。何十年ぶりかの読書感想文、大作になりそうです。

 

2017年5月29日

 

 郵便局から向かいの大型スーパーを見ていると、障害者用のスペースにピカピカのでっかい外車が止まっているのが見えました。誰もが思うことでしょうが、私も「常識が無いなぁ」と思い、大きな車にとっては、広い(幅を広く取るのは建築基準法で決まっている)障害者用スペースが停めやすいのだろうなぁ…なんて考えながら順番が来るのを待っていました。週明けの郵便局は混んでいて、なかなか順番が来ない中、例の車のドライバーが両手に一杯の荷物を持って、ハイヒールでよろめきながら戻ってきました。やっぱり…、と推測が当たったことに満足し、用事を済ませて外に出ると、何やら不穏な空気が。くだんのドライバーと、同年代らしき女性とが「なぜ、ここに停めているのか」ということを巡って大喧嘩中だったのです。白昼堂々と、しかも良く響く関西弁での応酬に私は度肝を抜かれてしまいました。残念ながら、注意しているはずの女性まで恥ずかしい状況に、ご自身はいたって無頓着の様子。何が悪いって、もちろんルールを守らない人がイケませんが、この場合、注意した方もいかがなものだったのか、かなり考えさせられました。正義感を振り回すのと、正義感を持っているのとでは違うのではないだろうか、と。それにしても、関西の女性は激しく強いですね。「自分が悪い」と一歩も引かないハイヒールレディも見ものでした。

 

さて、今更ですが年賀状の切手が当たったのでついでに交換してもらいました。が!6月から葉書は62円になるというのに、やっぱり52円の景品とは。当たったのにガッカリな珍妙な気分になりました。早速、使おうと思いましたが、記念に写真を撮ってみました。

 

2017年5月24日

 

じめじめして、ここはやはりアジアの一部であると実感するお天気が続きます。

 

 さて、家人とスーパーに行って来たところ、行って帰るだけに一時間以上かかり朝から疲れてしまいました。買い物に久しぶりについてきた家人は、スーパーのカートが大好き。カートを押してスーパーの隅から隅まで練り歩き、「これなに?」「あれなに?」と一々手に取って確認します。駄菓子コーナーに至っては新製品のチェックに余念がありません。ふと気が付くとカートの中身は不要なもので満載です。さらには昼食も食べないうちに「夜は何を食べる?」の連発です。

 どうも男の人の頭の中には、「回鍋肉」や「グラタン」といった名前がついていないと料理ではないらしく、冷蔵庫の食材を片付けようと思っていた私とは意見が合いません。こうやってスーパーをグルグルと二周も三周もしていると自分でも機嫌が悪くなってくるのが判ります。

 考えてみれば、百貨店などで私が買い物をしていると、家人の機嫌が悪くなる。お互いさまですね。買い物は独りが一番、としみじみ思いました。

 神戸港、開港150年。これもまた別の意味でしみじみします。

 

2017年5月20日

 

 美味しい佃煮のお土産を頂きました。佃煮といえば、箸でつまめば隣の昆布までくっついてくる勢いで、糖分、塩分過多のベタベタを想像します。ところが近頃のものは様子が違います。去年、訪れた小豆島の佃煮もそうでしたが、素材の歯ごたえがシャキシャキ感じられ、色味も黒々しくありません。砂糖の使用料がかなり減っているのではないでしょうか?とにかく罪悪感なく、ご飯に載せて食べることができて大満足です。最近、お米に目覚めて、色々な銘柄米を少量ずつ買うことを覚えたところです。そんな私にとって、ぴったりのお土産でした。ありがとうございました。

2017年5月17日

 

今年も、弟から筍が届きました。嵩はあるものの、皮をはがし続けて得られるものの小ささにいつもガッカリします。あく抜き用の「米ぬか」も多量に入れておいてくれたので、大助かりでした。それにしても、今年は筍の時期が遅かったですね。いつまでも寒かったのが影響しているのでしょうか?

 

さて“子供の口には戸は建てられぬ”と言いますが、筍のおすそ分けに行った先での話です。母親が一瞬、席を外した間に子供が私にこういうのです。「ママがロールパンの袋をパパに投げて、パンがバーンって飛び散ったんだよ」と。袋に入っているパンが飛び散るほどの壮絶さを想像して、私はその続きに非常に興味を持ったのですが、聞くことは叶いませんでした。ただ、小学生の罪の無い告白から、知人の思わぬ激しい一面を盗み見たような背徳感を抱きました。何も知らない知人は”夫婦喧嘩なんてしたことがありません”という顔で澄ましていましたが、私はこのことを家人に話さずにはいられませんでした。

子供は罪が無い分怖い。子供だからって油断大敵ですよ。

 

2017年5月12日

 沖縄ではもうすぐ梅雨に入ると聞きました。まこと、日本は細長い国だと思います。

 ここのところ黄砂に悩まされる日々が続いていますが、黄砂の故郷である中国の方から「中国版緑茶」を頂きました。

 日本のように茶葉を”蒸して揉む”ということはしないそうで、見た目もちょっと違います。また、淹れ方も独特で、湯通ししたのちに初めて一煎目を喫することができます。さらに色がついているうちは何煎でも大丈夫、ということです。

 奥様に淹れて頂いた一杯は、感心するほど美味しく、「中国の緑茶も隅に置けない!」なんて思ったほどです。ところが、何故かこの味の再現が出来ないのです。お湯の温度か、茶葉の量か?はたまた私が日本人だからなのか?何度やっても微妙にまずいのです。文化の違いの前に、無力感があふれるのでした。

2017年5月7日

 ゴールデンウィーク最終日になってしまいました。皆さんは、ゆっくり休めたでしょうか?今朝は良いお天気の気配ですが、空はくぐもっていて、まさに黄砂襲来です。これが遥か大陸の砂漠より飛んで来ると思えば、ロマンチックですが、排水口などに溜まったあまりにも禍々しい黄色の砂には、じわじわと浸食されているような恐怖も感じてしまいます。洗濯物を外に干せませんねぇ。

 さて、そば処は数多くありますが、あまり知られていないのが”猪名蕎麦”です。この休み中、片道一時間のドライブがてら行ってきました。兵庫県川辺郡にある猪名川町はマスの釣堀でも有名な自然あふれるところです。県外ナンバーの車がずらりと並ぶお店の蕎麦は噛み応え抜群の更科でした。おいしかったですよ。

 

2017年5月3日

 

ゴールデンウィークです。この休みを利用して、久しぶりに同級生と女子だけのお茶会をしました。最近の話から、かなり昔の話まで、てんでバラバラごちゃまぜでも通じているのがすごいところ。色んな話を取り留めも無く続けるのが、女子トークです。

 

で、A子が「B子(この場には来ていません)に香典返しを送ったのに、うんともすんとも無い!」と言う話を…。実はA子自身は、私たちの送った結婚祝いや、出産祝いのお祝いに、“うんともすんとも”言ってこないタイプで、仲間うちでは「届いたか、ぐらいは知らせるのが礼儀だ」と評判が悪い。自分のことは棚にあげて「B子は常識がない」なんて言っているA子に、全員の冷たい視線が注がれたのは言うまでもありません。香典にたいするお返しに、さらなるアクションは必要なのか…と思いつつ、初夏の気分を盛り上げるべく、パフェの追加注文をしたのでした。

 

大人の付き合いが始まる前は、世の中の常識とは離れたところで何も考えずに仲良くできていたのに、大人になると途端にそれぞれの育ちや常識が浮き彫りになる、と思うのは私だけでしょうか?かなり昔の女の子のころを思い出した、お休みでした。

 

2017年4月26日

 先日、伊丹で開かれた「第15回日本ほろよい学会」に行ってきました。”ほろ酔い”と謳うだけに講演のお題は「酒と短歌と俳句と川柳」というもので、酒にまつわる歌や句、歌人や俳人、川柳人についての面白、おかしい話を聞くことができました。

 酒と旅をこよなく愛した若山牧水のファンが中心となった会で、今回は清酒(濁り酒ではない)発祥の地である伊丹で開催されました。牧水は、”白雪”という酒が大好物だったそうで、この酒を歌った歌がいくつも残されています。

明治のころの文化人は、今の私達では想像もつかないようなお酒の飲み方をしていたようで、健康で長生きしようと考える人はいなかったみたいです。「人生50年、楽しく思う通りに生きよう、と考えていたようだ」という講演の内容に、深く納得しました。

 会の後の交流会で、ビンゴゲームがありました。これ、牧水の歌がプリントされた限定生産の徳利です。当たっちゃいました。

 こっちは本日、編集長が送ってくれたもの。JR元町駅前のイぺーが満開だそうです。イペーは南米原産の落葉樹で、キバナノウゼンとも言われます。

 咲くものは次々に開く、良い季節になりましたね。

 

2017年4月20日

 

昨日は本当に良い天気でした。八重桜も満開です。ちょっと足を伸ばして姫路まで行ってきました。姫路城は、大改修したての輝くような純白感は修まり、少し馴染んできた…というかしっくりして来た感じがしました。今回はお城の裏側をじっくり見て回りました。お城の裏には広大な広場があり、桜を始め様々な花や木が植えられていて、春を満喫しようと出て来た人達が沢山いました。花という花が咲き、若葉も目に眩しく、緑の熱気がムンムンしていました。何度も訪れているお城ですが、裏側を見るのは始めてです。裏

には裏の顔がある、「市民には裏の顔の方が人気がある」というのもうなづける気がします。 

 小さなお山の上に築城された白鷺城は遠くからも良く見えます。新幹線からご覧になったかたも多いのでは?お城のある街に住んだことのある人は判ると思いますが、ちょっとした心の拠り所のような特別な存在です。

 熊本城を修復するために奔走される人達の気持ちが判ります。重要文化財だから、というだけではないのです。

 市民に大切にされているお城は幸せです。

2017年4月16日

 

ここ何日か、水道の水が温かく感じます。まさに「水温む」です。こういうことか!と実感しました。

 

 さて、桜吹雪も真っ盛り、新しく何かを始める人も多いのではないでしょうか?で、句会などで発生する月謝や会費に関する話を一つ。いくつかの会の世話役をしていると、自ずと集金したお札を数える場面があります。年配の方が多い句会では、半分以上が新札です。感心させられます。逆に一枚も新札が入らない会もあります。そう言う私もそうそう新札を出すことはありません。見習いたい、とは思っていますけどね。こういう日本人の姿勢は美しいなぁ、と思います。

 

ちょっと違いますが、深夜に電話のベルが突然鳴り跳び起きてみれば、句と名前だけ記載された投句のFAXが送られてくることがままあります。でも、ほとんどの人は事前にメールや電話にて「今からFAX流します」「前書きなしで失礼します」「届かない時だけ、連絡ください」と予告してくれます。どちらも相手への敬意や思いやりです。大切なことですよね。

 

マルセイのバターサンド。ラムレーズンを愛す私の大好物。北海道土産で頂きました。

 

ちなみにこれを下さった方は、いつも達筆の素晴らしい葉書を下さいます。

 

2017年4月12日

 

仕事関係で「オジョウ(お嬢)」と呼ばれて可愛がってもらっています。別にお嬢ちゃんではなくいい年をしたおばさんですが、最初の呼び方のまま今にいたっています。そう呼んでくれる一人が体を壊したので鶏ガラ六匹分を使ったチキンスープ(卵、ニンニク、しょうが、葱、唐辛子、もう精が付きそうなものならナンデモ入れました)を届けてあげたのが去年の年末のことでした。先日、鍋を返しに来てくれたのですが中にご褒美が入っていました。これが可愛くて。普段、こういうドーナツを好きで食べているのかなぁ?などと空想が広がりました。女の人のお返しと違い、いい年をした男の人が「お礼はどうしようか」なんて考えながら用意してくれたことに、心が温かくなります。「お嬢」だったら、きっと菓子パンを喜ぶと思ったのでしょうね。やり過ぎないお返し、を教えてもらった気がしました。ちなみに彼は還暦を過ぎた離婚五回の独身です。

 

2017年4月6日

 

このご時世、運転免許を持っていないのは珍しいのですが、免許を取らなかったのではなく、取れなかった友人が居ます。どうしても教習所を卒業出来なかったのです。こういう人が、公道を走らないようにきちんとなっているのがこの国の良いところです。ところが彼女の夫がこの春から単身赴任してしまい、自家用車が残されることに。夫から「一週間に一度、エンジンをかけるように」との指令がされたのですが、彼女は怖くて仕方がない。「エンジンのボタンを押すと車が飛び出す気がする」と言うのです。仕方なく最初の一回は私が助けることに。繰り返しエンジンを掛けたり、止めたりをやってみせ、ようやく本人が自信をもってできるようになった時にはなんと小一時間もかかっていました。

関西の桜はもうすぐ満開。ピカピカのスポーツカーのエンジンをかけると、運転したくなっちゃいました。

 

これは、友人からの賄賂です。そう、ご主人は九州に転勤されたのでした。

 

2017年4月1日

 今日はエイプリルフール。でも、私の周りには悪戯心を起こす人が皆無。そういう私も気の利いた嘘を思いつかずに、つまらない一日を過ごしました。天気は良いので、近所の黒柴犬のクロちゃんを拝借して(飼い主は散歩が嫌い)ぶらぶらしていると、桜がもうはち切れそうな勢いです。

 我が町には桜百選の桜並木があり、この時期は沢山の人が訪れます。気の早い人たちがあちこちでお弁当を広げていました。今年の花見は花冷え知らずのようで、楽しみですね。

 毎月、ドイツの誌友から素敵な写真が送られてきています。「ミュンヘン便り」として公開しているので、そちらもよろしくお願いします。

 

2017年3月27日

 春風に乗って、我が円虹編集長の初句集(本阿弥書店 出版)が届きました。プロの絵描きでもある彼女は、表紙絵もがご自身が書きました。親しくさせてもらっていると、どの句がどういった場面で詠まれたのか、懐かしく思い出すことができます。本だけを読むと、この人は「優しい」のか?「のんびり屋」なのか?「男勝りの女」なのか?迷うほど様々な顔を見せる句が並んでいます。器用であるようで、実は不器用な人となりが良く出ている句集です。彼女の人生の歴史が詰まっています。お手に取って見られることをお勧めします。

2017年3月25日

 

今年から「円虹」誌の表紙の裏がモダンになったことにお気づきでしょうか?あえてモノクロを選んだ写真は楠山紫宵さん、選句は大村康二さんです。句と写真は時に無関係のようであって、実は呼応しています。今後も二人のセンスに注目したいと思っています。

 

ちなみに今、私がはまっているのは「ムッキーちゃん」。弟が庭で獲れた“はっさく”と一緒に送ってくれた小さな道具ですが、優れものです。さくさくいくらでも柑橘類の皮むきができます。いつも苦労して剥いているのに、端からパクパク食べてゆく

家人を恨めしく思っていましたが、この道具のお陰でストレスから解放されました。房の薄皮もサッと剝ける!感動の使い心地です。面倒で、ついつい輪切りにしてスプーンで食べがちなグレープフルーツも、これさえあれば平気です。見つけたら是非、手に入れてみて下さい。

 花粉が盛大に飛んでいるようですね、花粉症ではない人も今年はかかってしまうかもしれないそうですよ。 

 

2017年3月20日

 

暖かくなってきました。昨日あたりから、桜の木が濃いピンクを帯びてきたように思います。蕾も少し大きくなりました。ミモザは満開ですね。もう、分厚いコートは要りませんね。

以前書いた、スーパーのレジ係の人の話について、結構な反響があり驚いています。そう、皆さん、見られていますよ。特にお年寄りに顕著なのが、手前の商品を掻き出して奥から賞味期限の新しい商品を取り出す人、といいます。安心して下さい、今日が期限の商品も、一週間先が期限の商品も、等しく安全です。

その行為を見られている方が恥ずかしいです。

 

さて、ホワイトDayのお返しに頭を悩ませた人も多かったのでは?頂いた物の中でもちょっと変わり種だったのが、その名も「梅干し」。檜の良い匂いがする樽に入っていたのは、梅干し?ではなく、白小豆と手亡豆で作られた和菓子です。砂糖漬けのシソまで入っている凝りようです。摩訶不思議なお味は、文壇の小島政二郎先生が「木綿の味」と称したとか。珍しいお菓子をありがとうございました。

 

 

 

2017年3月15日

 今日は変なお天気でした。朝は春雨、昼は強東風、夕方は快晴。目まぐるしく天気が変化する中、朝から「動物王国」へ行ってきました。去年、この欄で紹介したところ、たくさんの人が行ってみて下さり、中でもハシビロコウの人気はピカイチでした。今年はハシビロコウも増えて、しかもよく動く!行く度に微妙に施設が変化していて飽きないのがこの施設の魅力の一つでもあります。カピバラは温泉に入浴中であったり、アルパカの赤ちゃんは散歩中であったり、と自由に大きな空間を闊歩しているのが見ていて悲壮感がなくてとても好きです。

 何しに行ったかと言えば、もちろん句会です。

 吟行ばかりを専門とする句会で、私が毎月楽しみにしている会の一つです。お花が天井から垂れ下がる温室のレストランで句会です。何時間いたって誰も怒りません。是非、皆さんにも利用をお勧めします。ちょっと季節感に欠けるのが難点ですが、こういうところでも句を捻るのが楽しいと私は思っています。

 

南国のきれいなオウムはおしゃべりさんで、芸達者。世界一美しいピンクのオウムも居るので見に行ってください。

 

2017年3月10日

    主宰が宮古島を訪れたことが新聞の記事になりました。

 子供たちの服装から、南国感が判ります。どうぞ拡大して、内容を読んでみて下さい。季節が無いようで、有る。そんな島の幽かな変化を敏感に感じ取って、子供たちは句の形に言葉を紡ぎます。主宰がいつも楽しみにしている行事です。

2017年3月8日

 寒さもあと少し、となれば名残惜しくなります。今の内に寒さを楽しんでおこう、この空気感を記憶に刻んでおこう…というふうに考えることありませんか?去る物への名残惜しさは日本人特有なのだとか。もう少しだけ、寒さを楽しむ時間が欲しいと思います。

 とは言え、春を知らせる食材は大歓迎です。私は菜の花が大好き。出始めの菜の花は柔らかく、ほんのり春の苦みがあります。からしをたっぷり効かせた”辛し和え”や、ペペロンチーノの具にしたりして色がきれいなのを存分に堪能します。

 イカナゴ漁も昨日解禁になりました。これからあちこちの路地で、甘辛い香りが漂う、そんな神戸の春が来ました。

2017年3月3日

 

ひな祭りの日です。花屋には桃の花が枝ごと売られていて、本格的な春へ向かって気持ちの切り替えが進みます。

さて、誌友の藤井啓子さんから句集「輝く子」が届きました。キラキラと金粉を振ったような紙に金色のレース模様がプリントされていて、まさに輝く句集になっています。ユーモアあふれる人柄から、教師として、母として、娘としての様々な視点によって感じられた心が詰まっています。かつて誰もが「生徒」でした。先生という存在が、先生側の立場で詠まれています。生徒を思う先生の気持ちは”いつも心配”なのだと知ることができたのは新鮮でした。震災の句は、今読んでみても胸に迫るものがあります。機会があれば、お手にとられてみて下さい。

2017年2月27日

 

 晴天の中、第一回目の「集う会」は、103名という大盛況で無事に終わることができました。懐かしい人、心配していた人、会いたかった人、本当に大勢の人に会ってお話することが出来ました。当コーナーを読んで下さっている、とお声をかけて頂き、嬉しかったです。いつもありがとうございます。

 それにしても、103人×3句=309句を一気に見るというのは、存外きついものがありました。ともすれば切れそうになる集中力を保つのは、一種の修行めいていてなかなか大変でした。取りこぼした句が後で沢山ありました。

 さて、今年のケーキは去年よりお値段がグレードUP。お酒の苦手な方を考慮してシロップ等にまったくリキュールを使わない特注品でした。

 また、来年をお楽しみに。3月25日です。

 役員の方々、大変お疲れ様でした。

2017年2月25日

  良い天気です。明日の集う会も晴天が望めそうで一安心です。我が家のみかんちゃんも立派に色づきました。

 

 さて、犬友の一人が近くのスーパーで働き始めて一年になります。彼女の話が面白くて、いつも長い立話になってしまうのですが、先日も興味深い話を聞かせてもらいました。スーパーのレジ係は意外とよくお客さんを見ているということです。ほとんどのお客さんの事は把握していて、いつも必要以上に備え付けのビニール袋を取っていく人、買い物かごを片付けない人、子供のしつけが出来ていない夫婦などは目立つので、すぐ覚えるといいます。逆にいつも声をかけてくれるご婦人や、かごへの商品の入れ方が美しい人なども覚えているそうです。レジに背を向けて大量のビニール袋を取っていく奥様には、もはや笑うしかないらしいです。面白いところで、この奥さんは「納豆ダイエット」中だ、などもわかるそうです。今、仲間内で話題なのが、朝一番に大量にワンカップ酒を買いに来るおじいさんだと言います。毎日、かごに一杯買っていき、時には朝からお酒の匂いがすることもあるらしく、皆で心配しているとか。以外に見られていると気づいて自分の事が心配になりました。恐る恐る聞いてみれば「白い人」、と良くも悪くもないような感じで認識されているらしくホッとしました。皆さん、見られていますよ。

2017年2月19日

 

以前も書きましたが、どんな句会でも、誘われれば都合がつく限り参加するようにしています。昨日、参加したのは老若男女の集う東大阪市の枚岡神社での句会。鎮守の森はしっとりと春の湿り気を帯びていて、境内への石畳は広くて長い、立派な大社です。句会の最年少は高校生!10代から20代の若者たちがずらり並ぶ光景は圧巻でした。熱く俳論を交わす彼らの瞳の美しさに見入ってしまいました。白目がキラキラして真っ白なんですよね。どんよりと濁ってしまった自分の瞳を恥じました。高齢化が懸念されている俳句界で、こんなに若い人たちが溢れる句会があるなんて!楽しいし、みずみずしい感性に触れることができた時間でした。

  これはお世話係の女の子の“手作りチョコ”です。全員分を作って来てくれていました。きっと彼女が振舞たかったのは、自分と同年代の男の子たちにでしょう。あえて全員に作って来るという、そのあたりの綱渡り的な、若い不器用さに触れてほほえましくもあり、忘れていた甘酸っぱい気持ちを思い出したりしました。勉強も仕事も恋も俳句も、すべてはこれから始まる、という姿にエネルギーをもらって、いい気分で帰りました。

 また、誘ってください。

 

2017年2月17日

 関東では春一番が吹いたとか。神戸は雨です。

 都心で、雀が激減しているという話を耳にしました。なんでも、巣を作る木造の軒裏が減り、住み辛い環境になりつつあるのが原因らしいです。鳩や鴉は増加しているのに、愛らしい雀が減っているなんて、寂しいですね。当たり前にいる存在が、気づくと消えていたなんて想像もしたくありません。我が家に来る雀は健在で、やかましいほどです。力強く生きて欲しいと思いながら見守っています。

 今年の正月はハワイに行った人が多くて、色々お土産を頂きましたが、このビスケットが何人か重なりました。有名なのでしょうか?パイナップルの形ですが、パイナップル味はちょっとだけ、苺味やチョコ味が美味しかったです。

2017年2月11日

 物凄い寒波が日本列島を覆っていますが、積もらない程度の雪を連日見ることができるのは、ちょっと嬉しい気持ちになります。雪国の人が聞いたら怒るでしょうが、雪が降る、ということだけで特別な感じがあります。「春の雪」はボーと街を明るくします。

 この写真は”雀の学校”です。道行く人が何人も立ち止まって見上げていました。ヒッチコックみたいな不思議な光景に、私もしばし見とれていました。奥に雪雲が見えています。

 さて、26日の「集う会」ですが、100名を超える参加申し込みがあり、ありがとうございます。今から、皆さんにお会いするのが楽しみです。今年のケーキもこうご期待!去年より、グレードがUPしましたよ。

2017年2月6日

 

仕事で個人のお宅を訪問したとき、その家のガレージに「喧嘩上等」と大きく書かれた車が停めてあると、気分が滅入りますが、玄関や塀沿いに「菊盗るな」「ゴミするな」と墨書きの半紙が貼られたお宅も別の意味で気持ちが萎えるものがあります。外見がすべてではありませんが、意外と大事だと思います。

 

先日伺ったのがこれまた奇抜なお宅でした。窓にはカーテンもなく、花壇には草一本生えておらず平らに土が入っているのみ、ガレージも空のまま、かろうじて表札の存在が人の住んでいることを主張している、要するに建売中の住宅そのもので生活感が無いお宅でした。住人の方を推し量ることが出来ず、不安な気持ちで呼び鈴を鳴らしました。

 

まぁ、結果は清々しいほど物のない家に、優しい普通の御夫婦がお住まいでした。強いて言えば中国人だということでしょうか。それにしても、情報が無いというのはこれほど不安になるものなのですね。短い時間でしたが、非常に緊張しました。

 

これ、お礼に持たせていただいたお菓子です。ゴーフルの和風版のようで、美味しかったです。

2017年2月2日

 

さて、バレンタインデーのある二月です。時々、差し入れを下さる(当然、事務所全員に対して)方が居るのですが、その都度、お礼状を出しますし、折に触れてなにがしかのお返しを送っています。ところが去年「あんなにしてやったのに、チョコレートもくれない。失礼だ」と叱られました。まぁ、驚きました。年末に立派な箱に入った日本酒を送ったばかりですし、決して“してもらってばかり”ではないつもりでした。その場は平謝りだったのですが、後になって何だかおかしくて…。幾つになっても、男の人にとってバレンタインのチョコレートというのは欲しいものなんだなぁ…と。

 

ただ、女心も考えて欲しいものです。たとえ義理でも、贈りたい人には用意しますが、そうでもない人に、バレンタインの日に会うのならまだしも、わざわざ用意したりしません。そういうものなんです。

 

当然、今年も彼に用意するつもりはありません。だって、あんなことを言う人に贈りたくも無いですものね。

この花瓶は友人がひねったものです。釉薬の関係でしょうか?どうしても水が漏るのです。

2017年1月27日

 

「冬が好き」というと、「寒いのがすきなの?」とよく言われます。ちょっと違うんですよね。寒いのが好きなのではなく、冬の凛とした空気感のようなものが好きなのです。夜空の星は夏と違いキラキラ瞬いています。ろうそくの明かりも冬の夜が似合います。また、身もキュッと内側に締まっているような感覚があります。清潔感があるというか、きっぱり感があるというか、そういうところが好きです。

 

全国的に寒い日が続いていますが、春まであと一歩です。冬を楽しみましょう。

 

写真は、今年最初の「つぶやき」の写真のチョコレートの包み紙です。包み紙を捨てずに、譲ってほしいという人がいて、彼女が来るのを待っています。何に使うのでしょうね?でも、改めて見てみると、ただの包装紙でもかわいいですよ。

 

2017年1月22日

 

いつも利用する図書館が、蔵書整理のために長期間休刊するので欲張って沢山本を借りてきました。本について、最近、ちょっと考えることがありました。

 

ある席で「まさにモビーディック」というフレーズが出て、意味が解りませんでした。誰かが「大げさねぇ」と返すのを聞きながら、素直に聞いてみると、「白鯨、読んでないの?」と笑われてしまいました。その場で私だけがピンと来ていなかったのです。これはひどくショックな出来事でした。もちろん「白鯨」は読みました。ただ、若かったので、字だけを読んで済ませていたような気もします。恥のかきついでに、もう一度、名作を読み直そうと思っています。難解な物語を読むのは、疲れてしまいますが、じっくり読み返すのに、良い年齢になったと思うことにして。

来月の「春の集い」は去年の「偲ぶ会」を超える参加申し込みがあり、ありがたいことです。まだ、申し込みが御済で無い方はお急ぎくださいませ。

2017年1月17日

  早朝に、夙川震災記念公園に行って来ました。今年で22年たちました。

それでも大勢の人が白い菊を記念碑に手向けました。毎年、この寒さをの中で被災した人たちのことを思います。

 さて、恐ろしく寒かった昨夜、歯茎を剥き出しにして吠えている犬を見ました。そのきれいに並んだ歯をみていて、ふと自分の歯のことを考えました。

白い歯は素敵です。残念ながら私の歯は黄色がかっています。理由は歯磨きのやり過ぎ。歯の定期クリーニングの時には、磨き過ぎを注意されます。磨き過ぎて表面のエナメル質が削られて中身の象牙質が透けて見えてしまっているのです。祖父が歯科医だったので幼少期から虫歯に苦しむ大人の姿を見て来ました。お蔭で虫歯への恐怖は人一倍強く、「何が何でも虫歯にはなりたくない!」と、毎日磨きに磨いたら逆効果に。でもやめられないのです。長年の習慣でついついゴシゴシやってしまうのです。今更ですが、歯を白く保つなら、優しく磨きましょう。

とても寒いですが、日溜りにはホッコリさせてくれるお花が咲いていました。

2017年1月12日

 

近頃、なかなか風邪が治らなかったりで、自前の体力にすっかり自信が無くなって来ました。友人に話すと「サプリメントを飲め」とアドバイスされて目から鱗が落ちました。まったく気が付いていなかってのですが、人類にはサプリメントというお助けマンがいたのです。聞けば同級生の面々は「ビタミンC」に始まり、「ブルーベリーエキス」や「ビタミンB」、「育毛サプリ」に「亜鉛」、とかなり助けてもらっている様子。早速、ドラッグストアへ行きましたが、あるある!山のようなサプリメントの種類。裏の成分表示を見ても、どれが正解なのか判りません。”あなたの健康をサポート”とかは書かれていても、具体的には何に、どう効くのかが今一つはっきり書かれていません。まぁ、薬事法もあるので仕方ありませんが、”風邪を予防したいならこれ!”という駄目押しが欲しいのもこちらの本音です。さらに値段もまちまちで頭を抱えました。結局、一番なんでも栄養が取れて、成分も納得できた「青汁粉末」を買うにとどまりました。

 

この青汁がまずい!なんとも青臭い、サプリメント元年なのでした。

 

2017年1月7日

 

見上げれば、ガラス細工のような枯木と青い空でした。年が明けてから、意志をもって空を見たのは初めてなので、意味がちょっと違いますが、まさしく私にとっての「初空」でした。「初市」「初詣」「初鏡」と、年が改まったことに対して感慨にふける季題が沢山あります。また、ゴミを出しに行っても、なじみの寿司屋に行っても、もちろん仕事での電話でも今年初めて会う知己とは互いに「あけましておめでとうございます」と言い合います。これがなんともいいのです。“けじめ”のようなものです。ところが、まるで4月か5月のように、用件だけを言って終わりの人にもたまに出くわします。こういう人とはきちんと“年が改まった”感がしないので何となくだらだらした付き合いの一年になるのだろうなぁ、と思ったりもします。皆さん、けじめつけてますか?まずは自分から一言、言ってみませんか?

2017年1月4日

 

あけましておめでとうございます。年末に風邪をひいて、かれこれ二週間もかかってようやく咳が出なくなりました。年末年始の病気というのは病院が休むので非常に心細い感があります。しかも、年末に治りかけても年始には容赦なく訪問客が押しかけてぶり返します。ぶり返してもゆっくりなんてしていられません。すぐ仕事が始まるのですから。いくら横になっても、いくら薬をのんでも「なぜ治らない!?」と気持ちは焦るばかりです。一晩寝れば治っていた風邪も、歳を重ねるとやっかいな病気に変わります。ああ、今年は健康に留意して過ごそうと、固く決意した正月になりました。今年もどうぞよろしくお願いします。

 これは叔母がいつも送ってくれる変わり種のチョコレートです。叔母の幼馴染が作っていて、レトロチックな包装紙と味が気に入っています。