新家 月子の

 

つぶやき日記Ⅵ

 

今年もどうでも良いことばかりの内容で突き通す所存です。どうぞ、お付き合い、よろしくお願いします。 

2018年11月10日

 

立冬過ぎても、暖かいですね。

 

先週、伊丹の柿衛文庫にて集会があり、参加してきました。柿衛文庫というのは、酒どころ伊丹に美酒を求めで集った文人達のサロンでもあった、岡田家の第二十二代岡田柿衛のコレクションを収蔵している財団です。主に芭蕉についての研究が有名です。この度、そこの理事長に就任されたのが坪内捻典先生です。先生はもっとこの施設を多くの人に利用して欲しい、知って欲しいと思い、「皆さんにお知恵拝借」とばかり応援団を集めた次第です。歌人、川柳人、コピーライター、詩人、書店店員、小中高の先生に政治家まで加わって、色々な意見が交わされました。

 

 俳句の今後の隆盛のためには、小学生から取り込まねばならない…という意見が大筋だったような気がします。ただ、私はそれに疑問を呈す立場です。少子化で子供を取り巻く競争社会は苛烈さを増すでしょう、そこに受験でのメリットが無い俳句が入り込む余地はありません。何が何でも、「俳句の将来を担う若者」を取り込む必要は無いのではないでしょうか?選択肢の一つとして提示するのは良しとしても、こちらが大変な努力をして興味を持たせても、受験、就職により離れてしまっては無駄な努力です。将来、俳句に戻って来る確率を考えると、効率が良いとは思えません。

 

それよりも、自らの意志で、興味を持ってくれる世代に注目するほうがずっと有意義だし、道は早いと考えます。子育にめどがついた人、がむしゃらに家族を養う必要のなくなった人、リタイアした人…焦らなくても、毎年大量に発生します。そういう人達の足を柿衛文庫に向けさせる妙案はないでしょうか?そして忘れてはいけないのが、今の俳人たちのことです。何年も先のことを懸念するよりも、まずは今、俳句に携わっている人を大切に、彼らが訪れてくれるように考えねばならないと思います。妙案があれば、お知らせください。

 

何よりも、柿衛文庫が単なる収蔵館なのか、名称から判りづらいのをなんとかして、市民に知ってもらうことが大事ですね。

 

写真は、当日に朝妻力先生から頂いた伊丹の甘酒です。大変なご機嫌で、こちらまで楽しくなっちゃいました。

 

2018年11月3日

 

連休です。昨日までぎっしりのスケジュールに疲れた身にはありがたいことに晴天です。今日は全日本剣道選手権の放送があるので仕事は休みです。

 

寒くなって来ると、一杯飲みに行く誘いが増えます。しみじみ呑む時は、話題もしみじみしたものになる気がします。久しぶりに同級生と集まった席で、世界人口についての話題が出ました。

 

今、日本では人口が減少傾向にありますが、世界的には増加の一途をたどっています。生物学的に言えば、これは非常に異常なことです。例えば、ネズミや鹿は自然に抑制システムが効き、緩やかな増減を繰り返しつつ、一定の量を保てるようになっています。それに伴い、捕食生物の数も制御されます。ところが、人間だけはこの抑制システムが機能していないのです。その増加のスピードたるや、恐ろしいほどです。過去、スペイン熱や戦争で減ることはあっても、それはイレギュラーな出来事にすぎません。食料に制限のある時代、日本では長男だけが結婚でき、子孫を残すことができました。次男、三男は養子に行くか奉公に出るか、一生部屋住みで終わったのです。一種の抑制システムでした。それが、近代化が進むと、産業が増え、食料の供給も増えるので、誰もが収入を得ることが出来、家庭を養えるようになったわけです。世界的に同様の理由で人口が増加し始めたのです。 

この状況がいつまでも続くわけもなく、いつ崩壊が起きるのか…、富めるものと飢えるものの格差が広がり、収拾がつかなくなっていく…、考えるだに恐ろしい話です。酒席はすっかり暗くなり、皆、眉間にしわを寄せながら秋刀魚の刺身をつつくのでした。こういう話は奥さんとしたりしないし、私も家人とはしません。同級生ならでわの気安さで、小さな卓を囲み、ああでもない、こうでもない、とこの先の世を憂いつつだらだら飲むのも、秋ならではのような気がします。

 

2018年10月27日

 

 

朝晩は肌寒いくらいになってきました。今年の秋ももう終わりですね。

 

さて、昨夜、終電間近の電車で、剥き出しの玉葱をもった男性を見ました。まだ若いサラリーマンで、膝に玉葱を鷲掴みにしているのです。これが林檎なら、また話は変わったのですが、玉葱です。もう、一日の疲れやストレスを忘れて、玉葱にくぎ付けです。おそらく、乗り合わせた乗客のだれもが同じだったのではないでしょうか?乗客それぞれの感情が渦巻く中で、車内はやけに静かでした。

 

たった一個の玉葱ですが、とにかくやたらと目立つのです。ただ、ご本人は照れたり、恥ずかしそうにするわけでなく、余った方の手でスマホを操作中…。玉葱の皮が膝を汚していますが知らん顔です。「なぜ、玉葱?」それは実に深夜の電車にとって異質で、あるはずのない光景でした。残業したおかげで、ちょっと不思議な、まるで異空間に出くわしたような気分を味わうことができました。このあと、玉葱がどうなるのか?これまた気になったのでした。

 

そういえば、片足だけ下駄を履いている人を見たことも、懐に小鳥を連れている人もいたっけ…。秋の終りのこの時期も何だかカオス、都会もカオスだなぁ…、としみじみ思ったのでした。このカオスを上手く句に出来たら、もう一年は有頂天かもしれません。

 

写真は希少糖を使ったハイボールです。この希少糖、我が母校が研究開発しました。ひいきして飲みます。(現在、このHPの画像反転の機能サービスが無くなったために、横向きですがスミマセン)

 

2018年10月21日

 

秋晴れの中、近江八幡へ吟行に行ってきました。豊臣秀次が八幡山城を構え、水郷を整備し、信長を手本とした楽市楽座制を取り入れたおかげで、商業が栄え、結果、近江商人が生まれた町です。

 

昔、多くの荷物を運んだ水郷にはちょっと見覚えが…聞けば時代劇のロケ地によく使われるそうです。また、ズラーと並ぶ豪商たちの屋敷は軒が低く、どれも立派!塀より覗く松はきれいに手入れされ、カキはたわわに実をつけています。細かい格子戸と、どこまでも続く甍の波に、思わずタイムスリップしたような気になれました。また、ちょっとイケずな近江商人気質にも触れることができて、実り多い旅でした。

 

新快速に乗れば、大阪から一時間ぐらいです。是非、今年の秋の吟行地に加えてみたらいかがでしょうか?

 

2018年10月15日

 

カラッと気持ちがいい日が続いています。秋深しですね。

 

先日の句会で、句友が亡くなっていたことを知りました。彼女の先月の句がこちらです。

露の身に思ひ出ばかりふくらみて

              敏子

 

この時は入院されていたそうですが、今、読み返してみれば意味深いものを感じざるを得ません。いつも笑顔の人でした。夜、しみじみと彼女について考えました。

 

そう思えば、今年の秋の夜は、殊更静かな気がします。あまりテレビを見ないので、家人が不在の時は真っ暗な家の中でポツリと明りを灯して色々な雑事をしています。実家は家中の電気をつけているような家で、それこそ門灯から玄関、客のいない応接間まで電気が付けられていました。それはそれで家族の気配や温もりが隙間なく感じられるようで嫌いではありませんでしたが、今は暗がりの中にポッと咲いたような明りの中に安らぎを感じます。

 

 頂いた便りに繰り返し目を通し、万年筆にインクを吸わせてゆっくり返事を書く。届いたメールを整理する。そんな時は飲み物も選びます。夏場は冷たい飲み物ばかりでしたがこれからはゆっくり飲める琥珀色のものや、お茶や珈琲です。グラスやカップも選びます。ただ、これ、あくまでも家人が不在の場合。

 

 なんででしょうね?自分だけだと、カップとソーサーの用意もキャンドルの用意も苦にならないのに、家人が居るとマグカップで済ませる…。この後ろめた感も良かったりします。

 

 写真は、学生の時に家庭教師をしていた可愛い男の子から合格のお礼に贈ってもらったカップです。今でも大切に使っています。

 

 

2018年10月9日

 

秋高しですね。どこからか金木犀が香ります。

 

さて、ときどき、「主人は○○大学出身」「娘は○○大学」などと、誰も聞いていないのに自分から話してくれる人がいます。先日知り合ったあるご婦人も「主人は○○の社長だった」と、自分の紹介よりもいの一番に言っていました。「だった」というのがミソですけどね。

 

こちらとしては、一生会うか会わないか…というご主人やお子さんの情報を貰っても、どうでも良いわけです。興味ないのです。ところが、当の本人にしてみればそれこそが大事な様子…。見ていてちょっと残念です。もちろん、一応「それはそれは、すごいですね」と誰もが返しますが、そこには乾いた空気が流れているのです。

 

以前、「子供が○○大学」と言われたので、「へぇ、私は東大(嘘ですよ)」と答えたら、物凄く嫌な顔をされました。そこはやはりエチケットとしての「すごい」、の一言が必要な場面でしたが、何がすごいのやら…と思ってしまった私も青かったのです。子供や配偶者のステイタスを自分のステイタスと勘違いしているのか?もしくは、自分は彼らの付属物である…という認識なのか?まぁ、それはそれで構わないのですが、そうではないでしょ、と思うのです。 

日本人の自己肯定力の低さの現れなのでしょうね。何か、偉くないと駄目なんでしょうか?心もとないのでしょうか?無職だって、パートだって、主婦だっていいやん!誰も気にしません。一番気にしているのが、実は自分なのです。もっと、自分に自信を持ってもいい、そう思います。

 写真のバウムクーヘン、「ナイフで削ぐようにして食べる」と書いてありました。外側から一枚ずつ剥ぎながら食べた子供の頃を思い出しました。

2018年10月3日

 

 秋晴れのカラッと気持ちのいい天気です。今のうちにあれもこれも片付けようと必死で動いています。

 

 さて、川柳作家の芳賀博子さんが、第二川柳句集が送ってくださいました。斬新な川柳で有名だった、時実新子さん最後の弟子と言われる素敵な女性です。仕草、言葉に無駄のないかたで、私がとても憧れている人です。

 

川柳と俳句は「似て非なるもの」という人もいますが、実は似ていると思うのは私だけでしょうか?

 

 

春暮れる消える魔球を投げあって       

                                 博子

 

この句など、俳句といっても違和感がありません。

 

芳賀さんの川柳は、日常の中の人生や人間の弱いところを切り取る中に一貫して余韻と、詩心があります。私も詩がある俳句を目指しています。

 

   大体の北がわかれば大丈夫      博子

 

 この句は“切れ”がなく、俳句の対極にありますが、「判る、判る」と思えるのが川柳です。ドラマがあると思いませんか?

 

   嘘ばっかついて美しかった鈴     博子

 

 嘘つきだった友人は、美人でモテました。嘘ばかりついているのに、男どもは気づかないのです。そんな女は大抵が鈴のような甲高い声をだすのです。嫌いでしたが、そんな都合の良い生き方が羨ましかったものです。そんなことをふと思い出させられる句です。

 

 川柳は人生に寄り添う詩です。これも素敵だと思います。是非、手に取って見られてください。

 今年の秋は、方々から句集がどんどん届きます。当たり年なのでしょうか?

 

2018年9月28日

 

台風が来ています。来ると分かっているので、備えはしっかりと、前回以上にやっておくつもりです。

さて先日、六甲山の風の教会に行ってきました。安藤忠雄設計の教会シリーズで有名ですが、しばらく閉鎖されてをり、今回は特別に公開されていたようです。信者や迷える人達が自由に訪れるはずの教会なのに、普段は閉鎖されている…と聞くと、もともと教会としての機能はしていなかった様子です。それはちょっと教会の建物として、不本意なのではないだろうか?と考えさせられました。まぁ、必要以上にシンプルなオシャレな建築物でした。

 

 オブジェとしての建築物と、教会は別なのではないだろうか?信者でもないのに色々考えた日になりました。

 

 六甲の山頂は糸芒が茂っていましたが、そろそろ秋の花が咲く時期になりました。コスモスや竜胆、鶏頭、彼岸花、程度は判りますが、私にとって“お花”はどれも“お花”。名前が判らないことが多く、吟行では物知りの句友に質問してばかりです。さらっと「シュウメイギク」や「キンシソウ」なんて言われると慌ててメモを取るのですが、いかんせん花自体に興味がないので、何度聞いても覚えられない。毎年、同じ花の名前を尋ねられて、教える方も呆れています。でも、今年は花の季題を使った句に取り込もうと思っているので、頑張ります。まずは聞くから…じゃなくて菊から…。

 

2018年9月23日

 

先日、ご紹介した「体温」の石戸菜々花さんからお便りをいただき、その中に「香水は一つも持っていないのです」という旨が書いてありました。ただ、「香水」という季題がとても好きなのだそうです。私が「日記」をつけないのに、「日記」の句を多く作るのと同じです。「日記をつける」という行為に、いつも特別な詩心を感じるのです。同じですね。誰しもお気に入りの“季題”があると思います。もう一つ、お便りから判った事は、関東、関西問わず、超結社の面々は酒豪だということ、これも同じですね。

 

 さて、美しい文字が並ぶ便りを貰うたびに恐縮します。ご存じの方も多いでしょうが、私はかなりの悪筆です。昔、習字の授業中に先生から「字を書け、字を」と言われて大変なショックを受けたことがあります。今でも心の傷です。以来、丸文字を研究したり、定規を使ってみたり、色々試行錯誤の努力をしてきました。一番鍛えられたのは公務員時代です。私が採用された頃はまだまだ手書きの書類が多く、それらは後々まで残るため大層気を使って書いたものです。事務官さん達の字は、どれも美しく、感心させられると同時に憧れたものでした。

 

 結局、今もきれいな字はかけないままですが、ゆっくり丁寧に書こうという気持ちだけはあります。ただ時々、「字がきれいな人は、心がきれいなのだ」なんて言われるとどうしようもなくメゲルのです。字は汚いですが、決して悪人ではありません。

 

 写真は、ずっと欲しかったグラスです。欲しいなぁ、と思っていれば、いつか手に入るものですね。ありがとうございました。

 

2018年9月18日

 

秋です。焼芋が美味しい季節です。

 

 さて、結社の仲間である石戸奈々花さんが句集「体温」を上梓されました。お会いしたことはないのですが、句集を読むと非常にモダンな方だと言うことがわかります。中でも「香水」の句が5つもあり、日常的に香水を身に着けている人だけが知るお洒落な生活が目に浮かぶようです。是非、手に取ってみて下さい。

 

 それにしても、ここ数日、パソコンの調子が悪くて往生しました。人生で初めてパソコンレスキューの店に行きました。ああいうお店の人は一種の特殊能力でしょうか?すごいですね。頭の中がどんなことになっているのか知りたいです。

 

これを機にウィンドウズ10に切り替えたのですが、まだ慣れずにストレスの強い日々を送っています。皆さんのアドレスもどこへ行ってしまったのやら…。しばらくは苦戦しそうです。

 

2018年9月12日

 

秋雨前線の影響で、しとしと雨の日が続きますね。

 

先日の台風21号の被害は深く、句会先でも「アーケードの屋根が吹き飛んだ」「家の壁が落ちた」「街路樹が全部折れた」と色々聞きます。割れた窓から服が飛んで行ってしまった人も居ました。

 

 災害が起きた時に「お見舞い申し上げます」「大丈夫でしたか?」というのはあまり好きではありません。苦労は当事者にしか判らないからです。電気や水、物資の不足だけが問題ではありません。それらが足りたから、即解決ではないのです。真備で被災した弟の家には、自宅が全損して行き場のない義母が身を寄せています。ところが「母親の面倒を見る」ことを条件に全財産を相続した義弟は被災後二週間たっても音信不通。生家の被災に駆けつけるでもなく母親の生死すら尋ねるでなく、家族の連絡から逃げ続けたあげく、しぶしぶ顔を出して「全部そっちにまかせたい」と言うらしい。別に浮浪者とかいうのではなく、ちゃんと家庭をもったサラリーマンです。傍から見れば、巷によくある話です。

 

ただ、突然、要介護の義母が加わった弟の家は大混乱です。家族に迷惑をかけるが実母の世話をしてあげたいお嫁さん、でも実弟の都合のよさも重々承知で夫に対していたたまれない。息子の勝手を承知で娘の家しか居場所がなく、身の置き所が無いお義母さん。伯父さんの勝手やそれに対して何も言えない大人達に嫌悪感を募らせる思春期の甥や姪。義弟が放置したままの義母宅を、納得のいかぬまま黙々と片付ける私の弟。全て被災したことで、問題に直面し、精神をすり減らしています。被災さえしなければ、いつもの日々が続いていたのです。

 

丁度いい住まいが見つからない人、親の認知症が悪化してしまった人、これからも試練は続くのです。「水が出て良かったですね」「怪我がなくて良かったですね」って、本当はちっとも良くない、そう思います。

 

 

2018年9月7日

 

台風の去った次の日、空には一気に秋が広がっていました。

 

 西宮市は停電がひどく、予約した美容院も停電が解消されないために断りの連絡が入るほどです。北海道の地震でも停電がひどいようです。山肌が剥き出しになった映像を見て鳥肌が立ちました。一日も早く、平穏な日々が戻ることを祈ります。

 

 さて、停電中のお宅を取材したニュースにロウソクで明りを撮っている映像があり、誕生日ケーキのロウソクを思い出しました。誕生日を大っぴらに祝うことが無くなって久しいですが、お祝いするのなら、お誕生ケーキが必須、それもホールでなければならないと思っています。ロウソクを立て、主役であるお誕生日の人が火を吹き消したのち、切り分けることに意味があると思っています。

 

 先日、ある人の誕生日と句会が重なったので、お祝しました。そこに用意されていたのは、色とりどりのショートケーキ。ケーキを用意してくれた方は「はい、いつものレアチーズケーキ」「チョコ系は○○さんだっけ」「○ちゃんはムースよね」と問答無用に配っていきます。私には洋酒たっぷりのサヴァラン…、ある意味、的確です。

 

 そこには、ロウソクもお誕生プレートも存在しませんでしたが、それはそれで楽しい時間となりました。ただ、個食文化だなぁ…と思いました。皆が同じものを一緒に味わう、という行為は古いのでしょうか?なんだかちょっぴり淋しい気がします。

 

2018年9月2日

 

なんと先日、義母に「オレオレ詐欺」の電話がかかって来ました。「なんか着信あったけど…」から始まりお決まりの文句が続いたそうです。むむっ?新たな言い回し出現です!ところが義母は常日頃から「自分から子供に電話を掛けたことなんか一度も無い」ことを自慢している人で、一笑にして「かけていません」と切ったために被害はありませんでした。義母の自慢がはたして自慢になるのか…という話は別として、お蔭で詐欺にあわずにすみました。

 

 それにしてもオレオレ詐欺、還付金詐欺に続き着信履歴装い詐欺?なるまで電話による詐欺は進化し続けています。しかも、誤ることなく高齢者を選んでいるところが恐ろしい。

 

 高齢者の交通事故を減らすお助け機能に、自動運転アシスト車があるように、オレオレ詐欺撃退電話機なるものが売られているそうです。あまり普及していないらしいですが、詐欺に会ってからでは遅いので、心配な方はアクションを起こしてください。

 

 自分は大丈夫と思っていても、慌てると誰だって普段やらないような行動をとるものです。「えっ!そんなバカな!」という電話がかかって来たら、即答せずとりあえずは「こちらからかけなおす」とでも言いましょうかね。

 

 写真はお土産のご当地カレーです。淡路島の無花果カレーといいますが、姿かたちも無く、ビジュアル的に寂しい気がしました。普通に美味しかったです。

 

2018年8月28日

 

何回か前に、酒飲みの話を書きましたが「お酒が飲めなくても、お酒の席は大好きよ」という声がありました。たまに居ますよね、呑んでないのに酔っ払ったようになる愉快な人が…。そういう人、大歓迎です。なんにせよ、自分が楽しくなくてはなりませんね。

 

 お酒を飲む時、相手が呑めれば誰でもいいわけではありません。よくあるのが、自分から誘っておいて、相手にばかりおしゃべりさせる人…。こういう人とは二度と飲みません。片方が疲れてしまうお酒は良いお酒とは思えません。特に、しゃべるのは女と決めている…とばかりに斜に構えて薄ら笑いを浮かべているような御仁は御免こうむります。

 その逆で、何度でも一緒にお酒を飲みたい人もいます。互いに話が尽きない、ウマが合うというのだろうか、これは楽しいお酒になります。

 

 そしてもう一つ、話が面白い人と飲むお酒は最高です。話題に富むということは、わりかし、その人の好奇心の度合いに比例するように思います。好奇心がいっぱいで、探求心に富む人は、生き生きと話します。そのうえ話題が豊富で、こちらもつい相手に興味を持ってしまいます…惹かれます。こういうのを色気がある…というのでしょうか。これはもう、一緒に飲んで良かった…となるわけです。

 

 色気が無いと言われて何十年…色気が欲しい私です。

 

 写真は愛用の御猪口、兎がついています。結構、たっぷり入ります。

 

2018年8月22日

 

 出先で、おにぎりを出してもらいました。洋菓子というのは良くありますが、おにぎりは初めて。ほんのりピンク色のおにぎりは小さく、美味しかったです。

 

 そのおにぎりを食べている間、家主の老婦人が団扇でゆっくり私に風を送ってくれたのですが、その光景が幸せ過ぎたのか?胸にグッと来てしまい、鼻の奥が詰まるような気持ちになってしまいました。瞬間的によみがえった記憶があったはずなのに確と思い起こせません、ただ何か心に感じて込み上げてきたのでしょう。こういう事ってありますよね。「子供の頃の記憶?」「祖母の記憶?」と今考えても判りません、判らないままが良いのかもしれません。

 

 私にとって八月は、「思い出し月間」です。季題の「走馬灯」のようにぐるぐると、色々なことを思い出す月です。秋の夜長や年の瀬ではなく、残暑厳しい今なのです。

 

 照れ隠しに、その時のおにぎりのレシピを教えて貰いました。なんのことはなく、ただ、お米を炊く時、一合に一粒の割合で梅干を入れる、というものです。甘塩では駄目で、昔ながらのスッパイ梅干がいいようです。暑い日でも、御飯が傷みにくいそうです。 

 

 写真はたこ焼き味のかりんとう。怖くて食べていません。まぁ、世の中にはポタージュ味のアイスキャンディが有るぐらいなので、美味しいのでしょうが、まっとうな味が好きです。

 

 

 

2018年8月17日

 

お盆を過ぎれば秋ですね。久しぶりに実家へ帰って来ました。安倍総理大臣と握手するというおまけ付きでした。

 

何のことはなくて、実家前の神社が安倍さんの願掛け神社で、選挙の度に来られるのです。今回は総裁選挙の必勝祈願。お世話をする氏子の父について見学に行くと、ご本人が握手して下さった、という訳です。

 

 それにしても、田舎の爺様たちは毎日忙しい。例えば、父は神社の氏子総代、寺の檀家長、自治会の会計と実に盛りだくさんの掛け持ちを余儀なくされ、カレンダーには行事の予定がギッシリ。娘が里帰りしていようと容赦なく、汗をかきかき連日「○○の決算会」「○○のお札売り」「○○の竹取り」「施餓鬼の準備」「盆踊りの櫓建て」と現役並み…いや、それ以上に体を使い働くのです。家に帰れば植木の水やりに草むしり…パワフルです。これは父に限らず、ほとんど爺様たちがいくつもの肩書を掛け持ちしています。もはや地方は爺様たちにかかっている、と言っても過言ではない状態です。

 

 次の担い手として期待される幼馴染の長兄は、もうすぐ定年ですが、「自治会の役に付くのなら、郷里に帰らない」と言っているそうです。婦人会も、子供会も解散され、若い世代の結束はほぼ皆無、逆に70代を超すシニア世代の結束は固く妙な熱気に包まれて入り込み辛い…。しかし、爺様達の熱気がいつまでも続くわけは無く、この先が思いやられます。災害が起きるたびに見直される「地域の絆」、今や風前の灯ですね。

 

 写真は博多名物鉄鍋餃子、食べて来ました。

 

甲子園、下関国際高校がまた勝った!バンザイ!

 

2018年8月11日

 

夕方に秋の気配を感じるようになって来ました。

 

お盆までになんとか暑気払いをしようと、俳句仲間で集まりました。そこで供されたひよこ豆の料理を前に「親が“フェジョアータ(豆のスパイシーなスープ)”をよく作ってくれた、ブラジルに住んでいたんだ」と男性が発言し、それを発端に“おふくろの味”が話題になりました。

 

「何故かカブ入りのビーフシチュー」「甘辛く煮たジャガイモを混ぜ込んだちらし寿司」「食パンの耳のかりんとう」「煮干しが入ったままの味噌汁」等、“ザ・オフクロの味”がジャンジャン出て来るなか、「うち、カレーっす。でもバーモントじゃなくてジャワっす」という若者の発言に、年配者一同は「キター!」と固まったのでした。

 

 果たしてカレーはオフクロの味なのか…?。もはやオフクロの味の定義から入らなくてはならないような事態に…。市販のルーを使った料理はレトルトではない…確かに手作りではある…が、しかし…そこに“オフクロの味”は存在するのか?その“オフクロの味”はつまるところ“ハウスの味”ではないのか…。更には、おせっかいにも「彼は不幸なのか、幸せなのか…」という話まで。オジサン、オバサン世代の気持ちは散散に千々に乱れたのでした。

 

 恐る恐る「肉じゃが的なものとか、無いの?」と問えば「それ、給食的」と返されてぐうの音もでませんでした。食文化の衰退は、家庭の中からかもしれません。

 

 皆さん、帰省されたらオフクロの味を堪能して下さい。迎える方は、オフクロの味を提供してあげてください。たとえそれがカレーでも…。

 写真は、我が自治体の子供神輿です。今年も子供の美的感覚できれいに飾り付けられました。

2018年8月8日

 

原爆忌が巡って来ると、例年、我が身に置き換えて考えようとします。ところが、あまりにも非現実的な凄絶さに、正しく想像できているか…すら怪しいのです。

 

 今年の夏は厳しい暑さですが、爆弾投下後の灼熱の旋風に比べたら霞みます。小指が火傷した程度で大騒ぎする私達にとって、全身が火傷するほどの熱線とは、いったいに想像しようもないのです。

 

 本来、戦争は軍人がするもので、基本的に一般の人は対象外とされる歴史が続いていました。ところが、第二次世界大戦からその不文律が崩され、殺戮の対象が、一般人にも及ぶようになったのです。ある一線を越えてしまった訳です。それから今に至るまで、一般人を巻き込んだ戦争、侵略、報復が続いています。いわれのなき死は、その周囲の人達の間にやりきれなさと憎しみを生みます。終わりが見えません。

 

 そこに住んでいる事、そこで勉強をしていること、そこを歩いている事、それが殺される理由になる今、戦争は他人事だと“平和ボケ”していていいのでしょうか?「平和」「平和」と叫んでいるあいだは安全だ、という幻想は、もう通用しない時代になったのではないでしょうか?怖い恐ろしい未来が待っていそうで、不安です。

 

  これ、黄金虫、金亀子です…たぶん。私はこの昆虫が大好き。良く道に落ちているけど、臆病だから触らないでね。この子も傷だらけです。

 

2018年8月3日

 

 毎日毎日、ピーカン天気です。さすがに昼間の公園には人影もありません。 

 

 さて、酒瓶をこれだけ並べると壮観です。大酒飲みと思われているようで、最近、色々とお酒を頂いています。ゆっくり味わおうと、今からお盆休みを楽しみにしています。

 

 かつて「女の酒飲みは軽蔑する」と言い切った女性を知っています。女ばかりの、それも半数が飲酒中という場の発言には、よほどの意志が、自信があったのだろうかと思われます。まぁ、人の意見はそれぞれですが、「軽蔑までされたら、ちょっと大変だなぁ…」と思ったことを覚えています。

 

 “飲みにケーション”と言うように、酔うからこそ共有できる高揚感や、本音の会話というものが確かに存在します。ただ、素面の人から見れば、それこそ理解不能なノリのやかましい“酔っ払い集団”でしかないでしょう。ましてや、酔った女性がガハハと大口を開けて笑っていたら…軽蔑されますかね…やっぱり。

 

でも、つかの間でもより楽しくなったり、浮世のしがらみから解放されるのです。最高級のチョコレートに酔う人も居れば、素晴らしいバラの芳香に酔える人も居る…。何でも“過ぎる”というのは良くありませんが、楽しむ程度は許されるのではないでしょうか?酔えるものがある人は、幸いだと思います。

 

それにしても、くだんの女性は、女の飲酒は駄目で、男の飲酒はOKといいます…。もしかしたら、その無意識の発言の裏に、もっと別の根本的なご本人の問題が隠れているのではないだろうか?

 

人を軽蔑しても構わないが、それを言葉にしてはいけない。

 

2018年7月29日

 

台風、猛暑を洗うようにして言ってしまいました。

 

先日、句集を出したことは書きましたが、連日のようにお手紙を頂き恐縮しています。俳句は面白いなぁ…と思うのは、一つの句から連想する事柄、感情がそれぞれの人生により様々であるということです。また逆に、作り手の気持ちとシンクロすることもある…。よく「共鳴しました」と書いて来られるのは、そういうことではないでしょうか?

 

 自分の気持ちとシンクロしてもらえた時の快感は、得難いものがあります。ああ、判ってくれたんだ…と、気持ちの共有というか、その人との距離が一気に縮まるような気になります。

 

 また、一個人の句を、ズラッと並べれば、おのずとその人の個性、考え方、感じ方が浮かび上がってくるもので、句集はその最たるものです。まるで丸のままの自分をさらけ出したように、隠せないことを痛感させられました。強がっていても、澄ましていても句は、自分に嘘をつけないのですね。

 

 皆さんは何を思って句を作っているのでしょうか?誰に理解されなくても、俺には俺の句がある…。テクニックを駆使して、選ばれる句を作りたい…。驚かせたい…色々あるでしょう。自分の気持ちを素直に表現するのが苦手な私は、口に出して言えない分、句を通して自分の気持ちを伝えたい…、これからもそう思いながら作って行くつもりです。

 

 さて、句集の中のある句に人気が集中して驚いています。

 

  あの駅に帰らう今日は十三夜   月子

 

 なんてことのない句なのですが、多くの方がこの句について書いて来てくださいます。皆、帰りたいところが有るんだなぁ…と思うのです。この句に関しては、きっと皆と私の気持ちはシンクロしている…そう思います。

 

 

2018年7月24日

 

 連日のお天気に、地の底から熱せられているように思うのは、私だけでしょうか?

 

さて、真夏の喪服も危ういですが、炎天下のマスクもかなりのヤバさです。 

 

 常々、口をぽかんと開けている人を「締まりのない…」と思って来ました。ところが、このところ気づけば、自分がぽかんと口を開けているのです。どうやら余りにも空気が熱いので、鼻で呼吸するのが辛くなり、本能的に口呼吸をしているようです。特に自転車に乗っているときは顕著です。気づく度に、辞めようと口を閉じてみるのですが、どうにも苦しくてやっぱり“ポカン…”と口を開けてしまいます。気温が体温を超えると、こういうことが起きるのだ、と勝手に納得しています。

 

 それほど熱い空気の中で、マスクをしている人を見ると、その頑なさに感服しつつ、こちらが窒息しそうになるのです。

 

 同じようにニット帽をかぶっている若い子たちにも、なにか納得できないものを感じます。暑くはないのか…、ニットなるものは冬のものではなかったのか…、見ているこちらが暑苦しい。

 

 やはり見た目の爽やかさも大切なのではないでしょうか?

 

 それにしても、体温を超える暑い国になってしまったことが恐ろしい。

 写真は頂いた葡萄!このコーナーの読者はご存じでしょうが、私は葡萄が大好き。最近は凍らせて食べても美味しい…なんて品種もあるのですね。その名も「ウインク」、巨大です。

2018年7月19日

 

 蒸し器の中みたいに日本中が蒸されています。いかがお過ごしでしょうか。

 

 さて、行ってきました動物王国。久しぶりのことで、楽しみにしていましたが、真夏の動物園の動物たちが疲労困憊であることを忘れていました。皆、暑さに耐える苦行僧のようなありさまで、見ていて哀しくなってしまったのでした。

 

 特にひどいのが屋外展示の動物達です。リクガメは見たことがないほど四肢を伸ばし足裏を天に向けて首まで伸ばして脱力しているし、鹿は固く目を閉じて、その呼吸は危険なほど荒く、まったく心配になってしまいました。

 

 さすがにラクダは平気の様で、日陰に入りもせず、餌を食べていましたけど。

 

 今年の暑さが異常だ、とばかり思っていたら、今後も年を重ねるごとにどんどん暑さは増すのだとか。

 

 今や、家畜の牛だって、屋根を作ってもらい、扇風機をかけてもらったり、ウォーターミストをかけてもらう時代です。動物園の動物にも必要なのではないでしょうか?もちろん、いまだにお庭で飼っている犬なんか、暑さに弱いですからね。

 

 写真の鹿?はアフリカ産なのでさすがに平気みたいです。

 

2018年7月14日

 

 まだ七月なのに、酷暑が辛いですね。

 

 さて、世の中、わざわざ「○○なってしまった」ものを好む、という人が存在します。例えば、弟はせんべいの湿気てしまったものが好きです。友人は冷めてしまった味噌汁が好き。同じくゆで卵は冷えていないと駄目、という人もいます。

 

 先日、集団でカップ麺を食べることがあったのですが、もちろん三分ルールです。中には、「硬めんが好きなんよね」と早めに蓋を開ける人も。と、ここまでは予想範囲です。ところが周りが食べ終えて、ひとしきり雑談を終えて片付け始めたころになっておもむろに蓋を開ける人が…。もちろん、麺はスープを吸い、容器いっぱいまで伸びでいかにも不味そう。でも、彼女はそれを美味しそうに食べるのです。美味しさのコツは、入れるお湯の量を少なめにする事…だそう。美味しさの基準は、本当に人それぞれ。千差万別ですね。

 

 写真の本、バッタ研究のドキュメントですが、かなり面白いです。奥のカード、「赤い靴」出版祝に頂きました。かわいい。

 

 

2018年7月9日

 

 長く降り続いた雨がやっとあがれば、蝉が鳴いていました。皆さんは大事ありませんでしたか?郷里の岡山も大変なことになり、街は見るも無残な状態になっています。岡山はもともと干拓地のために海抜が低いところが多く、一昔前までは大雨の度に洪水が起きていました。大きな川が多く、豊かな水が町中を潤わせているようなところです。これがいったん決壊すると、広範囲が水没してしまうのです。こういう所は、水の引きも遅く、難儀するはずです。

 真備の弟の家は、目の前が給水場や支援物資が集まる広場らしく、不自由な中でもまだ楽なようです。水道局の施設が水没しているために断水は続きそうです。何か送ってやろうにも、宅配センターも水没ということで何もできません。ただ、心配しています。

 

 さて、その岡山にたいそうな気使い屋の知人がいます。その様子が、ちょっと必死な感じなので、周囲のほうが本人に気付かれないように、彼の好意を無にしないように気を使います。いつもいつも、馴れていないのに、妙にあっちにこっちに気を配る、もう一生懸命なのです。気の毒なくらいです。 そんな彼が、今、避難所にいます。気を使い過ぎてグッタリしないか、これもまた心配しています。

 

2018年7月5日

 

今日、関西は大雨です。そんな中、引っ越しをしているお宅を見ると、こちらまで申し訳ないような気になります。

 

 さて、甘いものをスイーツと呼ぶようになって久しいです。お酒を飲む私は、食後の甘いものをあまり欲しいとは思いませんが、食事の締めくくりを「珈琲と小菓子」でという人はおおいものです。一昔前までは「食後のデザートはいかが?」という話が交わされていましたが、先日のある会で「スイーツどうします?」という発言があり、時代を感じたのでした。もっと言えば、年配の方は「デザート」とすら言わず、「甘いものでも?」という言い方をされます。

 

 スイーツとはいつ、なんどきのタイミングで言われ始めたのかわかりませんが、言葉の変化と同時に、男性の甘いものに対するハードルがグッと下がったような気がします。昔は独りで男性がソフトクリームを食べていたりすると、何となく傍を避けて通ったものです。ところが、今では男性がパフェを食べていても違和感はありません。「甘いもの」はダイレクト過ぎて男らしくないが、「スイーツ」はなんとなく砕けた感じがするのは私だけでしょうか?なんにせよ、男性も心置きなく甘いものを人前で食べられるようになったことは間違いありませんね。

 写真はスイーツ男子から、インドのお土産、ダージリンです。

 

2018年6月30日

 

 来た~!ばかりに蒸し暑いですね。日本の梅雨ですね。

さて、私が青春を謳歌した90年代、歌謡曲はじっくり歌詞を聞かせて、力がある歌手が多かった気がします。今の曲は、何を歌っているのか聞き取れなかったり、よくよく聞いてみればどうでもいいような歌詞の羅列だったりします。歌謡曲はその時代を映すものなので、まったく否定はしませんが、あえて聴こうと思わなくなってきました。

時々、“懐かしの名曲”なんて番組で、かなり年配になったご本人が歌ってくれることがあります。歌手も年月の分、腕を磨き、曲についての思い入れも増すのか、情感たっぷりに歌い上げてくれ、結構盛り上がります。ただ、たまに「?」という人も…。あまりにもこだわりすぎて妙に溜めた唄い出しや、もはやつぶやきのセリフと化した歌詞も頻発して、中には全く別の唄と化していることがあるような…。

  ファンは、「あの頃のあの唄を懐かしんでいることに気付いてほしい」と願っている事でしょう。あぁ、やっぱり旬の歌手が、旬の時に唄うのが一番なのでしょうね。

 

 久しぶりに釣りに行った父が、大漁だったようでお魚が届きました。美味しく頂きました。

 

2018年6月24日

 本日も余震があり、ゆらりと地面ごと揺れる不気味さを感じています。

 

 建築基準違反のブロック塀で幼い命を失った事故もあり、「どうなっとるねん!」と言われています。ただ、ブロック塀を建築士が設計することはほとんどありません。外構屋さんがされることが多いのです。戦後は、家庭のお父さんが日曜大工で作ることも多かったようです…。自分の家にブロック塀が有る方は、これを機に点検して見られてはいかがでしょうか?ヒビが入っているとか、傾いている、錆が染み出ている、角がズレてきている等々「本能的にアレっと感じる」感覚を大切にしてください。基礎部分をちょっと掘ってみてもいいかもしれません。ブロック一個分程度の高さの基礎では足りません。解体現場で、そもそも鉄筋が入っていないブロック塀も見かけますからね。

 

 まだ、ガスが通っていないお家も多く、エレバーターも停止中の建物もあります。災害が起きるたびに、日本人の辛抱強さが賞賛されます。今回も、長時間の電車内への閉じ込め事案が発生したのに、トラブルは聞きません。ハイヒールであろうが、革靴であろうが、誰もが黙々と線路を歩いたのです。何だかもう、日本人であることを誇らしく感じませんか?

 

2018年6月20日

 

 梅雨らしい天気が続いています。地震の影響は無かったでしょうか?我が家は、割れたり壊れたり、結構な揺れでした。アドレナリンが分泌され、その日一日中をふわふわした気持ちのまま過ごしました。

 

 足元が不安定というのは、もうどうしようもなく心もとなく、恐ろしいものです。気が動転して、割れた花瓶の水を先に拭くのか、破片を先に片付けるのか、それさえも悩むほどでした。直後に次々電話は鳴るし、メールがどんどん届く…、中には何年ぶりかの人からも安否確認の連絡があったりして、人の情のありがたさを実感しました。こんな状況でも出勤しなければなりません。同じようなサラリーマンが駅に溢れていました。

 

 帰宅困難者として三時間を歩いて帰った知人は、駅前のお店で運動靴を買って革靴から履き替えたそうです。彼が言うには、一時間以上も電車の中に閉じ込められていたのに、誰も文句ひとつ言わなかったそうです。これぞ日本ですね。

 

 地震大国ニッポン、これからも必ず地震は起きます。備えたいですね。

 

 さて昨日、出版社から私の句集が届きました。宅急便のおにいちゃんが、「中身は“赤い靴”って書いてあるんですけど、重いんですよ」と、玄関の中まで運んでくれました。紛らわしい名前でごめんなさい。地震の余韻で、いまいち気分が盛り上がらないのが自分でも哀しいのですが、嬉しいことには変わりません。「赤い靴」、よろしく。

 

 

 

2018年6月16日

 

 梅雨の晴れ間ですね。

 先日、同級生からオリジナルCDを貰いました。彼のおすすめの曲ばかりを組み合わせたもので、「運転中にでも聞きや」との事。久しぶりの事だったので、ふと、学生時代を懐かしく思い出しました。当時はまだカセットテープが全盛で、CDを買ってはテープにダビングをしてウォークマンで聞いたりしていました。CDが貧乏学生には高額だったので、誰かが買うと、借りてきてダビングする行為が盛んに行われていたものです。中でも、まめな人が居て、オリジナルテープを作成しては友人にプレゼントしたりするのでした。そのテープを通して「こいつ、女性歌手ばかり…」「見かけによらずハードロック…」など、それぞれの隠された個性への認識を深めたものです。意外と期待していなかったのに、はまった物に“さだまさし”なんてありました。

 

 センスの良い友人のくれるテープはお気に入りに、ヒット曲ばかり集めたものはカラオケの練習に重宝しました。お陰で、洋楽にも馴染みました。

 

 それから、かなりの時が経ちましたがマメな人は健在で、相変わらずオリジナルベスト版を作っているのでした。のんびり音楽だけに没頭して聞いていたころを懐かしく思います。

 

あの頃は、あれでいっぱしの大人を気取っていました。成人年齢が18歳になるとのこと。

 

考えてみれば、あの頃、もう大人だったのか…なぁ。

 

 写真は、毎年恒例の叔母からのバジルペースト。今年は作ってから24時間以内に届いたのでひときわ鮮やか!

 

2018年6月11日

 

最近、久しぶりに新幹線に乗ることがありました。到着を待つホームで見かけたのが“サンダル履きの紳士”です。サンダルも庭などで履く茶色っぽい、通称“つっかけ”です。「草むしりにでも行きそうな格好だ、へぇ~」と思っていたら、広島で乗り込んできたのがランニングシャツ姿の若者です。短パンに運動靴をコーディネートしていましたが、ちょっとこちらが恥ずかしくなる感じ。女は駄目でも、男の乳首は許されるのか?!とやはり驚いたのでした。世の中、ここまで来たのか!という感慨に一睡もできぬまま新下関まで行ったのでした。

 

一昔前までは、飛行機、新幹線にはきちんとした服装で乗る、という暗黙の掟のようなものがあったように思います。百貨店へ一張羅を着て行っていた祖父母のようなものです。

 

“つっかけ”も“ランニングシャツ”も家の中でのドレスコード、つまり外出着よりもグッと砕けたものであって、決して公衆の中での姿ではなかったはず。いつのまにか、その垣根が消えてしまっていたのです。電車内で化粧をする女も同じです。

 

なんだか“内”と“外”のけじめが曖昧になり、それをおかしいと思う人も減ってきている気がします。これでいいのか?日本。

 

写真のビスケット、とても貴重なものだとか。懐かしい味がしました。

 

2018年6月5日

 

 昨日、胃カメラを呑んで来ました。最近は鼻からカメラを入れるので「オエッ」となることも無く、麻酔の効きやすい私は、先生に挨拶したのち看護婦さんに声を掛けられるまで爆睡。カメラの映像をリアルに見ることを楽しみにしていたのですが、叶いませんでした。

 

 さて、肉親を癌で亡くした経験のある人は、闘病の苦しさを知っているだけに、癌に敏感です。親、兄弟が癌になるということは、遺伝的にも、環境的にも似ているわけですから、癌リスクは自ずと上がります。あながち的外れな考えではありません。

 

 友人は、父親、兄二人を大腸がんで亡くしてをり、常に癌の恐怖に怯えています。ちょっとお腹が痛かっただけで悶々と悩むのです。居酒屋で「血便が出た!」と大騒ぎしたこともあります。結局はお尻が切れていただけでしたけど…。あまり悩み過ぎて、逆に胃潰瘍になるほどです。

 

 また、更年期の症状を、癌と勘違いして悩みに悩む人も多いと聞きます。人間の勝てないものの一つが癌なので、さもありなんですね。

 

 昨日も、私が寝かされている隣の部屋から先生と老婦人のやりとりが聞こえて居ました。「前にかがむと、ここが苦しいんです」「それは正常です」。「でも、こうやっても苦しくなって…」「それも正常です」。しばらくこのやり取りが続いたのち先生が優しく「無関心もいけませんけどね、気にし過ぎも良くありませんよ」と諭していました。彼女には、心をゆったりさせる?漢方薬が処方されていました。

 

 人の体は透明ではないので、病気がしかと判りません。年を重ねると不調が出てくるのも必定、自分の体と上手く折り合いを着けたいものです。

 

 ちなみに胃カメラの先生は、私にとって消化器科のホームドクター。耳鼻咽喉科、外科のホームドクターは募集中です。

 

2018年5月31日

 

連休に実家へ帰った人も多かったのではないでしょうか?昨今、問題となっている高齢者の自動車危険運転が、我が親の問題となっているのを実感した人もいるのでは?

 

迎えに来た父親が、直後に自転車を引きそうになった友人は、「お前のせいで気が散った」と言い訳をされ、信号無視をした母親に「ほかに通る車はおらん」と言われた友人もいて、それぞれが不安を募らせています。また、ある友人は、両親とデパートに行った先での出来事に心を痛めています。お相撲さん級のご婦人が、弾けた服装でおられたのを、父親がガン見していたというのです。友人の言葉を借りれば「ぶしつけな視線」であり、チラチラ視線を送るのではなく、ジーと振り向いてまで見続けたそうです。「紳士的な人だったのに、変態みたいだった」と哀しそうでした。

 

つまり、“見てみたい”気持ちを“ぶしつけに見ては失礼だ”、と我慢することができなくなっているのです。要は、欲望を制御するべき理性の力が低下しているのです。

 

高齢者の免許返納の問題は、このあたりにあるのではないでしょうか?理性では“これ以上の運転は危険”と判ってはいても。“車があると便利”“車が無いと困る””まだ若い”という欲が勝っているのです。

 

我々の世代は、まだ親子の関係がお友達的ではありません。この現実を、いかに親に伝えれば良いのか、親のプライドも尊重したいから悩むのですよね。

 

写真は頂いた食パンです。何でも最近は高級食パンが定着してきた気がします。「焼かずに食べて」と言われましたが、トースト派にはカリッとした食感が欲しいところです。

2018年5月26日

 

紫陽花の蕾が、どんどん大きくなってきました。梅雨も早く来そうですね。

 

先日、ある方から多量の書籍を頂きました。奥様を無事施設に入れることができ、ご自身の終い支度を始めたそう。愛着のある沢山の本を捨てたり、図書館に寄付するのは忍びないので、厳選したものを知人に譲っているそうです。せっせと「あの人にはこの本、この人にはこの本」と仕分けをして、配っている姿はある意味吹っ切れています。頂いた本を見て、「なぜ、この本を私に?」と思わないでもありませんが…。

 

ご本人は、これで一安心、心の呵責に悩むことなく、すっきりしている事でしょう。私も、頂いたからは片っ端から読もうと思っています。ただ、ちょっとモヤモヤしたものが残ったことは否めません。

 

本には好き嫌いがあります。詩集、評論の類は特に難しいと思います。ましてや哲学の本は、興味の無い人間にとっては何の面白みも無く、意味不明な言葉の羅列に、読むのさえ苦痛を伴うものになります。

「約束」とは「結ぶ」と言います。私は暗黙のうちに彼と、「頂いた本は捨てません」「大事にします」という約束を結んだことになるのでしょうか?

「円虹」誌に新しい連載が始まります。乾北星さんによる「仏像に親しむ」です。お楽しみに。

 

2018年5月21日

 

爽やかなようで、暑いかも…。湿気がないのでまだ大丈夫ですね。

 

さて、政府は“ホームドクター”を推奨しています。いきなり総合病院に行かずに、まずは近くの診療所やクリニックを受診することによって、本当に重篤な人とそれ以外を振り分けることが出来る、という話です。ただ、ここ何年かでホームドクターを二人も失った身としては放浪者のような不安な気持ちになっています。いずれも高齢の為に引退されたのですが、私の体質を正確に把握し、絶対的な信頼を感じていただけにかなりショックでした。

 

新しくかかりつけの医院を探していますが、どうしても今までの先生と比べてしまい、一歩を踏み出せません。病気にもなっていないのに、すでに心は不安で一杯。同じ悩みを抱える人は、きっと多いはず。

 

子供のころから診てもらっていた先生が引退しても、お子さんが後を継ぐ場合があったりしますが、そこはもうやっぱり別なのです。老先生の引退と共に、ベテラン看護婦さんも引退したりで、ホームクリニックの面影が消えてしまうことも多々あります。絵本が消えて、高級雑誌がならんだり。病院の看板は同じでも、愛着、信頼は人物そのものに対して抱くもの。「先生に会っただけで治った気になる」…そんなお医者さんが欲しいのです。おちおち風邪もひけず、怪我もできず、戦々恐々です。来たれ!ホームドクター!

 

写真は実家のサクランボ。毎年、半分以上を鳥に食べられています。

 

2018年5月16日

 

 

 

友人から「エコバックを洗え」と言われ、エコバックは洗わなければならなかったのか!と目から鱗の私です。魚や肉類を購入しても、ビニールに入れずにポンポンとエコバックに入れるので、パックから漏れ出た様々な液体でエコバックは染みだらけ。

 

一時期、景品や粗品といえば「エコバック」だった頃があります。結果、どの家でも大小5~6枚を所蔵していたのです。つまり、古くなれば新しいものと交換すればいいものだと思っていました。よく考えると、エコバックは丈夫なものばかり。汚れても洗えばいつまでも立派に使えそう。それなのに使い捨てていたら、ちっともエコロジーではない、本末転倒、といったところでしょう。しかし、我が家には出番を待つエコバックが封さえ切られずにゴロゴロ…使わずに忘れ去るのも非エコロジー…ああ、悩ましい限りです。いまや意識高め系のサラリーマンも当たり前のように使っているエコバック、浸透しましたね。でも、おしゃれでも、丈夫でもエコバックはエコバック、ほかの使い道は無いのでした。何かあります?

 

連休で鹿児島に行った友人から、カルカンを頂きました。大河も手伝って、今、鹿児島が熱いようです。

 

2018年5月9日

 

朝の連続テレビ小説の主人公と同じ年です。同級生の男の子に、あんなハンサムはいませんでした。みんな、スポーツ刈の毬栗君でした。まぁ、バブルを謳歌するには若干ずれた世代なのですが、あのころの世の浮かれようは記憶にあります。当時、“食事代は当然男性が払う”という風潮があり「メッシー君」という言葉があったほど。好意をもっていようがいまいが、とにかく男性がお金を払うのが当たり前でした。ある意味、男性にとっては受難の時代でもあったわけですが、明確に男性上位であった最後の時代でもありました。ただ、バブルを経験した男性は、今に至っても、まことにスマートにお金を払います。慣れているのです。それに比べて今の若い男の子たちはどうだろう。一様にもじもじしているように思います。割り勘であっても、誰か活発な女の子が「独り○○円ね」と言ってくれるのを待っている。お金に関することだけではありません。「今度の休みに水族館へ行かない?」という男性は絶滅寸前で、「ねぇ、どこ行く?」と彼女の指示待ちな調子です。いつの間にか時代は女性上位になっていた訳です。

 

バブルよ再び!とは思いませんが、バブル時代がリバイバルしている今、当時の男性の様に、男の自信もリバイバルして欲しい、と思うのです。

 

写真は、ハワイ土産のバーベキューソルト。ガツンとスパイシーな味になります。肉は男が焼くもの。復権の手始めに、家族に肉を焼いてみてはいかが?

 

2018年5月2日

 

近所の公園で親子が四葉のクローバーを探していました。何故か、失ってしまった数々の気持ちをしんみり思い出しました。皆さんは、ゴールデンウィークを楽しんでいますか?どこへ行っても混んでいますが、寂しい遊園地よりは割と好きです。

 

さて、連休中に車の運転をする人も多いでしょうが、皆さんは客観的に配偶者の運転を見たことがあるでしょうか?後輩のA君は、地元の市役所に勤めています。おのずと市内を頻繁に車で移動するのですが、ある日、妻の運転する車に出くわしました。彼が大事にしているイタリア製の車に乗った妻は、見ている自分が恥ずかしくなるほどマナーが悪かったそうです。まぁ “高級外車に乗ったイケてる女“を気取った奥さんの気持ちも判らないではありませんが、夫に見られたのはまずかった、という所でしょうか。日頃、夫の前では猫をかぶっているのがバレた…、と女からすれば些細な一件でも、男性からすれば衝撃的。そう、男性はとってもデリケート。A君は妻に対してすっかり冷めてしまったのでした。

 

一度失ったものはなかなか取り戻せない。当たり前ですが、誰が見ていようがなかろうが、マナーは大事。そのほうがずっとスマートです。

 

写真は、牡丹です。今年は早くも盛りを過ぎています。

 

2018年4月28日

 

暑いですね。ツツジがもう満開です。

 

この時期、あちこちで新人アルバイトを見かけます。立ち寄った居酒屋でも、男の子と女の子が研修真っただ中でした。客の案内から始まって、給仕、片付け、注文の取り方に、注文の通し方、と覚えることは満載の様子。ところが古参の給仕さんの教え方が“いちいち”まずいのです。細切れで「ほらあそこ」「これはここ」と、指示はキビキビしているのですが、いまいち判りにくい。「蟹料理のお客様には、手が汚れるからお手拭きを多目に」「カレーうどんは服に飛ぶので紙エプロンを」という説明さえすれば、アルバイトさんはすぐ理解して優秀な戦力になるはずです。「このお客さまにはこれ」「このテーブルはこれ」ではアルバイトの二人は右往左往するばかりで、なんだかとてもかわいそうでした。古参の給仕さん自身は、行動に無駄が無く、“できる給仕さん”ではあったのですが、教えるのは下手な様子でした。

 

人に物事を教えるのが上手な人が居れば、もちろんその逆の人もいるわけで、後者に当たる不運はいかんともしがたい話です。また、教えやすい人もいれば、教えにくい人も居るわけで、新しい上司、新しい部下を迎える4月は、まさしくあちこちに春愁が溢れているのではないでしょうか?

 

写真は、知人の亡くなられた大叔母様の句集です。毛筆で書かれた雅な作りで、初めてこんな句集をみました。もちろん印刷物です。

 

2018年4月21日

 

気持ちの良い天気もですが、少し暑いのが残念です。

 

さて、「もしナンでしたら、アレしときましょうか?」「申し訳ないですけど、そうしてもらえますか?」と、先日交わした会話です。まさしく他人が聞いたら全く意味不明の内容です。ただ恐ろしいことに、私には「もし手間で面倒だと思っているのなら、こちらで資料を転送しておきましょうか?」という意味が完璧に伝わっていたのでした。このアレ・ナン・ナニという言い回し、若い人達にはなじみが薄いかもしれませんが、日本独特の言葉でしょう。会話している当事者の間で共有しているものがあれば、立派に成立します。

 

人の名前が出て来ずに「アレ、アレ。あの人なんて言ったっけ?」とは“アレ”違いです。先の場合は、こちらが言いにくいことを先方が気遣って、先回りしているわけですが、このように“相手に言いにくいことをズバリ言わせない“文化が実に日本的です。痒い所に手が届く、おもてなしサービスが売りの日本。なかなか外国の方には理解できないだろうなぁ。好きですけどね。

 

写真は、姫路の狛犬です。新緑の中、吟行に行ってきました。

 

2018年4月16日

 

先日、義理の母が姪に「あと五年で死ぬから、それまでに結婚式に呼んでね」と言うのを聞きました。どうも平均寿命までの残りをカウントしたようです。皆さん、平均寿命という言葉に騙されていませんか?平均です。つまり約半分はそれ以上随分な長生きをする…、という現実を見逃しているのです。卵が大好きな知人は、「もうすぐ八十歳だから、少々コレステロールが高くなっても構わない」、と日に六個食することを良しとしています。

 

つまり、どうせもうすぐ死ぬのなら好きなものを好きなだけ食べたい、ということでしょう。

 

しかし、肌艶も良く、かくしゃくとしている彼はまだまだこの先の人生を楽しめそう…。結果、高血圧で苦しむ何十年もが待っていたら、どうするのだろうか…と心配になります。

 

 一昔前まで、国別の平均寿命を比較して、ぐんぐん伸びて行く我が国を誇らしく思っていたものですが、最近は「また平均寿命が延びた」と聞くと誰もが微妙な気分になっている…。健康寿命、という言葉もできた今、誰もが安心して、幸せに寿命を全うできる世が来ることを願います。

 

 写真は、アルミ缶のプルトップ。皆さん、集めて下さい。これで車椅子を贈る活動をしている句友に渡すと、大変喜ばれます。月子に渡してくれてもいいですよ。

 

2018年4月11日

 

赤芽がきれいな時期になりました。私はこの赤芽が大好き。いかにも柔らかそうで、緑色に変わるまでのわずかな時間をいとおしく思います。

 

さて、手紙には手紙で、はがきにはハガキで返事を出すようにしています。それも、届いたら間髪をいれずに返事を出します。なぜなら、手紙にはまったく不要であろう、臨場感が大事だと考えているからです。読了後の感情が消えないうちに返事を綴るようにしています。ところが、感情のままガァーと書き綴ると、しばしば誤字脱字が生じ、気が付かぬまま投函、という事故が起こります。年齢を重ねたこの頃は、より頻繁に事故が発生するようになり、先日も「応募」を「応慕」と繰り返し書いてしまった手紙を勢いのまま投函してしまいました。反省。手紙とは、もっと丁寧に一字一字を大切に書くべきですよね、やっぱり。

 

実は、日々届くメールや郵便を寝かせていると、忘却の彼方に置きっぱなしになりそうなのが恐かったりもするのです。こうやって偉そうに書きましたが、お返事、出していない人がおられましたら申し訳ない限りです。

 

造幣局の「桜の通り抜け」が始まりました。ことしの桜は「大提灯」、白いきれいな八重桜です。

 

2018年4月6日

 

新社会人で電車が混んでいます。さらにやっぱり皆、スマートフォンを見ています。初々しい感じがしないのが残念です。

 

さて、「円虹」誌のために、毎月、原稿の依頼をします。この頃感じているのが、電話を受けるのが夫君であることが増えたな、ということ。リタイア後、自宅でゆっくりされている、もしくは活動的な妻に対して留守番をしている、といったところでしょうか。そして彼らに共通しているのが、一様に不機嫌で、「円虹」という名前を知らない、と言う点です。エンコウと言えば、“援交”の二文字が浮かぶのか、最初は恐ろしく不遜な態度をとられることもしばしばです。とにかく、俳句の結社であることを伝えるのに時間を要します。

 

聞く話によると、リタイア後の御主人達にとって、郵便物は全て妻宛、たまにかかってくる電話も妻宛、という状況は納得しがたいらしいのです。「俺の家だ!」という所でしょうか?判らないこともありませんけどね。

 

もう一つ、年配のかたに「はい、はい」と返事を重ねる人が多い、と言うことを感じています。これ、祖母も同じでした。「返事は一回」と叱るわりに、なぜか電話にだけ「はいはい」だったのです。なぜでしょうね。

 

取りあえず皆さん、家族には結社の名前を伝えておいてもいいのではないでしょうか?

 

下の写真は「春の集い」の集合写真です。間に合わずに帰られた方も沢山いらっしゃいますが、こんなに大勢でした。

 

2018年4月1日

 

桜、桜と思っていたら、もう盛大に散り出していて、寂しい限りです。

 

さて、国会で「公文書改ざん」問題が騒がしかったですが、毎日飽きずにニュースをみていました。

 

かつて公務員であった者として、政治家が国会以外での聴聞会等で、役人に対してぞんざいな口調で怒鳴るのをいつも非常に不快な気持ちで見ています。きちんと丁寧な言葉で話してくれる政治家もいるなかで、態度が際立っています。そういう議員の顔はしっかりテレビに映すべきだと考えます。

 

今、鬼の首を取ったがごとく追及している議員にも、「○○省○○局にねじ込んだ」という人がいるでしょう。それ程、政治家からの依頼、要求は日常茶飯事です。「ソンタク、ごり押し、言うのやったら、あんたも○○省でやったやろ!」とは決して言わないのが公務員です。辛いところですね。公務員も大切な有権者、ということを忘れていないでしょうか?どんなに追及する場面でも、礼儀は必要です。公僕であっても、政治家の下僕ではないのです。勘違いしている政治家が多いのが実際です。そういう政治家は、選挙に通ってしまえば、同じように有権者より自分は偉い、と勘違いした議員になるのではないでしょうか。どの議員が、どういう人であるのか、観察する良い機会だと思って、連日、飽きずにニュースを見ています。

 

今日はエイプリルフール、騙されないように。

 

2018年3月27日

 

25日に開催された「春の集い」は、穏やかな日和の中、盛況のうちに無事終えることができました。ありがとうございました。例年の行事として、場所も定着し、このまま回を重ねていけたらいいなぁ、と思っています。当コーナーを飽きずにずっと読み続けて下さっている方々からも、沢山の声を掛けて頂き、嬉しく、また励みになりました。

 

さて、当日はあちこちで記念写真を撮る姿が見られました。実は、写真に写るのが大の苦手です。自意識過剰なのでしょうか?まずもって、表情を止めるのが苦手です。そのせいか、不自然に歯茎を剥き出しにしてみたり、白目をむくほど目を見開いたり、口は笑って目は死んでる…、とにかくろくな写真がありません。そんな人生を続けて来て、カメラに気付いたら顔をそむける癖がついてしまいました。その点、句友のFさんはいつも自然な写真を撮ってくれます。気付かないうちにどこからか撮影してくれるので、我ながら自然なのです。「横から見たら、意外と膝が出てるなぁ…」なんて不細工そのまま、繕うことなく写っているし、目線は外れていますが、私にはそれで充分。

いつも写真撮影、となると押し合いへし合い集まって来る人達は、どんな心持で表情を作っているのでしょうか?

 

今年のケーキは苺のロールケーキでした。生クリームが上等でした。来年はどんなケーキにしようかなぁ。お楽しみに。

 

2018年3月21日

 

冷たいですが、もうすっかり春の雨です。あらゆる蕾がほころび始めていますね。

 

先日、仕事関係で「私達、友達でしょ」と言われて戸惑うことがありました。彼女とは、三回程度の面識なのですが、何か誤解させるようなことをしたのか…と一日考え続けた次第です。

 

「自分を幸せにしてくれる友を持ちなさい」と言われたのはずいぶん前の事です。人生の大先輩が言うには、「友の存在は、伴侶以上に自分の人生の色取に大きくかかわる」とのこと。「嫌な相手を切り捨てるのは、痛みをともなうかもしれないけど、我慢よりいい。我慢は澱のように積もり積もってボディーブローのように効いて来る」とおっしゃるロックな生き方にすっかり魅了されてしまいました。

”友“というのは、お互いが「あなたと私はお友達ですね」と確認してなるものではありません。つまり、一方が勝手に思い込んでいることも大いにありうるので、結構難しい。更に、友へのハードルが非常に高い人も居れば、低い人も居るわけです。知人と友人は全く別物ですし…。そして何よりもまず、自分自身が、相手に幸せを与えるような人間なのか…、考えさせられます。でも、会うと幸せにしてくれる友はありがたい。陽気に誘われて外出が増える時期が来ました。25日の「春の集い」でも出会いが有る事でしょう。新しい出会いが、幸せにしてくれるものであることを切に願います。

 

2018年3月15日

 

いきなりのポカポカ陽気に、枝垂れ桜などは蕾が色づき始めました。

 

写真は関西の春の名物「イカナゴのくぎ煮」です。句友のSさんが作ってくれました。料理上手のSさんのくぎ煮は、固すぎず柔らかすぎず絶妙な塩梅です。岡山名物の“ままかり”とは別の味わいですが、これもまたご飯をペロリできちゃう美味しさです。

 

さて、世の中には奇行が溢れていますが、そんな場面に出くわした時、人はどうすればよいのでしょうか?過日、マンション内エントランスに大量の“おでん”が帯状に捨てられました。深夜早朝といった時間帯ではなく、白昼の監視カメラがガンガンに監視している場所にです。毎朝、エントランスにモップ掛けまでしてくれるお掃除の人のギョーテンぶりが目に浮かぶようです。監視カメラの映像を確認すると、そこにはある住人女性が鮮明に映し出されてをり、いたしていた訳ですが、コソコソするわけでもなく、不本意にもこぼしてしまったわけでもなく、淡々と意志を持って捨てているのです。鍋から次々と流れ出る大根や、卵に、おでんの匂いまでもが伝わってくるようでした。これは紛れもなく“奇行”であり、あまりの異常さに理事全員がゾッとしたのです。まさしく「どうしたらいいのか…」、人の心の闇に対して、我々は無力であることを痛感した次第でした。

 

各人の心の孤立感が高まっている世の中です。奇行に出くわす頻度は増すでしょう。いちいち狼狽えていては体がもちません。これからは、逆に、こちら側が備えて居なければならないのかもしれません。つまり、奇行に耐えるメンタルが必要になってくるのでしょう。

 

それにしても、おでんまき事件が何かの儀式だったらどうしよう、といまだにモヤモヤしている私はメンタル弱めです。

 

2018年3月10日

 

寒さの底も今日までとか。青い空が眩しいですね。

さて、独身貴族も極めれば“行ったことの無い行きたい国”を思いつくのも難しくなってきます。モンゴルの遊牧民と暮らしてみたり、氷河の欠片でウイスキーを飲んだり、インドのヨガ合宿に参加したり、とニッチな旅を追及するようになるらしいです。そんな知人が、先日、オーロラを見に行きました。

自分への投資は惜しみなく行って来た彼は、一ミリの脂肪もゆるさぬ身体に語学力という鎧を身にまとい、人生を謳歌しています。話し上手でもある彼の土産話は、毎回、非常に楽しみにされています。特に今回はフィンランドのオーロラです。何でも、オーロラの幻想的な美しさは、「一度見たら人生観が変わる…」とまで言います。当然、話を聞く前から周囲の気分は盛り上がりました。ところが、「オーロラねぇ。煙?白いぼんやりした雲のようなものだった」と何だか判ったような判らないような話をするのです。これには甚だがっかり。緑色や赤色の帯状の光が、ヒラヒラと動くのは写真や映像の技術らしく、実際はそうは見えないのだそう。一同、聞かなきゃ良かった、と思った次第です。

 

世の中、聞かなければ、知らなければ良かった、と言うことが結構あります。昼間のホストや、ラジオのパーソナリティー、どれも想像とのギャップが大きいほどその衝撃度は増します。オーロラの話には、かなりやられてしまいました。残念感が半端ありませんでした。

 写真は我が家の「オラフちゃん」。ちょっとフィンランド感を出してみました。

2018年3月5日

 

気味の悪いぐらいの暖かさです。もっとも明日からは、また冷え込むらしいですが。

 

さて、最近、自分の身に起きたちょっとした話を、一つ。白髪や、シミ、老眼といった老化現象は、目に見えるのでそれなりに認識、納得できます。でも、見えない所の老化も粛々と進行しているのを忘れてしまいがちです。先日、唐辛子が山ほど入った激辛ラーメンを食べたのですが、夜になってもお腹がすきません。それどころか、どんどん激しくなる膨満感に、「このなんとも言えない不快感はなんだろう」と思っていたのです。そう、これが胃もたれ。今まで、どんな暴飲暴食にも耐えて来た私の胃が、ついに衰えて悲鳴を上げたものと推測します。胃薬はオヤジが飲むものだと思って来たのですが、ついにお世話になった次第です。そう、いつしか私もどっぷりと”オヤジ“世代の仲間入りをしていたのです。内臓や筋肉、骨、といったところは見えない部分であるがゆえに、どこか「まだ大丈夫」と思ってしまいがちです。そんな訳はなく、もちろん着実に老化は進んでいくのです。でも、当然のことながら、やっぱりショック。ああ、これからは体の中も労わろう、と思います。健康第一ですからね。

 

写真は回転焼き、大判焼き、御座候と色々呼び名があるおやつ。これを食べて胃がもたれるようになったら、もう、人生が終わりそう。

 

2018年2月27日

 

春めいてきましたね。神戸では春の名物、イカナゴ漁が解禁になりました。年々、漁獲量が減り、値段が高騰していますが、今年も町中にお醤油と砂糖の匂いが広がるのでしょうね。

 

先日、あまりに多量に届くセールスのメールに我慢がならず、携帯電話の“迷惑メール着信拒否”を“弱”から“強”に変更しました。ところが、途端に「メールが送れない」という苦情が…困ったことです。なぜそういうことになるのか、皆さんにはご迷惑をおかけしています。

 

届かない…と言えば、日々、色々な荷物が届きます。どの宅配業者さんも担当エリアが固定化されているようで、同じ人が何度も配達に来てくれる気がします。中でも一番感じが良いのが○猫の配達屋さん。例えば、不在連絡票が入っていたので、連絡しようとしている内に“ピンポーン”ときてビックリ。「前の道を歩いいたから…そろそろかなって」…泣けます。たまに父から鮮魚が届くのも判っていて、箱の大きさや、重さから「大漁だったみたいです」と、ホッコリさせてくれます。重たい飲料も決して宅配BOXに入れません。「奥さんには重いから、中まで運びますよ」もう号泣です。

 

彼らの過酷な仕事ぶりが話題になっていますが、本当に大変だと思います。「今すぐ来て」「1300きっちりに来て」という人がまだまだ多いのだとか。かっこいい配達男子ばかりというわけではありませんが、自分の大切な荷物を、自分の代わりに運んでくれている、って考えられないですかね。

 

写真のお菓子も、宅急便で届けてもらいました。

 

2018年2月21日

 昨日は三月に控えている、「春の集い」の打ち合わせに元町のラッセホールへ行ってきました。帰りは春節に湧く中華街から少し外れたお店で美味しい点心を堪能してきました。

 さて、主宰が第二句集を出されました。注文用紙が「円虹」誌に挟み込まれますので、皆さん是非、手に取って見られてください。「春の集い」でも販売します。運が良ければ、先生が一筆書いてくださるかも!

 全く話は変わりますが、叔母の大川栄子が本日から三日間、BSフジに出演します。夜の10時からの「クイズ!脳ベルSHOW」という番組で、レトロな雑学を競うそうです。収録ものなので、私は結果を知っていますが、内緒。暇な人は、見てやってください。

2018年2月17日

 

今朝は、関西ラジオに句友が出演したので久しぶりにAMラジオを聞きました。AM独特の音声に親しい人の声が載っているのは不思議な感じがします。そして、きちんとしゃべれるのか…はらはら心配しながら拝聴したわけです。彼の毎日欠かさず一万回以上も山に登り続けているエピソードには、継続の心構えを教えられたような気がします。「辞めたいな、きついな、と思っても続ける。記録を残すということはそういうことじゃないか…」という言葉は胸に響きました。

 

さて、最近、本当に漢字が書けなくなりました。どうでもいい漢字も、電子辞書に頼る情けなさ…。先の句会では「薄氷」の“薄”に点が有ったか無かったかが曖昧に…恥ずかしい話です。人の名前はさらに難問。担当教授だった人は“益三”と書いて“ますみ”という名前でしたが、結構な割合で“ますぞう”と読まれていました。

自営業の友人は、いつも領収書を貰うのですが、あまりに名前を間違えられるのでうんざりすると言います。大抵、書けないか、カタカナで書かれてしまうそうです。先日などは「野原の“野”に、鍋の蓋の“蓋”ですか?」という爆笑珍問答となり、切れかけた…、とのこと。そう、彼の名前は“信田”。鍋釜の“蓋”もハイレベルな気がしますが…。

 

何でもかんでもメールやパソコンで済ませる時代。難しい漢字でも、漢字を知らなくても、コンピューターが自動変換してくれます。この調子で、どんどん漢字を書くことは出来なくなっていくのでしょうね。自分の忘却度合いが悩ましいこの頃です。

 

写真は今日の青空です。醜悪な電信柱も、こうやって見ればアートです。

 

2018年2月11日

 

 昨日は、冷たい雨の一日でした。そんな日でも乳母車(古い、ベビーカー?)を推した若いママが沢山電車に乗っていました。すっぽり覆うビニールカバーをしているので、赤ちゃんは濡れないのでしょうね。先日、「電車やバスで子供がグズルと罵倒されて肩身が狭い」という記事を目にしました。今日のように混んでいて、雨の日は気を遣うのだろうなぁ、と見ていた次第です。でも、被害者意識の強い反面、親のモラルも低下していると思うことが多々あります。

 

 先週入った薬局の自動ドア、通りに面しているからか、やたらと子供が悪戯で開けるのです。ドアが開くたびに、薬剤師さんが腰をあげて「いらっしゃいませ」と言うのですが、もちろん空振りです。私のいた30分程度の間に、三回、つまり三人の子供がそれぞれ同じ悪戯をしたのですが、残念なことに連れている親は誰一人、謝罪はしませんでした。知らん顔です。それどころか「危ないよぉ」と見当違いの事を子供に言う親まで居る始末。迷惑をかけている、という発想にはならないのか?子供のやることだから大目にみてね、って感じでしょうか?なぜ、悪戯で自動ドアを開けてはいけない、と言うことを子供に言うことができないのか?それが躾です。

 

 ミンチ肉に次々と指を突刺していた子供の親は、「手が汚れるよ」と子供に言っていました。そうではない、「やってはいけない」と何故言えないのでしょうか?なんだか、先行き不安になるこの頃です。

 

 写真は「HARIBO」というドイツ土産の超固いグミです。ちっちゃいのに、ちゃんと熊の形をしています。色によって、味が全部違います。異国チックな味がしました。

 

 

 

2018年2月6日

 

先日、仕事先で孤高に咲く山茶花の巨木を見ました。山茶花を見ると、いつもある句友を思い出します。郷里の山茶花の根元に、自分の句碑を建てた人です。愉快な人で、どの句会でもいつも人気者。一緒に居ると笑わせてくれるし、意外な方面の知識も深い。お遍路も何度もされている一方、パソコン関係も器用にこなします。酒が飲めないのが玉に傷。不思議な人です。思わず写真を撮りました。

この写真を添えて「山茶花をみたら思い出す人が居る」という内容の“つぶやき”を書こうと思っている矢先に、その人から手紙が届きました。

  手作りの吟行記ならぬ、吟行新聞を送ってくれたのです。毎回、吟行に行くと、その時の様子をそえた記事をカラフルな新聞仕立てにするそうです。参加しなかった人にも、楽しさがうかがえる手の込んだ紙面に感心感心。

 

こういう偶然、悪くない。それどころか以心伝心。世の中、たまにこういうことがありますよね。素敵です。

 

2018年1月31日

 

 先の雪の日、マンションの廊下で雪達磨を見つけました。よく見て下さい。今風に両手はオリーブの枝です。万歳しているのも可愛いらしい。二三日、溶けずに居ました。

 

さて昨日、「言われないと分からない」「ニュアンスで分かるだろう」というやり取りを交わし、少し考えさせられました。どうやら、“わざわざ言うまでもない”という考えはもう通用しないようです。

 

 ニュアンスを推し量るのは日本人の得意とする分野で、美徳でもあります。が、今それが消えつつあるようなのです。何十もの人種が入り乱れるアメリカなどは、はっきり意志を言葉にして表さなければ、相手に伝わらない、という事情があります。その点、日本人は、言葉も歴史も文化も共有しています。そうした背景があるからこそ、の推して量る文化が育ちました。ところが、ラインやメール等のやり取りが増え、生の会話を交わすことが減った現在、相手の表情から感情を汲み取る場面が減りました。さらに言えば、相手を思いやることも減ってきた?ようで他人に無関心。

 

 だから、という訳ではないでしょうが、どうも若い人達は、微に入り細に入り事細かく指示を受けることに馴れています。逆に、言われないことはやりません。なんとなくスッカラカンの人間になっていくようで怖いです。

 

 俳句はまさしく推し量る文学です。皆まで言わない、これを良しとします。この文学が伝わらないような日がくるのか…なぁ。なんてちょっとしんみり考えさせられました。

2018年1月26日

 

この寒さはまだまだ続くとか。長いですね。こんな冬は久しぶりです。 

さて、こんな寒い日は、ジッと一か所に腰を落ち着けて、暖かい飲み物を手に映画なんていいですね。もしくは無意味なおしゃべりでもホッコリできそうです。

 

「無人島に行くなら、何を持っていく」「人生最後の日、何を食べる」こういった話題は盛り上がります。「どこでもドア」や「船」、という人はちょっとつまらない。「水」なんて言う人は論外。「耳かき」と答えた友人に深く共感したり、「吉川英治」という意見に、その手もあったか…と感心したり、回答によってその人となりが浮き上がってくるようで、面白いと思います。益があるような話ではないですが、こういう話ってどこか救いがあって好きです。家族と地味に、じっくり話すのも、たまにはいいですよ。

 

写真は懐かしいお菓子、今でも売っているのですね。友人の手土産です。ホッコリおしゃべりしました。

 

2018年1月21日

 

明日から、グぅ~と冷え込むみたいで、今日は貴重な晴間ですね。でも、日差しは少し春めいてきたように感じます。

 

さて、北欧出身の人達は、日本の冬の寒さもヘッチャラのようで、Tシャツ姿で歩いていたりします。

 

先日、「サッパリ!」とカタカナが書かれたTシャツを着ている男性を見かけました。「サッパリ」?さっぱりわからない?すっきりさっぱり?意味不明。彼が何故そのシャツを選んだのか、聞いてみたくてたまりませんでした。

 

後日、外国人にとって、カタカナは最高にクールなのだということを知りました。漢字は日本だけのものではないですが、カタカナは日本だけのものです。ひらがなについても同様のことが言えるのですが、不人気だそうです。カタカナは比較的、誰が描いても読みやすい。何よりも形がクールだそうです。

 

 この「サッパリ」のTシャツ、日本人が「PRINCE HILLS」(つまり「王子の丘」)というヘンテコなマンション名をつけるのと同じと言うことです。こういう話を知ってしまうと、観光客が着ているTシャツから目を離せませんね。

 

写真は西宮の震災公園です。17日の震災記念日の前後一週間ぐらい、三々五々に人々が訪れて祈りを捧げます。

 

 

 

2018年1月16日

 

少し季節が動きだした気がします。三寒四温と言いますから、まだまた冷え込むのでしょうが、一雨ごとに春が近づきますね。

 

この冬はとても寒いのに、若い子たちの足元に驚かされます。男の子も、女の子も、革靴に裸足。パンプスに裸足。そんな足元の若者が結構いるのです。見ているこっちまでペッタリ、ヒンヤリと寒くなります。オシャレのつもり?でしょうね?モデルや俳優が、裸足で靴を履いているのをよく見ます。それらをお手本にしているのでしょうが、ちょっとみっともない感じも否めません。

 

以前、靴修理屋さんから「日本は湿度が高いから、裸足で革靴を履くのに適していない。靴を傷める」と聞きました。それにヨーロッパの人達だって、冬は靴下やタイツを履いています。知らないのかな?

 

写真は、アロマオイルを染み込ませて使う石膏の置物です。友人の手作りです。あまりに可愛らしいので使えずにいます。

 

明日は鎮魂の日。朝から震災記念公園へ行きます。

 

2018年1月10日

 

冷え込んできました。蛇口から出て来る水は、外の寒さと同じかそれ以上に冷たく感じます。そのまま使うと、食器の油が固まり排水管が詰まるので、家事にはなるべくお湯を使うようにしています。油とお湯は仲良し。つまり、おのずと手の油分はお湯と共に流れ、肌はカサカサ状態に。カサカサになった肌は、なんとなくいつもより怪我をしやすいような気がします。そこで手放せないのがハンドクリームです。もともと乾燥肌なので、必需品です。ひどいときはレスキュー的に顔にも塗るため、その銘柄選びには毎年、力が入ります。高額な高級保湿美容液?よりもこっちのほうが意外と有効だと信じています。

 

さて、年明け早々に、ルフトハンザ航空のCAをしている方から、ドイツ製の缶入りハンドクリームを頂きました。伸びはいまいちで、薬品チックな匂いがいかにも実用的。ですが、逆にこっくり濃厚なベールが手を覆ってくれるようでとても優秀でした。今年の主宰のドイツ旅で買ってきてもらおうかなぁ、なんて考えています。キティちゃんの柄は、今年の限定品なのだそうです。

 

2018年1月4日

 

あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

 

さて、年始早々に「別れ」の話もどうかな、と思いますが、お付き合い願いたいと思います。先月は納め句会が数多く開かれましたが、ある会の散会時に「さようなら」と声を掛けてくださった方が居られました。これが非常に新鮮で、印象に残ったのです。

 

昨今、「じゃ、また」とか「お疲れ様でした」といって別れるのが定着しているように思います。かくいう私もそうです。「さようなら」というのは、「左様なら、そろそろ今日は帰りましょう」といった別れ際の挨拶が短縮されたものです。つまり、接続詞が挨拶になったわけです。そして今では、生徒が先生に、または先生が生徒に使う以外には、あまり聞かなくなってしまいました。

 

「さようなら」という彼女の声が、今も耳に美しい調べで残っています。私も使ってみたいのですが、妙に照れくさく、出来ないでいます。「こんにちは」は言えるのに、不思議です。今年は、美しい日本語を使うように努めたいと思います。