藤本 たけるの

「俳句、そぞろ歩き」


 

(70)  鮊子のくぎ煮

 

 

 

 階下へおりていくと、なんとも云えぬいい匂いがした。土生姜と醤油のようであり、山椒のようでもある。大きな鍋で妻がなにかを煮ているのだ。まさかなあ、と思ったけれど鮊子だった。まさか、というのは、鮊子は今年も不漁らしくキロあたり4千円近くもの値がついているからだ。

 

 やったね! と云えば、やったよ! やっぱり一度くらいはねえ。と返事が返ってきた。刻んだ生姜と山椒の実が皿の上に盛り上がっている。山椒は去年摘んでおいた我が家の地産ものだ。どうやら妻はこの日のために着々と準備をすすめていたらしい。

 

 

 

いかなごにまづ箸おろし母恋し       高濱虚子

 

わたしには鮊子のくぎ煮に母の思い出はない。60年前には鮊子が手に入らなかった。流通というものが今のように進んではいなかったから、その日の新鮮なものなど到底無理だったのだ。虚子先生は幼少のおり、松山でお母上の煮てくれたものを堪能したのだろう。先生はくぎ煮を味わいながら瀬戸内のゆたかな春を想ったことだろう。

 

 

 

を量るに何と大雑把           山田弘子

 

◆なんとまあ豪快な。今ではどうだろうか? 慎重に慎重にはかるんだろうな。大げさに思えば、突き出しの小皿に乗っかったくぎ煮は、一尾30円くらいもするんじゃないか? このままだといずれ鮊子のくぎ煮も、庶民には手の出ない高級料理になってしまうのではないだろうか? 

 

 

 

小女子のまなこのほろと煮くづれぬ   成田智世子  (魚座)

 

◆日が暮れはじめてどうやら煮あがったのか、小皿にほんの少々、味見をどうぞと妻が差し出してくれた。うーん酒だなあと、まだほのかにあたたかいくぎ煮を口にした。山椒の実がぷつりとはじけて、春の味が口中に満ちた。    〆

 

 

69) 寒い春に……。

 

春とは言え、まだまだ寒さが続いている。円虹・春の集いの日からこのかた、ずっと余寒が続いている。2月ももう半ばなのに、冬型の気圧配置だ。とは云え、家に籠もってばかりでは俳句は生まれがたい。著ぶくれをしてでも外を歩かないといけない。とまあ、山じゃなく街に出た。

 

月に一度の飲み会だ。勤め人時代の先輩方と、昼からビールなど飲みながら無駄話を重ねる。退職以来だからすでに10年近く続いている。話題に進化はない。息災を確認しあうだけのような場、気が置けないいい酒だ。

 

❖大阪の、いわゆる南でのこの会に行くのにはも一つの楽しみがある。古本屋を覗くことだ。この10年のあいだに古書店も少なくなった。天牛も天地書房も移転してしまった。焼き鳥屋になったり居酒屋になったりしている。つまらないことになっている。

 

❖それでもやっぱり古本屋にはときめきがある。昨日もそうだ。いつも通りの店で、いつもの文学系書物の棚で思わぬ1冊を手に入れたのだ。まず目にはいったのは書題だ。『俳文四季』という。俳句そぞろ歩きの参考になるまいか? などという下心だったのだ。箱入り布装の上製本で、珍しい軟表紙だ。軟表紙というのは辞書の表紙のように、丸めて持つことができる装丁だ。それからこの本、左右の寸法が定型のものよりやや短かくしてある。微妙に縦長なのだ。粋な本だった。

 

 作者は皆吉爽雨、第一回飯田蛇笏賞を受けたホトトギスの俳人だ。秋櫻子がこの人の顔を「俳句で煮しめた貌」と云ったなどと云われている。

 

 本文は、俳句随記、好日句文、俳文四季、選後の俳談、五百字俳話の五つにわかれている。味わい深そうな一本だ。

 

❖家にもどって表紙をあけて驚いた。自句が墨書されていたのだ。落款もある。なんとまあ! と感激した。

 

  かゝまれるかんばせおほひ牡丹咲く     爽雨

 

というものだった。

 

やっぱり俳句はいいなあ。古本はいいなあ。                 〆

 

 

68)  どんど

 

 

 

 はや小正月。新しい年を迎えてから15日が過ぎた。年明けは、日の光に恵まれたあたたかい三日で、よき一年になるだろうという予感に満ちていた。そして今日、どんど場に松飾を納め、立ち上がる火に焼べた。「お正月様」が帰っていったのだ、平常の人の暮らしがはじまってゆく。

 

 

 

❖わが家では、煙も注連の灰も流れくるすぐそばの八幡様へ飾りを収めた。どんど場には近隣の爺様たちが白い法被をはおり、お神酒をちょいと一杯ひっかけたせいもあるだろう赤い顔で、火を守ってくれている。「このバケツ漏れるから、今年は新調しようよ」と、一年の計などを語りあっている。

 

どんど守白い法被に赤き面    藤本たける

 

❖古くは、盆と正月はおなじ魂祭であったのだそうだ。その時には荒ぶる霊魂を追い払う火祭を執りおこなうのが共通の大事な行事だった。14日の夜におこなうところもある。

 

「どんど、とんど」というのは、この火祭りの囃子言葉、掛け声であった。「どんどん焼べろ、みな焼べろ」とでも囃しながら飾りを焔のなかに投げやったのだろう。

 

 

 

   火柱の星座をこがす大とんど    山田弘子  円虹例句集 彩

 

 夜のどんどは雄大だろうな、盛大だろうな。星が降るように夜空が輝いていたころなら、きっと星座を焦がすかもしれないと見えるんだろうな。勢いよく、景気よく焼べよう。

 

 

 

❖わが八幡様のどんどには、去年の台風で倒れた大樹が使われていた。1メートルほどに切られている太い幹を、白い法被の爺様たちがよいしょよいしょとどんど場に落とし込んでいた。枯れきった倒木はよく燃える。盛大に炎を立ち上げる。倒木もまた戻ってゆくのだ。

 

 

 

  飾焚く静かな炎かこみけり     多久晧波  海音

 

  左義長の人垣拡げゆく炎      石川風女   (風女句集

 

  均されて炎みじかきどんどかな   山西雅子  俳句研究年鑑

 

  酔うて踏むどんどの灰の寂しかり  新井声風  すみだ川

 

午後からは雨がふりはじめ、どんど場は寂しくなってきた。火を囲んで暖を取っていた人々もいなくなり、どんどの火も小さくなった。やがて消えつき灰は均されて、祭りは終わる。ちょこっと一杯やってみようか。

 

                                                      〆

 

 

67) 火鉢

 

 

 

 わが家の火鉢を、孫たちは喜ばない。炭火のぬくもりを好むジジババの耐寒意識が、いやなんだそうだ。部屋に入ってくるなり「外とおんなじや! 」と云い、股火鉢にしてしまう。マンション住まいの小学生兄弟は、どうやら寒さへの抵抗力が低下しきっているようだ。

 

❖例年は12月になるとすぐに火鉢を出すのだが、今年は15日になってしまった。2階の、子のいた部屋にしまってある角火鉢を、長女と二人して下す。「お父さん、あと何年これができるかなあ」などとブラックな冗句をかけられ、重さによろめきながら、下す。稲藁で灰をこしらえ、炭を買い出しにゆく。能勢にある炭焼きの親爺とは長い取引関係だ。ひと冬に12キログラム入りの段ボール箱を、二箱消費する。

 

押し撫でて大きく丸き火鉢かな    篠原温亭 改造文学全集

 

❖わが家のものは細長い四角で、台がついている。この台の使い勝手がいい。鉢をならべて

 

飯を喰ったり酒をいただいたり、お蔭で台の上には染みが残っている。餅を焼き、目刺しやソーセージを炙ったりしながら飲む酒は、よろしいのだ。

 

酔ひかくし火鉢の前の母をおそる   杉山岳陽 馬酔木

 

古火鉢買ひぬ書斎とはやなじみ    田中灯京 春禽

 

❖この火鉢はもともと母が使っていた物だ。角火鉢がほしいから、お前どこかで探してきてくれない? と云われて古道具屋を歩いた。20年くらいむかしのことで、母が亡くなってからは僕が引き取った。弟妹たちは、面倒くさい! って一顧だにしなかったものだ。たしかに面倒なんだけれど、ま、母の形見だなあ。

 

  客去つて撫る火鉢やひとりごと    嘯 山  葎亭句集)      

 

                                                                   

 

皆様ことしもありがうございました。来年もどうか皆様にとって良い年でありますように、お祈り申し上げます。

 

 

66)紅葉は、まだ薄き……。

 

 

 

❖去年の台風21号による崖崩れで閉ざされていた箕面の滝道は、111日やっと開放された。今年の21号によってもおびただしい数の巨木が倒され、斜面といわず谷の上といわず、思わぬ長大さを見せつけて横たわっていた。見上げて想う長さと、目の前に横たわる長さの違いに驚かされたものだ。この木々が倒れてゆくときの、音や地響きのすさまじさを想像することができない。そんなことを考えてみたりしながら杣道を上り下りしていたのだが、ついに一般道が通じたのだ。箕面市では「復活祭」と銘打ってはなやかにお披露目をした。平日ではあったけれど、滝壺の前の広場は大勢のファンで埋まった。山に紅葉の季節が戻ってくる、そんな嬉しい気持ちでいっぱいになった。

 

❖今シーズンの紅葉の具合はどうだろう。傷跡をうずめてなお余りある美しさを繰り広げてくれるだろうか? このあたりの紅葉は勤労感謝の日前後がもっともあでやかなのだ。2週間前のいま山道には、ぽつりぽつりと目を引く紅葉を見つけることができるが、まだまだ薄紅葉。楓の葉ごとに一枚一枚きれいな赤黄緑のグラデーションを見せている。光を通して逆光でみる薄紅葉は、美しい。化粧しない素肌の美しさとでもいうような、新鮮な感じがする。すっかり緑だった木々の葉が、しだいに色を帯びはじめてゆくのだ。

 

 滝の空雲飄々とうすもみぢ    

                                      正円青灯

 

 謹みて受けし沙汰あり薄紅葉 

                                  山田弘子

 

 

 

❖日本人の紅葉をめでる心情は世界でもなかなか珍しいようだ。小説家新田次郎の次男、数学者藤原正彦の随筆で読んだことがあるが、日本に招いた欧米の数学者たちが日本人の紅葉狩りをいぶかしく思っていた。けれど実際に日本にいて日本の紅葉をみると、なるほど美しいと感じるそうだ。それは日本の楓の葉がとても薄いということが原因らしい。カナダやアメリカの楓の葉は厚いらしいのだ。逆光でみた薄い葉の紅葉は、花のすくない季節にはとても心をときめかせてくれるのだろう。山国日本の美しいひと時だ。全山の紅葉が待ち遠しい。              〆

 

 

(65) 今年は、日本晴れ!

 

 

 

 去年の収穫祭はひどい雨だった。子らが楽しみにしていた神輿もだんじりも、宮を出発することはなかった。「ワッショイ、ワッショイ! 」という、少し照れながらの掛け声も往来を練りゆくことがなかった。太鼓の音も湿りがちで、力のない秋祭りだったのだ。

 

❖ところが今年はどうだろう、すっかり日本晴れ! 雲のない澄んだ青空が高く広がっている。気持ちいい。ハイテンションの孫たちも、祭りの法被を羽織り、神社のお守りを首からぶらさげて、さあ出陣だ。

 

走る跳ぶ蹴る秋晴の家族たち     弘子    (句集『月の雛』)

 

  浄土までつづく秋晴とぞ思ふ      弘子    (句集『螢川』)

 

 

 

 

❖焼き鳥、焼きそば、綿飴それから金魚すくい。境内はいい匂い。赤い色、金の色。笛も太鼓も鳴り響く。獅子舞の大きな口のカタカタという音におびえて、泣き出す女の子がお母さんにしがみつく。獅子に近づいては逃げる男の子。みんな健やかだ。老いてなお祭りの世話役を引き受ける翁も、健やかだ。

 

  賑わひも一筋町や秋祭           吉井莫生     (「若葉」)

 

 鳩鳴いて秋の祭も終りけり         星野麦丘人   (「鶴」)

 

 

 

❖午前中に町内を経巡った子らの行列も、昼には終わる。終わればまったく静かな普段に戻る。爽やかな日差しと、秋明菊の白い揺れが残る。                         〆

 

 

(64) 読書と、栞……

 

 

 

❖台風が次から次へとやって来て、この秋は禁足状態が続いてしまった。家の中にいて吹き降りの音を聞いたり木々の震えをばかり見て、大丈夫かなあ? などと心細くつぶやいてみるのにも飽きた。

 

句会・吟行会が流れて句を詠む意欲も減少していた。懐かしの友に便りを書いたりするのにはもってこいの時間ではあったのだけれど、書くべき内容が「台風はどうでしたか? 」ばかりというのもつまらない。禁足にも限度というものがあるぞ。結局は、読書ということに落ち着いて、人が貸してくれた本、買ってはいたが未読の本を手にすることになる。句集ももちろんだ。

 

❖「読書」は秋の季題なんだろうな、と漠然と思っていたが、違った。そもそも歳時記に読書という見出しがないし傍題にもない。弘子先生の全句集をみてみたが、『読書会済んで雛菓子配らるる図書室に残つてをりぬクリスマス』という2句を見つけ出したけれど、読書が詠まれているわけではないし、季節も春と冬だ。

 

台風による軟禁状態での読書などは、弘子先生の次の句のほうがピッタリだ。

 

筆硯に親しむことも梅雨籠   句集『こぶし坂』より

 

 

 

❖ぼくの読書にかかせないものは、眼鏡と栞。老人用の眼鏡と複数枚の栞だ。複数枚というのは、本文だけじゃなく、索引や註にも挟む必要を感じるからだ。ふだんから反故紙を刻んで貯めておいたものを、どんどん使ってゆく。それが僕のやりかた。作家の井上ひさしさんは封筒の隅をカットして、小さな三角形の栞を貯めていたようだ、そんなことを何かに書いていた。ページの角を折って栞代わりにするのは、いやだ。

 

 新潮文庫にだけは、紐の栞がついているのをご存知か? 知ってますよね。岩波文庫の「言葉の玉手箱」「本の豆知識」の栞。栞にもいろいろこだわりがあるようだ。読者は栞にこだわらずに、本の中味にこだわるべきなんだろうけれど。

 

❖若かった頃、文芸書といえば筑摩書房と新潮社、中央公論社という思いが強かった。けれど今出版業界も大変らしい。新潮社も大変らしい。けれど僕は、いい文芸書を紐の栞をつけて発行し続けてほしいと願っている者の、一人だ。

                                     〆

 

63)蓮の……。

 

 

 

ふざけているわけでは、無い。が、それほど真剣な心持とも云えることでも無い。蓮の茎がストローの代わりになりはしないだろうか? 枯れてゆく蓮の葉を眺めていてそう思いついたのだ。三室戸寺でいただいた象鼻杯の酒のことを思いだした。あの茎は酒を通す、だからこそ象鼻杯なんだろうと。70爺の考えることではないだろうと感じながらも、わが家の枯れ蓮の茎を切ってストローにしてみた。なんのわだかまりも無く水分が補給できた。

 

❖わが蓮は盛りを終え順番を待ちながら枯れてゆく。枯れ切って茶色になったものを摘んでは隣の植木鉢に重ねておく、やがて土になってゆくだろう。茎の切り口を見ると、田の字の形をしている。四つの空洞に分かれているのだ。だからだろう、あんなにひょろひょろした長い茎が折れずに風にただようことができるのは。表面には小さな棘がある。覆い尽くすというほどではなく、1センチに五つ六つくらい。唇に痛いと感じるものではなかった。

 

 

 

  蓮の香や水をはなるる茎二寸    蕪村 

 

 

❖プラスチックのストローが問題になっているが、そもそもストローは麦わらじゃなかっただろうか。僕らは子供の頃は本当のストロウを使っていたもんだ。手間がかかってコストが高くつくからだろうけれど、ストロウを復活させたらだめなのかしら? と思ってしまう。シャボン玉ももっと楽しくなるはずだ。ためしに使った蓮の茎のストロウは悪くない感じがした。蓮の香りがかすかに口に残って……。

 

 浮世離れしている我が家族は、そのストロウでシャボン玉をしてみたら! などと私を煽る。うーん、やってみるか。四つの空洞がどのような結果を生むのか、楽しみだ!

 

 

 

  蓮の茎散り方の花を支へたる  滝井孝作  浮寝鳥

 

 蓮の茎を詠んだ句はこの2句しか見つけられなかった。茎に目をやる俳人は少ないとみえる。

 

 

 

  蓮白しわが行末を想ふとき   瀬川あゆ女 (春燈

 

                                    〆

 

 

62)歳時記そぞろ……

 

 

 

 ほとほと暑いこの時期にいまさら歳時記などとは、なにごとか? って汗まみれの声が聞えてきそうだ。

 

 

 

❖じつは今朝、新聞の投稿欄で歳時記をひもといてみたらいいですよ、という記事を読んだのだ。(毎日新聞728日朝刊『みんなの広場』欄67歳の婦人の投稿で、この欄にかつて取り上げられた高校生の「日本語を深く学びたい」という投書へのアドバイスというかたちで、俳句歳時記を慫慂していた。婦人は俳句作りをはじめて20年になるという。いまでは季節の移ろいに敏感になり、自然に目が向くようになり、どこに行っても発見があって日常において暇を持て余すことがなくなった、と云っている。そのとおりだなあ、とまったくの共感を覚えたのだ。くだんの高校生にはとてもいい示唆だと思った。

 

❖僕もそういえば、名前は失念したけれど先輩にすすめられて、虚子編の『記時歳新 版訂新』を買ったなあ。昭和46年のことだ。黒い皮装の「再改版」だ。今ももちろん座右においてある。ボロボロで皮はあちこちひび割れているが、インディア・ペーパーの、頁数のわりには分厚くない一冊だ。50年近く身のそばにあったのに、美しい日本語がたくさん身についたとは云えそうもないけれど……。

 

❖ちかごろは電子辞書の1ジャンルとして歳時記が採用されているが、旧弊な僕はやっぱり書物がいいな。例句はもちろん目次も索引も一覧性が高いし、なにより縦書きだもの。使い込むにつれてくたびれてゆく辞書って、とてもいい。受験生のころの英和辞典のくたびれ方とはまた違う味わいがあるもんな。俳句会でときどき、隣に坐った大先輩の歳時記に感動することがある。角がまるくなっていたり、表紙を布で貼り直してあったりしていたりするのを見るとおのずから、僕はまだまだだなあって、不思議な劣等感にみまわれる。「何周しているんだろう? 」と思ってしまう。敬意はこういうところに芽生えることもあるのだ。師匠に云われた「歳時記を3周してから」俳句になるということを思えば、隣の席の大先輩には憧れと尊敬がわく。書物の歳時記は俳人の作句の歴史がにじんでいるのだ。電子辞書ではどうだろう?

 

 

 

歳時記のうえではもうすぐそこに秋がきている。星月夜、硯洗、大文字、蜩、新涼、流星、新豆腐などの美しい季題をはやく使えるようになってくれないかなあ。

 

                                     〆

 

 

61) 隠岐は恋しき……

 

 

 

 恋をしてしまっている。老いらくの恋とでもいうのだろうか、隠岐の海、隠岐の風に。65日から7日までいただけなのに10日しか経っていないのに、まだ焦がれていて、海の色、波の静けさ、木々の豊かさに会いたくなるばかりだ。

 

隠岐は、隠岐諸島のことをいう旧国名のことで、一つの島をさしているのではない、ということを知った。四つの大きな島と、百いくつかの無人島からなっているそうだ。鳥取県に属し本州からおよそ50キロメートル北にある。ほぼ京都と大阪間の距離だ。

 

 

 

❖『隠岐後鳥羽院俳句大賞』という俳句大会が毎年催されて、表彰式と合同句会があった。20年前に町起こしの一つとして始められたのだ。そのためだろうか、この催しに参加する遠来の人々への隠岐の人たちの「おもてなし」振りは、ただごとで無くあたたかい。それは後鳥羽上皇が配流されていた時代から今もなお続いているかのようだ。

 

 

 

❖昭和163月、まだまだ寒いこの隠岐を加藤楸邨が訪れ「隠岐紀行」と題した176句を残している。

 

 

 

  さえざえと雪後の天の怒濤かな      隠岐へ

 

  春暁の水脈二岐れ明けきたる      隠岐丸

 

  雪の湾幾千の海月ながれたり      浦郷湾

 

  赭き崖の滴るごとし春没日        国賀の怒涛

 

 

 枯れしもの濤とぶかたへかたなびき   隠岐の牧畑

 

  耕牛やどこかかならず日本海      海士郡

 

  春潮の音の寂しきまつぴるま       ( 同 

 

  春寒き世に遠くゐて枉げざりき       村上助九郎家

 

  その日萌え今日萌え隠岐の木の芽かな (後鳥羽院御火葬塚

 

  隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな   ( 同 

 

 

 

太平洋戦争が始まるほんの少し前、俳誌「寒雷」を創刊して主宰となった三十五歳の楸邨は、芭蕉への思い後鳥羽院への衝かれる思いがあって旅した。隠岐やいま…の句は、碑となって今隠岐神社の境内に黒々とたっている。

 

 

 

❖大会のあった夜更け、懇親会のあとにさそわれて隠岐神社の一室で地酒をいただく機会にめぐまれた。真っ暗闇の庭に、ぽつんぽつんと明滅する光があった。あれは姫蛍です、と教えて下さった。酔いがただよう我が身には、夢幻の中にいるのかのように思えたのだった。                              〆

 

 

60) 山法師の白、さまざま

 

 

 

❖英王室のウェディングに、えも言われぬ感動を覚えた翌朝、「あのブーケはダイアナさんの庭に咲く薔薇の花でこしらえたんだって」と娘から聞かされた。小さなブーケだった。いろいろと人の心を打つしつらえが世界中に行きわたって、五月のさわやかな風が一陣地球をなでたような感じだ。五月の花嫁は美しい。

 

 「君がもし五月に結婚式を挙げるなら、庭の山法師の花でブーケをこしらえような!」などと、セクシャルハラスメントになり兼ねないことを云えば、長女は「葉っぱの緑もきれいやしねえ」と応じてくれた。満更でもないらしい。

 

❖我が家の狭庭にはいま山法師のほかに、蛍袋、南天の花、庭石菖そして霧島ツツジが咲いている。晩春なのか初夏なのか、なにやら混沌とした季節の変わり目・不純な天候のせいなんだろう、植物のセンサーが早回りしているようだ。けれども、住人の眼は、楽しませてもらっている。

 

山法師雨白く降る太く降る         弘子円虹例句集・彩

 

本降りのあとも平に山法師     西村しげ子雨月

 

丹波より但馬へほたるぶくろ晴れ     弘子 句集『懐』

 

釣鐘草やさしき嘘を隠す場所    辻 桂湖円虹例句集・彩

 

   歓迎の準備万端夕つつじ        弘子 円虹例句集・彩

 

 

❖喜寿を前に、瀬戸内側の温暖な暮らしを捨てて兵庫県との境にちかい岡山県の山奥に移り住んだ句友がいる。生まれ育った故郷に帰ったのだ。一人で仙人のように暮らしている。その大先輩がせんだって「我が家の領内にある樹木に、名前を付けてやることにいたした。ついては貴君も命名者の一人にしてあげよう」ということになり、では山法師があればその木の名づけ親に、と頼んだ。「もちろんある!」という返事だった。いろいろ紆余曲折を経はしたが、『狂乱の山法師』という名を申請したところ、「面白い、それで行こう」と決済をいただいた。後日、狂乱の山法師/命名者藤本たけると筆書きした木の札の立った写真が届けられた。

 

 それだけではなく、領内に置いた岩にも名札を付けたい、という仙人の申し出。えーっ、そこまでなさいますか。領内は名札だらけになるのでは、といささか驚いたりもするのだけれど、『うたた寝の牛石』という名前を申請しておいた。たわむれせんとや生まれけん。五月はひとを愉しくさせてくれる。

 

 

 

  樹に気あり石に意志あり夏の雲   

 

 これは、くだんの仙人の戯れ歌。なににつけても心豊かに遊べる老翁なのだ。

 

                                     〆

 

               

 

 

59)それぞれの、春がゆく…

 

 

 

   私の知っている春は、広い野原からも来たが、それと同じ頃を見はからって、

 

砂丘のあなたの青い海からもまたやって来た。私の生れ故郷は、瀬戸内海の

 

波の音のきこえる小村で、春になると、桜鯛がよく網に上った。それを売り歩く魚

 

商人の声が、陽気に村々に聞えて来ると、村人は初めて海の春が、自分たち

 

の貧しい食膳にも上るようになったのを喜んだものだ。

 

 麦の茎が伸び、雲雀が空でちろちろ鳴いていても、海に桜鯛がとれ出したと

 

いう噂を聞かないうちは、春もなんとなく寂しかった。

 

 

 

 『艸木中魚』(岩波文庫版・19989月)の中の、薄田泣菫の春である。自分にあててみるとそれは、紋黄蝶紋白蝶かもしれない。畑にひろがる菜の花の上をのんびりと舞う蝶をながめては、新学期の小学校へむかう春だ。桜色ではなく、黄色が私の春といえようか。けれど今は、菜の花の上を群れて舞う蝶を見なくなってしまった。幼いころの黄色い夢もときめきも、そう簡単には見ることができなくなったようだ。俳句にすがるほか無いのかもしれない。

 

 

■兼題に桜鯛をいただいた句会・七星会で詠んだ句は「眼と口の二福に酔へり桜鯛」「魚島の桜色してもつれけり」だった。魚島の句は伯父が住んでいた福山・鞆の浦の鯛網のことを想って詠んだ。幼いころのおぼつかない記憶だ。眼と口の句は、机上の詠だ。主宰が採ってくれたのは魚島の句。やはり、まのあたりに観たものは強いということだろう、そう感じた。これからも出来るかぎり「当事者」としての目で見、感動を覚えた物事を俳句にしてゆこうと思えたのだった。

 

  桜鯛瀬戸にあらがふ背を見せつ   佐野まもる(馬酔木)

 

   恍惚と捌かれてゆく桜鯛        山田弘子

 

 

 

蝶はまだなのかもう去ったのか、この春は花が一斉に怒涛のごとく咲き、花にばかり気をとられたせいか、紋黄蝶も白蝶もまだ目にとどかない。蝶の句はこれからだ。先人の作品をよませていただいて夢の中の蝶を思い出そう。

 

  ひらひらと蝶々黄なり水の上    正岡子規

 

  てふてふや人の絶えたる昼のあり  森澄雄

 

  海原へ出て一蝶の黄の高し     山田弘子

 

  花ひらくやうに生まれし蝶の翅    山田佳乃

 

 

 

過日、奈良西の京を歩いた。円虹の吟行会である。雨がしとしとと降り続くそして少し寒いお寺巡りだった。薬師寺・唐招提寺を拝観しては行く春を惜しむ、これもまたそれぞれのうちの、一つの春の終りだった。                   〆

 

 

58)木の芽いろいろ

 

 

 

❖木の芽ばかりを見て歩いている。山辺でも街路も、歩くときに目にしているものは木の芽ばかりだ。いまはそれしか見るものがないかのように。

 

緑色のものが多いのだが、赤もある。尖ったものがあり丸いものがある。植物は迷わないし疑ってもいないように、潔くいっせいに芽吹く。南半球から持って帰ったハナズオウも、生まれ故郷の季節感を忘却して、北半球の季節にあわせて芽吹いている。けなげなものだ。

 

木の芽風髭たくはへし男来る      弘子

 

ぞんぶんに雨降りぐぐぐぐと木の芽

 

白雲の触れては芽吹く雑木山

 

 

 

❖春はすでに冬のなかに潜んでいて、陽と風と雨にさそわれながら穏やかに姿をあらわす。枯れて痩せて、危なげな一本の木からも小さなあおい芽が吹く。遺伝子というものの記憶なんだろうか、植物はだれにも教わりはしないだろうに、迷うことなく時機を決める。

 

  ものの芽や汝に教はりしことばかり    佳乃

 

   芽吹くとも見えず芽吹いてをりしかな   邦男

 

   ひと日づつひと雨づつの木の芽かな  すみこ

 

 

❖3月15日、中之島リバーサイド句会の兼題が木の芽だった。地下鉄淀屋橋駅を出てすぐに公園を歩きながら、樹木の芽吹きを見あげては残り一句を求めていた。そうして拾った句が それぞれの夢語り合う木の芽かな だった。公会堂ではどこかの学校の卒業式が行われるのだろう、袴をつけたお嬢さんたちが大勢立ち話をしている。卒業後の進路のことなどや楽しい思い出を語り合っているんだろう。華やかで若々しかった。

 

もう一句木の芽で出句したのは 地の上に影広げゆく木の芽かな で、こちらの方を特選に採っていただいた。

 

先の句はその後、箕面の山を歩いているとき それぞれの夢語り出す木の芽かな と推敲した。語り合う、を語り出す、と変えたのだ。卒業も入学も若者の心をときめかせ、皆それぞれいっせいに夢を語り出すだろうな。そういう、ほとばしり感があるのではないだろうかと考えて。

 

 

 

❖いま窓からは白木蓮の蕾が見え、散りゆく紅梅が見えている。白木蓮が散り切ったころには桜がまた開花するだろう。一つ歳をとった。

 

                                     〆

 

 

57)波音、春を呼びにけり……

 

 

 

 山田佳乃主宰が第2句集を上梓された。第1句集『春の虹』のつぎの句集、『波音』である。平成24年から28年までの俳句作品の中から、321句を精選して編年にまとめられている。

 

装本の基調色はさわやかな浅葱色で、軽装の、手にとってやさしい句集である。

 

 

 

波音が好きで遺愛の冬帽子    2015年詠、128頁)

 

の句から表題を取られたのだろうか? 弘子前主宰の帽子を被って日本海の冬の波音を聞いている主宰の立ち姿が見えてくるようだ。

 

 

 

❖藤本たけるなりに、未熟な独善で好きな句を拾ってみた。

 

喝采のやうに波打つ夏の蝶     (2013年詠、31頁)

 

 夏の蝶がいっぱいいて、蜜を吸っていたんだろう。あたかも舞台の演者に拍手を贈るかのように、翅をぱたぱたさせながら。「喝采のように」という言葉のあっせんが夏の花野を劇場のように思わせてくれる。

 

 

母の手の仕付を解く春著かな    2014年詠、43頁)

 

 お母上が仕立ててくれていた、新春の着物。それに手を通すのは初めてだ。仕付け糸がまだきちんと残っている。解きながらいろいろのことを思い出す感慨深い初春だ。

 

 

 

水底に夜桜の闇沈めけり      2014年詠、51頁)

 

 艶のある句だ。皇居お濠端の夜桜だろうか? 水の底に闇を沈めるという言葉に、余情があふれている。

 

 

 

春風や首で争ふフラミンゴ     2015年詠、97頁)

 

 長い、ピンク色した首をからめあってフラミンゴは恋敵をこらしめているんだろうか? いかにも春の気配だ。

 

 

 

掘りたての筍嬰の重さほど     2015年詠、102頁)

 

 敵わないなあ、このとらえ方は。子を持つ母でなければ詠めない。けれどなんだか初々しい感動をおぼえる。

 

 

 

闘牛の四肢の歪みて敗走す     2016年詠、137頁)

 

負けた側の姿を句に詠むというのも、あたたかい目線だ。敗走してゆくところまで見届けているのだ。

 

 

 

森澄雄に『作家と含羞』という俳論(昭和31年・雲母12月号)があって、「俳句作家は作家的含羞と作家の言葉」で詠むべきである、と論じている。この句集を読むと、佳乃主宰は含羞を秘め、自分の言葉の選びかたをする俳句作家だという思いが強くなる。

 

 

 

56)初弘法

 

 

 

❖京都・東寺の初弘法は、好天にもめぐまれた日曜日のせいだろう大変なにぎわいだった。弘法大師の月命日21日が土曜・日曜と重なれば人出がふえる。ネットには、こういう日は20万もの人が訪れる、とある。1000以上もの出店があり、骨董品をはじめ古着、創作衣料、古工具などのほか焼きそば、野菜、果物なども売られている。境内ばかりではなく、山門を出た公道にもつらなる。

 

 参詣者は東寺が近づくにつれて心が浮きだってくる。ただ通りぬけるだけの目的でやってくる人はいないだろう。いるとすれば俳人くらいか? いや俳人も何か掘り出しものを見つけてやろうと、句帳と財布を開いているはずだ。店の親爺にほめられたりそしられたり、値段交渉での言葉の応酬が醍醐味、当たり前の儀式だ。弱気をみせたり強気をよそおったり甘えてみたりしては、自分なりの掘り出し物を手に入れる。そりゃあまあ、何百円の物が何十万もの価値があったなんて話も耳にしたことがあるが、宝くじにあたるよりも確率が低いはずだ。自分なりの掘り出し物が、何よりだ。高揚感を買い占めたんだから。

 

骨董の翡翠に思案日脚伸ぶ                                  佳乃

 

   欲得も喜捨もなかなか初大師                                 克巳

 

 

 

❖僕もまあ野心をしのばせて境内を駆けぬけた。「円虹吟行会、どこ行った?」の写真取材をしなければという気持ちがあって、9時には境内にいた。物を見ず景色全体を見るという視線で駆けぬけたのだ。画面に塔は絶対だなあ、人込みも骨董品も、などと考えながら、邪魔にならない場所を選んで立つ。弘法大師の御像に並ぶ人々も、撮っておかねばな、などとシャッターを押す。絞りをかえたりフラッシュをたいたり。その合間にこっそりと小銭を使ったりしながら……。

 

東側からはいって南大門を出た。出たあとだ、僥倖というんだろうか、塀の外の露店で短冊を見つけたのだ。字が好きな河東碧梧桐の短冊がしゃらりと置いてあるではないか。「本まもん? 」「わからん奴はあっちいって! 」「まけてくれる? 」「あっちいって! 」などと応酬したあとに、ええーいという気迫で求めたのだ。

 

  さるを飼うてゐる赤い紐などつけて筥に   碧梧桐

 

 

 

 というものだ。家にもどって岩波版『碧梧桐俳句集』を調べたけれど、この句は載っていなかった。

 

                                     〆

 

 

55)三百、という時間……。

 

山田佳乃主宰が選をしているこぶし句会が、六月に三百回目を迎えた。それを記念して『こぶし十句集』が上梓された。平成十一年の百回記念、二十年の二百回記念につづく3回目となる壮挙である。

 

 

 

❖佳乃主宰はこの序文で、

 

   「こぶし句会は『円虹』が発足する以前からの会で、昭和六十一年の三月からだから三十年以上の歳月がたったことになる。平成二十二年二月七日、山田弘子が急逝したあと本郷桂子さんがしばらく選を勤められ、そのあと平成二十三年の五月より私が選を勤めることとなった。 (中略) この三十余年の間、さまざまな人々が参加されていたが、私の父である山田木石もこの句会に参加していた。父母揃って参加していた句会はここだけであり、こぶし句会は『円虹』の歴史そのものである。」(以下略。原文縦書き

 

と感慨と喜びにあふれた気持ちを述べている。

 

 

❖選者佳乃主宰、世話役の平松綾さんをはじめとした三十一人のそれぞれの句が納められている。

 

たけるの独断で摘録をしてみよう。

 

蛍火を追うて会ひたき人のあり                                          山田佳乃

 

佛讃歌洩れくる校舎冬日和                                              平松  綾

 

居間にまで届く鼻唄春隣/石浦 顕    天道虫くすぐつてゆく頭脳線/今野 響    冬ぬくし過去の消えゆく砂時計/大村康二    冬ぬくし空き瓶ごとの色の影/楠山紫宵    雨蛙嬉しい時も真青なり/小林志乃    世の様の話は尽きぬ炬燵かな/齊藤慶一    今昔に恋は変らず懸想文/竹尾公秀    若竹の道平成の人力車/谷口知行    我が犬と酒を酌みたし十三夜/中村高士    少年の夢にもどらん夏の川/藤本たける    夫の手を握るぬくもりはだれ雪/山口幾    遊牧の空広がりし鰯雲/山口年子    花いばら地図になき村抜けて行く/渡辺令子

 

 

 

❖年の暮れにすばらしい贈り物をいただいて、この一年がこの上もなく良い年だったという気持ちになった。三百の句会の時間の中に自分もいたことを感謝して、新しい年をむかえることができる。

 

 みな様どうぞよいお年をお迎えくださいますように。そして来る年もどうぞ心に残る佳句をたくさんおつくりくださいますように。

 

                                     〆

 

 

54)海坂藩……。

 

 

 

❖藤沢周平句集(文春文庫・2017/9/10・1刷)を読んでいたら、おもわぬ記述にでくわした。周平さんの武家物によく出てくる架空の藩「海坂藩・うなさかはん」のことだ。

 

ある新聞の俳句欄に書いた小文が機縁になって、私のところに静岡の俳誌「海坂(うなさか)

 

から、最近号が送られて来た。

 

   そう書くと、私の小説を読んだひとなら、海坂とは聞いたことがあるような名前だと思う

 

かも知れない。そのとおりで、海坂は私が小説の中でよく使う架空の藩の名前である。だが実在の「海坂」は、静岡にある馬酔木系の俳誌で、種をあかせば、およそ三十年も前

 

に、その俳誌に投句していたことがある私が、小説を書くにあたって「海坂」の名前を無断借用したのである。

 

とあってさらに「海辺に立って一望の海を眺めると、水平線はゆるやかな弧を描く。そのあるかなきかのゆるやかな傾斜弧を海坂と呼ぶと聞いた記憶がある。美しい言葉である。」と続けている。美しい情景をあらわす言葉を、美しい記憶にとどめていたのであろう藤沢周平という作家の記述にであえて、えっそうか! という感じで何故だかほっとした。うれしかった。

 

❖藤沢周平は昭和2624歳から30歳まで肺結核の治療をするのだが、東京都北多摩郡の病院で療養中、仲間にさそわれて俳句をはじめたそうだ。「昭和28年、29年の2年ほどのことにすぎないが」と書いている。

 

 

大氷柱崩るゝ音す星明り    陽炎や胸部の痛み測りゐる

 

   冬雨を聴きをり静臥位を解かず   肌痩せて死火山立てり暮の秋

 

やむを得ないのだろうけれど、険しい句が多い。これらの句が俳誌「海坂」に掲載された周平さんの作品だ。文庫本には54句掲載されている。

 

❖井上ひさしは猛烈な藤沢ファンだった。なにしろ周平さんの長編『蟬しぐれ』を読んでは「海坂藩・城下図」という膨大な地図を手書きしたのだから。精緻な図の上に説明文を加えている。何度もこの小説を読んだにちがいない。

 

❖周平さんが「海坂」に投句していたころの主宰は百合山羽公、相生垣瓜人の2人だったそうで、「いまなお先生と呼ぶしかないほどのある感銘を受けた」と二人への敬意を表現している。瓜人の、

 

 

 

  其処此処に冬が屯しはじめけり      隙間風その数条を熟知せり

 

などの句が好きで忘れえない、と随筆『稀有の俳句世界』に書いている。

 

 

 

❖本当に俳句の世界、俳句の縁というものは不思議に稀有な気がする。      〆

 

 

53)秋の雨降る……

 

 

 

❖ながながと降りつづく秋の雨だった。それでもその下で、秋の祭は行われる。豊年満作への感謝・祈りであるからだろう、やめるわけにはいかない。わが町の社では子らの神輿太鼓がテントの下でひたすら、止む雨を待っている。長い月日、稽古に稽古を重ねてきた幼い少年少女らの奮闘が無駄になるからだ。ほんのすこしの間でもいいから、揃いの法被で太鼓を叩きながら練り進みたい、そう考えるのが人情というものだ。

 

 

 

秋雨を言葉のごとく聞く夜かな       弘子

 

   村祭り灯せど何ともの淋し        小沢碧童

 

 テントを打つ雨が「せっかく我慢してお稽古してきてくれたのに、御免ね」という言葉となって境内を覆っているのかも知れない。「来年のお祭りには、思いっきり太鼓を叩いてね!」と云ってくれているに違いない。

 

 

 

  だんだんに父優しくて秋の雨         野村陽子

 

 雨の境内を一緒に歩いてくれるお父さん。長い雨の日々には、お父さんも本を読んでくれる。ゲームの相手になって負けてくれもする。そぞろ寒い雨の日にはお父さんの優しさがふくらんだような気がする。

 

 

❖土曜・日曜と挙行された村の秋祭りは、けっきょく本殿の庇の下でのソロ歌手のライブ音と、テント張りの屋台の物を焼くにおいだけで終わった。それでも傘を差しながら屋台をひやかしたり金魚すくいをしたり。小学生は健やかだ。

 

  

 

   軒下に濡れて遊ぶ子秋の雨        室積徂春       

 

  顔見知りばかりの出店里祭         宮城きよ子

 

  一村の若返りたる秋祭り           大田尚夫

 

 

 

❖台風21号に備えて日曜日は早やばやと、テントもたたまれた。白熱灯の裸電球も一つ一つ外されてゆき、しどけなく濡れそぼつ八幡大神宮の幟、氏子の幟もみな仕舞われていった。その夜台風の目が紀伊半島に上陸することはなかったが、恐ろしいばかりの暴風が吹き荒れて、八幡様の大楠が揺れていた。

 

秋雨にうちたたかれて今日を生く      志摩芳次郎

 

                                     〆

 

 

52)末枯れ初めし……

 

 

 

 末枯れ初めた兼六園をそぞろ歩いてきた。横からの日差しを受けた草々にまだ朝露がかがやく午前7時すぎ、蓮池門口から入園した。蓮池門までの側溝には、春きた時とかわらず水が滔々と流れている。10月にはいったばかりだのに、金沢の道は早やいささか寒い。人の通りもほとんど無いゆるやかな坂道で、散歩するお年寄りに「兼六園はもう入れてもらえましょうか? 」と聞けば「開いていますよ」と教えてくれた。7時のことだ。兼六園の朝は早い。

 

風音に末枯のはじまつてをり   汀子

 

末枯といふ名苑の順路あり

 

 

❖兼六園には出入り口が七つある。お城側の正門・桂坂口、桜ケ岡口、上坂口、小立野口、随身坂口、真弓坂口そして蓮池門口だ。この七つの入り口それぞれに、まだ暗いうちから係りの人はやって来るのだ。市民のために、そして観光客のために。有り難いことだ。

 

石の街にも末枯のすすむ景     弘子

 

末枯れて来しかさこそとかさこそと  廣太郎

 

なめくぢもまた末枯に従ひぬ     弘子

 

なめくじは見つけられなかったのだが、燈籠のそばの芒の根っ子あたりにはいるのかも知れない。風もなく雨があがったあとの庭園は埃も末枯れている。紅葉はまだしもの感じだけれど、所々ほの赤く色づいた葉を光らせている広葉樹も垣間みることができる。

 

❖芭蕉句碑にご挨拶をして、霞ケ池の方へすすんだ。例のよく知られた燈籠のある池だ。この池の先に桂坂口があってお城への道につながっている。

 

芭蕉は奥の細道を歩いたとき金沢では発句を三つ残している。末枯れた兼六園を歩き、北枝の立意庵が近かった浅野川のほとりを杖をつきながら逍遥したに違いない。

 

❖芭蕉に思いをはせながら出た桂坂口のそばでは、衆議院選挙の演説の声がしている。                                                    〆                             

 

 

51)水引の花と……

 

 

 

目立たないようでいて、なんとなく目立つ水引の赤い花。米粒よりも小さな赤い花が細い茎に1列に、前へならえ! って感じに咲いている。たわむれに先っちょをつまんで、真っ直にして眺めてみたりすると、赤い線になる。もっとたわむれて、下の側から眺めてみたら、真っ直ぐな白い線になった。運動帽を赤組から白組に変えたみたいに。

 

 

 

水引の紅の一点づつ山気      弘子

 

水引草なりに燃ゆるといふこころ    弘子

 

水引に滝のしぶきと深山露      林火

 

 今朝の滝道でたわむれた水引の花には、野分あとのみずみずしさが一点ずつに光っていた。まさしく山気が宿っていた。いや、滝のしぶきが届いていたのかも知れない。道端の一番の低みに、所々あるいはむらがって咲いていた。臙脂色がかった深い紅色。きっと水引草なりの精いっぱいの粧いなんだろう。そいいえば、皇室から戴くご祝儀袋の水引は、ほとんど黒に近い赤だそうだ。

 

 

❖かと思えばやっぱり道の辺には、秋海棠の花が美しく咲いていた。うな垂れているように咲くのは羞恥の気持ちがあるかのようだ。小さいけれど上へ上へと咲く水引の花のあとにこの花を眺めていると、やんちゃ坊主の行進のあとで頬を赤らめる少女に出会ったようだ。

 

 

 

  秋海棠西瓜の色に咲にけり      芭蕉

 

   美しく乏しき暮し秋海棠         風生

 

   書を愛し秋海棠を愛すかな      青邨

 

 水引の花もいいし、秋海棠の花もきれいだ。秋の草花は色が控えめで姿かたちも可愛いいものが多い。この滝道には、雁金草、高野箒、野紺菊もやがて咲く。しばらくは足許を眺めながら歩くことになる、いよいよ仲秋だ。

 

                                     〆

 

 

50)滝地蔵

 

 

 

子供たちの地蔵盆もすんで、京の路地は静かになっただろう。2学期のはじまりが早くなったおかげで、地蔵盆は本当に夏休み最後の一大行事となった。

 

地蔵会や草の匂ひの子が集ひ    山田弘子

 

   地蔵会の路地が総出の支度かな  名越夜潮

 

   大鐘の向かうに小さき地蔵盆     竹尾公秀

 

 

 

京の町では地蔵盆の催しがあちこちの辻でおこなわれる。昔からのご近所づきあいが今もきちんと続いているからだろう。コミュニティーがしっかり存在している、という云い方がわかりやすいだろうか。子供のすこやかな成長を願う親の気持ちは、どこでも同じだ。お地蔵さんを飾り、提灯・幟・床几・お菓子袋の下準備をするのは、その辻あたりで育った大人の役目、子供のころの恩返しだ。町内総出でよろこんで下役を引き受け、支度をしたことだろう。子供たちには最後の夏の思い出となったはずだ。

 

 

 

❖この夏の僕はといえば、朝早く起きて箕面の大滝まで歩き、フェトンチットとイオンをたっぷり深呼吸しながらストレッチすることを覚えた。三か月になるか。高野山へ行った時と、大雨の時を除いて毎日だ。早朝の渓流沿いの道は涼しくて気持ちいい。小鳥が鳴きはじめ、蜩と合唱しているかのようだ。毎朝すれ違う人が三十人くらいだろうか、日が上がらない暗いうちから登りはじめる人もけっこう大勢いる。

 

滝壺の前では、人それぞれが様々なことをおこなっている。体操をする派と、祈りをささげる派に分けることができるだろうか。大声を発するひともいるけれどこれは極めて少数派だ。

 

  滝音の中小説を読む女         山田弘子

 

  滝行者若き男女でありにけり         同

 

  滝壺といふ動の白静の蒼          同

 

さすがに小説を読む人はいないけれど、行をしている地蔵尊のように見える石がある。この石は滝の右側、滝壺の水面から五メートルくらいの高さのところに存在する自然石だ。ずーっと滝水に打たれている。

 

箕面に住んで五十年にもなるけれど、僕はこの夏初めて知った。朝友に教わったのだ。拝むのはあのお地蔵さんに向ってですよ、って。えー? っと云ってしまった。

 

❖見ているようで、見ていない物や事が多いのだろう、人は。ということは意識と視点を変えて見つめ直せば、同じ兼題でも違う句づくりが出来るはずだ、そう信じることにした。 

 滝にあるこの石のことを「滝地蔵」ということに決めた。 

                                                                         〆

 

 

49)極楽の余り風~~~

 

 

 

❖佳乃主宰の『たおやか俳句会』、7月の兼題は夏座敷と麦酒だった。

 

夏座敷というものは都会の日常生活ではほとんど目にすることができなくなっている。京の町家にでも住んでいれば、開け放って風を呼ぶだろうけれど。

 

現代は開口部の少ない住宅が増えて、エアコンをたよりに生活しなければならない。停電などは無いのが前提のようだ。

 

 

 

けれど、東北や熊本の人々は『それは大きなまちがいですよ、世の中何が起こるかわからないんですから』と思っているに違いない。停電や断水はあり得るし長期におよぶこともあるんですよ、と痛切に感じているだろう。電気や浄水が遮断されると現代人はおそらく、原始人以下の暮らししかできないだろうと云われている。

 

原始時代は川の水を汲めば飲めたし、煮炊きもできた。いま我々の暮らしのそばを流れる川の水を手ですくって飲めるという人は少ないだろうし、火を熾して食べ物を煮たり焼いたりできる人も少ないだろう。食べ物を手にいれることさえ儘ならなくなるはずだ。栽培や漁労の経験がない人が圧倒的多数だろうから。コンビニで手に入れるしかできないというのは、少々困ったことなのかもしれない。

 

❖ま、それはそれとして、この句会で夏座敷を『極楽の余り風かな夏座敷』と詠んだ方がいた。清記用紙がまわって来たとき、自分は「極楽の余り風」を理解することができず選ばなかったのだ、恥ずかしい。主宰が講評されて初めてこの言葉の意味をしり、いい言葉、とても嬉しい云い回しだなあ、と感じたのだった。関西では昔からよく使われる表現だそうだ。

 

日盛りの田畑で一仕事を終え、畦にある柿の木陰の下でひと休み。水筒のお茶をしみじみいただいていると、さあーっと涼風が吹いた。そういう時に云うんだそうだ。

 

「ああー、ええ風やねえ。極楽の余り風や! 」

 

 

 

❖句座はとても勉強になる。多くの先輩方が多くの経験を下敷きにして『兼題』を借りて、五七五音の短詩にまとめるのだから。いつか見た景色、様子、色、音。そういうものを引き出しから選んで、リズムを整え省略を重ねて俳句にする。それをすぐに読ませていただくのだ。僕は俳句の会でとても多くの美しい日本語を教えていただいた。極楽の余り風を全身で受け止めてきたのだ。

 

                                     〆

 

 

48) 高野山は……。

 

 

 

霊山・高野山へ、円虹の吟行俳句会のおかげで上ることができた。

 

世界遺産に登録されてからは、フランス人をはじめ欧米系の人々の来訪が絶えないということだ。そのもてなしの一つとして、修行僧の草取りや庭掃除の頻度と量がふえたらしい。作務衣を着た若い僧侶が草を取りながら話してくれた。どの寺院もゆき届いている。清潔感にあふれ緑が美しい。京の寺町とはなんとなく違う。杉をはじめとした豊かな樹木、草花のたたずまいが人の心を安んじてくれるのだろう、静かでもある。まだ暗い早朝の高野山には音がしない。ただカナカナが、心をゆさぶるようなかそけき鳴き声を時おりひびかせてくれるだけだった。

 

 

 

■鳴き声をききながらライトアップされた巨大な根本大塔のまえで手を合わせていると、厳粛な気持ちになってくる。宇宙の揺らぎ、とでもいうのだろうか体の中にその振動が届き、心身を浄化してくれている感じがしてくるのだ。

 

これよりは人々に感謝の気持ちをいだきながら円熟した日々をすごせますように。などと祈りをささげることになったのだった。

 

千年の昔から高野山は、もしかしたら人々を本来の心に立ち戻らせてくれるのかもしれないなあ、などという思いが浮かんだ。

 

■前師山田弘子も高野山で句を詠んでいる。

 

下闇のその下闇の墓ひとつ              山田弘子

 

  平成5年に高野山をたずねた折の作である。秀次の墓への手向けの句だ。まだ円虹を結ぶ前の弘子前師のこころの葛藤がしのばれるのではないだろうか。

 

 

 

  敵味方共に眠らせ夏木立       山田佳乃

 

  織田信長が眠り、明智光秀の墓がある。豊臣の墓所があり徳川吉宗の墓碑がある。深い夏の杉木立の静寂の中に。霊には敵もなく味方もなく、ひとしいのだ。そのように受け止められる奥ノ院ありがたさ。

 

 

 

■俳句結社の誌友が数十人も揃い、和気あいあいと一泊の吟行を実行するというのも近ごろはとんと少なくなったと、聞いたことがあるが円虹はまだまだ結束が固くあたたかい。下準備をする人、応援する人、それに何よりも「万が一のアクシデント」をも覚悟して受け入れてくれる主宰がいるからだろう。

 

 

 

 高野山の宿坊の窓から入り込む風のなかには、どうやら慈愛とでもいう素粒子が含まれているようだ。

 

                                     〆

 

 

 

 

 

 

47)朝に……。

 

 

 

❖「今日は見よい枝にとまっていますよ」「まあ、ほんとほんと」……。

 

 青葉木菟のことである。眺めるのを楽しみに、杜を歩るきのぼる人はたくさんいる。うしろを歩くお婆さんに声をかけた。お婆さんは「朝は気持ちいいですね」と云いながら青葉木菟に見とれている僕を置いて滝へ向かった。

 

朝は、きのうの哀しみを流し去ってくれ、きょう一日の平安を約してくれる、そういう気配があって「気持ちいい」と思わせてくれるに違いない。

 

❖昨日は、京都への吟行俳句会があって朝の山歩きを省いた。準備をせずに床にはいってしまったからだ。それがどうだろう、今朝、いつも5時過ぎにすれ違う老翁が「昨日はお休みでしたね」とおっしゃったのだ。「はい、少し用事がありまして」と応えながら、ああこの方は僕のことを見ていてくれたんだ! などといい加減な受け止めをしたのだった。ありがとうございます、と心の中で唱えた。こういうことが人を優しくあたたかく育ててくれるんんだな、きっと。そんなふうに、一日を始める朝もある。

 

 俳句の世界では、存問というのだろう。あなたお元気ですか、あなたのことを大切に思っていますよ、と。存問とはそういうことだろう。

 

存問という挨拶句も大事な分野だ。挨拶句の名手と呼ばれる虚子、万太郎には多くの追悼の句が残っている。我が師匠山田佳乃には有名な句がある。

 

二月七日 弘子逝去   早春の虹を探しに行きしまま     山田佳乃

 

 

 

❖先達の追懐の句を拾ってみる。

 

             子規逝くや十七日の月明に     高浜虚子

 

子規忌               雨に暮るる軒端の糸瓜ありやなし  芥川龍之介

 

菊池寛逝く。告別式にて   花にまだ間のある雨に濡れにけり  久保田万太郎

 

澄江雅兄逝く           新竹のそよぎも聴きてねむりしか   室生犀星

 

緒子さんの為に(略)     有る程の菊投げ入れよ棺の中     夏目漱石

 

 長逝の深い悲しみをこらえて冷静に亡き人を偲ぶ思いがつたわってくる作品ばかりだ。師匠の御母堂山田弘子が夫を亡くした折の述懐の八句のなかには、

 

 

 

  秋冷にとり残されてゐたりけり       山田弘子

 

いたはりのさりげなきこと萩芒         

 

などがある。抑えにおさえた俳句ではないだろうか。

 

 追悼の句をよみながら俳人はしずかに深く亡き人を偲ぶのだろう。

 

                                       〆

 

 

 

 

46)大山椒魚と、青葉木菟

 

 

 

❖山が生き生きとしてきた。大山椒魚は長い眠りから目ざめて、のっそりと岩場の陰あたりを逍遥するようになり、青葉木菟は長旅をつづけて来、生まれた場所、育った樹木のそばで子育ての準備をはじめたようだ。早暁の山の散歩が俄然楽しくなってきた。

 

河鹿が、おぼえたての少年が吹く口笛のように、かぼそい音を渓深くひびかせている。糸トンボが眼をさまし、ストレッチするような翅の動かし方で、さしはじめた光のなかをゆったりと飛んでいる。さまざまな小鳥の鳴き声が前後左右から聞こえてくる。なにもかも吸い込むように思いっきり深呼吸をしてしまう。フィトンチッドが体内に浸透してゆくのが見えるような錯覚を覚えながら、当分は万緑の中、木漏れ日を拾いながら歩くことになるだろ。

 

 

 

 滝音に倦みしはんざき動き出す     山田弘子

 

 箕面の滝壺にも大山椒魚(はんざき)がいる。きっとうんざりしているにちがいない。怒涛のような滝の音、30メートルの落差をもって水面をたたくあの音には。けれど動くのはあくまでものっそりだ。4本の脚と大きな尾っぽを使いながら。

 

 

 声を闇に沈めて青葉木菟 

                      佐保美千子

 

 酒ありてながき夕餉に青葉木菟                           片山鶏頭子

 

 そうなんだ、ほーほーと二声なんだ。うちのそばの八幡様の楠木に住みつく青葉木菟は、人が寝静まったころ淋しげに、ほーほーと鳴きつづける。

 

 

 

❖一の橋をわたると、夏鶯が聞えてくる。楓の木の高みにどうやら巣をつくっているらしい。右の木と思えば左の上から聞こえ、左の木からと思うと右方向から聞こえてくる。深い木立にこだまして、鳴き声がさえわたる。

 

 

 

夏鶯の悲願の遠音あるばかり       飯田龍太

 

鶯の声の真下の力石           山田弘子

 

 

 

❖人は歩かねばならない、と若いころ親爺によく言われていたが今70歳になって歩く老人になった。そして、立ち止まってみたときに俳句がうまれるようになった。

 

拙さは母が口笛河鹿鳴く    藤本たける                       

 

 

 

 

45)蜻蛉生る

 

 

 

■わが家のちっぽけな蓮の鉢で蜻蛉が生まれた。昨日の朝早くだ(521日午前6時前)。蓮の葉の成長ぶりを眺めていたら、トンボが翅を水平に広げたままじっとしているのが見えるではないか。そばによって邪魔な葉をどけながら見ていてもまったく動かない。はじめは「あれれっ、トンボも眠るのか? 」などと不思議な光景を発見したような感動を覚えたのだが、「そりゃそうだな、生き物だから眠るよなァ」と、感動をすぐ訂正した。写真を撮っておこうと階下にカメラを取りにいって戻ってきてもまだじっとしている。6、7回シャッターを切った。フラッシュも放った。けれどまだ不動だった。死んでいるのかな、とも思ったのだった。塩辛蜻蛉らしい縞柄をしていた。

 

 

■おそく目覚めてきた妻にいそいそと写真をお見せすると、「右すみに写っているのはヤゴじゃない?」と云ってくれるじゃないか。たまたま飛んできたトンボが、わが家の蓮で一夜をすごしたに過ぎないという考えを訂正、我が家で生まれたという事実に気づかされた。そして新たな大感動につつまれたのだ。大感動を増幅しようと2階の蓮へ戻っても一度確認しようとしてみたが、すでにトンボは姿を消していた。茎に絡んだやごがの抜け殻があるだけだった。

蜻蛉生るかなしき翅をひろげつゝ   夢香

蜻蛉生る朝の泉は息ひそめ     弘子

やごを飼ふ少年の明日充実し    鬼房

 

 もう少年じゃないけれど、やごってどうやって飼うんだろ。どうすると手に入れることができるんだろう? 偶然にやごを飼っていたことになった私としても、残りすくない明日を充実させたいんだから。

 

 

 

■いま箕面の渓流は糸蜻蛉に席巻されている感じがある。日の当たる岩に翅を閉じて、黒いのや青いのや緑色したのがたくさんいる。翅の重さに耐えかねたように、弱ゝしく飛んでいる。河鹿蛙の鳴き声を聞きながら糸蜻蛉をながめていると「よろしいなァ」などとつぶやきたくなってくる。

 

とうすみはとぶよりとまること多き      風生

 

流れゆくものに止まりて糸蜻蛉      りん子

 

 止まることが多いのは、身にくらべ翅が重いんだろうな、ほんとによく止まる。僕のそぞろ歩きのように、止まってばかりだ。とうすみは、糸蜻蛉の別称。燈心蜻蛉という呼び名のなまったものらしい。

 

思いもよらないわが家の蜻蛉のおかげで、蜻蛉は秋、蜻蛉生る・糸蜻蛉は夏の季題という事を学ばせていただいた。ありがとう。       

 

 

44)燕の子

 

 

 

■飯田龍太の随筆集『山居四望』(昭和59年/講談社)の中に「雛いろいろ」という話があり、こんなことが書かれている。

 

 「巣立ったツバメが夕方戻って来て、狭くなった巣に、盛りこぼれるようになってねむる。あれはいい眺めである。

 

盆や正月に、おおぜいの息子や娘が、田舎の老父母のところに帰って雑魚寝する、あの風景に、どこか似たところがある。

 

ツバメが無事に巣立つと、その年はいいことがあるそうだ。

 

 盛りこぼれるようにねむる、というのはなんともあたたかい表現だ。無事に巣立つことを祈るばかりだ。

 

    乗り出してこの世楽しげ燕の子    弘子

 

 ほんとにそうだ。楽しそうにしているように見える。親燕の運んでくれる餌を取り合っている姿でさえ楽しげだ。

 

■けれど今、なかなか燕の子が狭い巣の中で眠るのを眺めることができなくなっている。山裾に広がる箕面でもこのごろは、燕の糞を嫌って巣を取り払うところが多い。商店の入り口、アーケードの屋根の下、駅舎の庇の下に、数年前まではいくつも燕の巣が懸っていたものだった。

 

    商も榮え燕の子も育つ    敏子

 

 「栄える」という縁起をかつぐことも少なくなったようだ。

 

燕は巣から糞をおとすときには真下にしか落とさない。気をつければ衣類が汚されるということもない。それほど嫌うこともないと思うのだけれど……。

 

■藤沢周平の『玄鳥』という作品の中に燕の巣を捨てた悲しみを思わせる場面がある。

 

  つばめがいつごろから来るようになったのかを路(この小説の主人公ミチ)は知らないが、物頭を勤めた亡父の三左衛門をはじめ、末次家の者は誰一人として門のつばめを気にしなかった。したいようにさせていた。それでつばめは、毎年同じころにやって来て門に巣を懸け、子を生み育ててどこかに去って行ったのである。

 

    つばめのおとずれは季節の風物詩だった。そして長くつめたい冬のあとに来る春が、野山にいっぱい花をさかせながらまだどこかに油断のならない寒さをひきずっていたのとは違い、つばめのおとずれは、少しの曖昧さもなく夏の到来を告げる出来事でもあった。

 

 燕は春の季題で、燕の子は夏の季題、ということを知った。ちゃんと使い分けてせめ

 

て俳句のなかで燕のしたいようにさせてやろうと思う。

 

    あそぶともゆくともしらぬ燕かな      去来

 

    つばくらめ來そめし門を掃きにけり     とよ子

 

                                    〆

 

 

43)季題は、エッセンス? 呪文?

 

 

 

■『柿の種』という随筆集でよく知られた寺田寅彦は 夏目漱石の教え子であった。『俳句の精神』(寺田寅彦全集・岩波書店1962年発行/第7)のなかで季題について「濃縮に圧縮されたそうして全国民に共通で固有な民族的記憶でいろどられたもの」と見なし、つづけて詳しく述べている。

 

  「春雨」「秋風」というような言葉は、日本人にとっては決して単なる気象学上の述語ではなくて、それぞれ莫大な空間と時間との間に広がる無限の事象とそれにつながる人間の肉体ならびに精神の活動の種々相を極度に圧縮し、煎じ詰めたエッセンスある。またそれらの言葉を耳に聞き目に見ることによって、その中に圧縮された内容を一度に呼び出し、出現させる呪文の役目をつとめるものである。」

 

煎じつめたエッセンスであり、記憶を呼び覚ます呪文である季題の宝庫・歳時記を継承してきた日本人の一人として、俳句を作ることができるのはとても幸せなことだ。

 

 

 

■かつてミュンヘンでドイツの仲間と俳句について交流を深めたおり、「わが国には歳時記がありません。日本の人々がうらやましい」ということを、円虹に投句しているドイツ人男性がつぶやいた。そうだなあ、と気づかされたものだった。「皆さんでドイツの歳時記をおつくりください。小さなものからでも」などという返事をしたのが傲慢だったか不遜だったか? けれどまあやってゆくしかないように思う。あるいはひょっとしたら、もうすでにあるかも知れない。エッセンスを集めて、やがて呪文にまで成るように、ゆっくりと月日を重ねて。

 

 

■芭蕉の句、さまざまの事おもひ出す桜かな には煎じ詰められたエッセンスが詰まっている。亡くなった藤堂家の旧主蟬吟のこと、あるいは西行のことが去来したのだろうか。

 

  たぐひなき花をし枝に咲かすれば桜に並ぶ木ぞなかりける   西行法師

 

   花にそむ心のいかで残りけん捨てはててきと思ふ我身に      

 

   仏にはさくらの花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば

 

 西行はこの上なく桜がすきだった。

 

 

 

それにしてもこの春は雨の下の桜、今日などは嵐のなか雨風の桜だ。散るようでいて散らない桜もまた心にしみる。

 

  世を恋ふて花菜の嵐吹く中に       蛇笏

 

   生を問ひ死を問ふさくら咲きにけり     弘子

 

   みよし野の桜老いゆく吾等また        ゝ

 

右をみても左をみても、目を閉じてしまっても今この国には桜の花が満ちている。ドイツの句友に見せてやりたいものだ。                   〆

 

 

42)金沢の、春そぞろ……。

 

 

 

■三月の末、桜の蕾のまだ固い金沢の町をそぞろ歩いてきた。いま兼六園に咲く花は山茱萸と土佐水木の黄。赤い椿もそこここに咲き残り、しっとりと張り広がる苔の上にぽつりぽつりと落ちていたが……。長い梯子を幹にしばりつけて、朝早くから松手入れするほっかむりした植木職人の地下足袋もみえる。そしてその横を鼻が高く色白のサングラスのご老人方が、フランス語らしい言葉を交わしながら過ぎてゆく。午前八時半すぎの兼六園。フランスからですか? と問いかければ“ノン、イスラエル”と、返事が返ってくる。それはまあ遠くからようこそ。ウエルカム、平和なこの国へ! などと余計なことを返しながらゆっくり歩いていれば、芭蕉の句碑に行き当たった。

 

あかあかと日はつれなくも秋の風」。芭蕉が金沢で詠んだ句、と立札に記してあった。また秋にこなきゃあ、と思わせる句だった。

 

■小流れや池に出会い水の豊かさに感心していると、ふと、こんな高台にある兼六園なのに、なぜこんなにも大量の水があるんだろう? という疑問がわいてきた。井戸ではないだろう、水道水でも勿論ないだろう。じゃあ? とまでしか考えが及ばないので訊いてみた。犀川から引いているんですよ。石に大きな穴を開けた石管というものを作って、遠く犀川から引いています、ということだった。なんでも、江戸時代にはたびたび落雷で天守が焼けたそうで、消火用水として前田のお殿様がつくらせたのだそうだ。それにしても春の水は強く豊かに流れる。犀川には白山の峰々の雪解け水が大量に流れ込んでいるんだろうなあ、などと思ったのだった。

 

残雪が見える山々を遠望しながら、兼六園をあとにした。

 

■金沢の町は、犀川と浅野川の二本の川にはさまれた小高い丘に広がっている。香林坊あたりにも用水路が暗渠としてではなく、舗装された道の脇を流れている。時間を忘れて流れる水を見、小橋をわたったりしながら路地を歩くのも気持ちのいいものだ。桜にはまだ早い季節はずれの平日に、人が少ない車も少ない街角を歩くにはとても良い城下町だ。おだやかな上がり下がりをゆっくりと歩けばいい。

 

■金沢名物の「おでん屋」を二軒味わった。赤はべん、車麩、梅貝、金沢春菊などを食べ「菊姫」というやや辛口をやりながら。旧友が白山市にいて案内してくれたのだ。おでん屋というが、まあ居酒屋だよ、と教えてくれた。刺身、揚げ物、和え物などもあるし、アイスクリームまである。

 

二軒目を出て犀川にかかる大橋で酔いを覚ましたあと、仕上げに寿司屋につれていかれた。その時のわが駄句がこれ。

 

  犀川の春の夜風や橋わたる

 

   老舗には老舗の間合い春尽くる

 

   春のねた握りつ老いの声たかし

 

 旧友は「天狗舞」を呑みながら、水もなめる。この水のことを「やわらぎ水」と云うんだと教えてくれた。                           

 

 

41)菫咲き、水草生ふ

 

 

 

3月の中之島リバーサイド句会の兼題は「水草生ふ、菫」だった。それぞれ難しいという思いのある兼題だ。水草生ふ、はつかみどころが難しいし、菫の方はつかみどころがあり過ぎて難しい。例句もたくさんあるから、どうしても類想的になってしまいがちだ。

 

多少なりとも新味を表現したいと願い、水草を求めて池や川辺を歩いてみたりもしたが池は普請のあとで水がほとんどなく、水草なんかじゃなくて泥と塵。渓流はまだまだ水が冷たそうで透明感にみちていた。山中の流れには水草はまだ早い。そんな様子だった。

 

■じゃあ菫のだけを5句投句しようと決めて、わが庭の菫を睨んだり嗅いだりいろいろ案じているうちに、なんとかなりそうな気もしてきた。やっぱりよく見て感じ取り、そして案じながら句を待つしかないよなあ、などと虚子先生の『俳句の作りよう』(角川ソフィア文庫、平成21年発行)の影響どおりに納得したのだった。そのうちに水草の方も1句だけだけれど間にあった。並選にいれていただいたその句は「水面には小さき雨の輪水草生ふ」というもので、春の小雨のぱらつく折に川辺を歩いたときの印象だ。

 

■菫の句は、推敲されて準特選に選んで「山祇に菫の花の溢れけり」というもの。おかげさまで山裾の斜面には菫の花が満開です、ありがとうございます。っていう気持ちを詠んだものだ。

 

 

   夕風の匂ひ菫の香にありぬ/弘子

 

 みよし野は歩くに如かず山すみれ/ 

                   弘子

 

 約束は小さき菫の花のごと/佳乃

 まだ水の色に紛れて水草生ふ/弘子

 

■水草生ふ、は出席者のあいだで、難しい季題だなあってささやき声がしきりだった。難しい季題に苦労することも大事な勉強のはずだから、やっぱり水辺に立って虚子先生の句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」のように、一つの根から幾つもの葉が出ているのか! というような発見をするまで観察しなければいけないんだ。

 

 春のゆたかな水がきらきら耀き、底に根をはった水草がたゆたうのも、もうすぐだ。

 

                                     〆

 

 

 

                                    

 

 

(40) 水温む

 

 

 

 桃の節句のつぎの日の朝、おだやかな日差しをあびる山道をゆっくりと歩いてきました。陰になり日なたになる道を10分ほども歩けば、あつくなるほどの陽気です。渓流を見れば、水面が逆光をうけてキラキラとしています。深みには残り鴨がいて、首をひょいと水底へつけます。すこしおそめの春が山全体をおおいはじめているようです。

 

  うらゝかや行く山径を疑はず  橙黄子

 

   麗らかにふるさと人と打ちまじり  虚子

 

 そんな気分でいっぱいになりました。カメラのレンズキャップをはずすのが面倒なくらいです。いつものようにいつもの人々とすれ違うのですが、おはようの挨拶も心なしかきらめいているようでした。この季節には土・日と祭日だけ開けている滝前の茶屋のおかみさんが、日だまりに座って文庫本を読んでいます。佐伯泰英さんの「居眠り磐音」をでも読んでいるんでしょうか。長閑です。  

 

  長閑さにおさへありくや膝の皿  

                     鳳朗

 

  仕事無くなつて了ひし長閑さよ  

                     信子

 

 

■滝壺の前にくると、20人くらい若い人々が楽しそうに自撮り棒を構えて記念写真をとっています。暑い国からやって来た観光客のようで、日に焼けた肌がとても健康的でした。春風にさそわれて海をわたって来てくれたんでしょう、朝早く。蝶のように。

 

  忙しさを此処に逃れて春風に  立子

 

  春風の日本に源氏物語  杞陽

 

 山深いあたりも、もう春めいてきていて植物の芽がゆたかになったのでしょう、ここらあたりまで下がってきていた鹿の群れも消えてしまったようです。山じゅうが春たけなわとなるのも、もうすぐです。 

 

                                    〆

 

 

(39)馬酔木の花の 濡れにけり

 

 

 

 雪催いの朝、兼題になっている猫柳の花穂を探しに渓流を歩いてきました。紅葉の名所として名高い箕面山ですからやっぱり柳は見あたらず、リュックからカメラは出さずに終わるかなと、がっかりしていました。それでも一の橋の手前にある料亭の前栽に、馬酔木の花の咲いているのを見つけました。雪がとけて花も葉もしっとりとぬれ、優しい輝きを放っています。白い小いさな、スズランのような花が集まって房状に垂れて咲いていました。

 

 

 

■馬酔木は日本特産の花、だから漢名は無いそうです。奈良公園にはこの木だけが生い茂る純林があり、よく保存されています。鹿が有毒であることをよく知っているから食べないのだそうです。昔から歌に詠まれ、万葉集にも十首はいっています。

 

  吾が背子に吾が恋ふらくは奥山の

 

馬酔木の花の今盛りなり 歌番号1903

 

 奥山の馬酔木の花がいま真っ盛りであるように、私はあなたに恋をしています。という意味合いの恋の歌だそうです。奈良公園の馬酔木のことだったのでしょうか? 

 

花馬酔木春日の巫女の袖ふれぬ     虚子

 

 この句もなんとなく恋の、あるいは憧れ歌といえそうです。春日ですから奈良なんでしょうね。

 

馬酔木咲く奈良に戻るや花巡り                                 碧梧桐

 

馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺                                 秋櫻子

 

馬酔木咲く金堂の扉に我が触れぬ                               秋櫻子

 

春日野や夕づけるみな花馬酔木                                草城

 

 こうみると、馬酔木の花は奈良や京都の花のようですが、本州から九州にかけての山地に咲く花です。庭に植えたり生垣にしたりもします。

 

 

 

秋櫻子の句の浄瑠璃寺は、奈良との県境にある京都府木津川市にあって、白洲正子が好きだったお寺だそうです。表通りから、小さな小さな山門まで丈の高い馬酔木が並んでいます。ほかに白木蓮、桜、桃などの樹齢の古い木があり、これらの花が盛りになると、夢の里にきたようです。

 

 

 

■箕面の山の馬酔木も、早春の輝きとみずみずしさがあってなかなかいいものでした。

 

山里の雨にうつむく馬酔木かな     たける                                                                                                       〆

 

 

38)寒、明けよ!

 

 

 

 寒明けが近い雨あがりの朝、久しぶりに地元の山を歩いてきました。渓流も滝も冷たそうではあったのですが、豊かでした。小鳥の鳴き声にも華やぎがあり、艶があるようにも聞こえてきます。寒椿の花ももうすっかり落ちていて、山を彩るものは、鹿に食べ残された青木の赤い実と、高い枝に生る山水木の赤い実くらいでしょうか。麓には万両千両が美しいけれど……。

 

 詩因を探しに歩いたのですが、なかなか心がときめきはしませんでした。「詩因」という言葉はあまり聞きなれませんが、水原秋櫻子や沢木欣一の書物にはよく出てきます。どうやら「馬酔木」独特の用語かもしれません。「詩因というのは詩をなすもと、俳句でいえば、これを詠んで見たいと思った題材のことです。この詩因の大切さというのは、絶体的(ママ)でありまして……」と秋櫻子さんが『俳句のつくり方』(実業之日本社/昭和3512月 初版発行)で述べています。けれど今朝の山はまだはっきりと「春近し」という感じはなかった。春隣ではありませんでした。椿の実が落ちてはぜ、種子をそこここにばらまいていたのは見てとれましたが、鹿が山肌の高みで樹の皮を食べているのが見えたけれど句にしたいという気にはなれませんでした。むずかしいものです。

 

ゆき過ぎし春の驟雨に人通り          立子

 

   寄る鹿の睫濡れゐて春隣            弘子

 

 こんなふうに、みごとに一句をよみたいものと願ってはいるのですが、これがなかなかなんですよね。生意気なんでしょうね。もっともっと歳時記を見、自然を見、人事を見ては感じる力を養わないといけないんでしょうね。

 

「詩というものは感動がなければ生まれない。感動がないのに、いくら言葉を寄せ集めても詩にはならない。…中略…俳句を作る場合、誰でもが心掛け、また苦しむのは詩因を見つけ出すことである。詩因すなわち感動である」こちらは欣一さんの言葉、『俳句の基本』(東京新聞出版局/平成7年4月 第1刷)で述べています。

 

                             〆

 

 

37)蠟梅はほころび、紅梅の花芽。

 

 

 

 新年明けましておめでとうございます。おだやかに年が明け、はや三日。嫁が君などすっかり姿を隠してしまっているようですが、今年も充実した句づくりに励みましょう。

 

 「俳句、そぞろ歩き」も3年目にはいり、ああこれはあの時紹介したなあ、などと書くことにつまずき始めてきました。けれどもまあ、皆様きっと忘れてくだすっているだろう、と高をくくってそぞろ歩こうと思っていますので、これからもくれぐれもよろしくお願いいたします。

 

 

 

■我が家の蠟梅がほころびはじめています。うすい黄色の花を枯葉の陰で遠慮がちにぽつり、ぽつりと開きはじめているのです。目白のつがいがやってきては、香りを楽しむかのように枝をわたります。そのついでに半分に切った蜜柑をついばんでいきます。生垣の枝をうまく選んで、後になり先になったりして笹竹に刺した蜜柑をついばみます。窓辺のそばの椅子にもたれながら目白のそぞろ歩きを眺めていると、うつらうつらとしてくるのです。

 

しらじらと障子を透す冬の日や室に人なく蠟梅の花    空穂

 

蠟梅をいけて無骨な床柱       杞陽

 

蠟梅の濃き影も香のあるごとし     弘子

 

蠟梅を月の匂ひと想ひけり       五行

 

  

 

蠟梅が香る古びた家並をぬって路地を歩けば、懐にはあたたかな冬の日差しがたゆたうような気がしてきます。小鳥の見え隠れする枝の揺れに驚いたりもして、散歩の時間がどうしても長くなりがちです。犬も黙ってついて来ます。

 

 

 

■我が家の蠟梅の横の紅梅は、まだまだかたい蕾。枝にいっぱい並んでいます。この蠟梅が咲きおわったころ、満開をむかえるはずです。

 

 

 

  寒梅の固き蕾の賑しき         としを

 

  冬梅の既に情を含みをり        虚子

 

 

 

 花が待ち遠しいのですが、しばらくは黄色い蠟梅を愉しんでおきましょう。

 

                                   〆 1.3

 

 

36)寒○○

 

 

 

 小林秀雄の対話集を読んでいたら、永井龍男との「芸について」のなかでこんな一節に出会った。(小林秀雄対話集 直感を磨くもの/新潮文庫

 

 

 

  永井 この間ある運座で「寒弾き」という季題が出ましてね。いい季題だなあと思っ

 

たんだけど、寒弾きというと、なにか三味線のほんとうのいい音が聞えそうな気がす

 

るし、そういう厳しい修業があったろうと思うしね。文章なんかでも、やはりそうい

 

う寒弾きを経てこなくちゃいけないようなところがあるんだろうと思って、心に残っ

 

たんですが。

 

「寒彈」とは、義太夫・長唄・清元・常磐津などの師匠の家で、寒の内に特に朝早くから三味線の稽古をすることなのだそうだ。三味線や文章だけでなく、俳句も同じだろうな。「厳しい修業」ってことをしないとそりゃあ「ほんとうのいい音」は聞こえて来るはずがないだろうな。師匠がよく云う「歳時記を三周する」も、ただ回数だけを云ってくれてはいないよなあ。だからまあ寒弾きをしながら三周しないとな、などと今更ながら気が付いた。

 

 ところで「寒」という字をいただいた季題は30ほどもあるが、人事にかかわるものはみんな「厳しさに耐え」て本当に身に付けるってことを謂っている。寒詣、寒垢離、寒稽古、寒復習、寒弾、寒声……。うーん、ポケットに手を入れて背中を丸めてばかりではいけない。

 

 

 

  寒彈の絲きれはねしひゞきかな       流水

 

  寒稽古病める師匠の厳しさよ        虚子

 

  寒声や目鼻そがるゝ向う風          月斗

 

 どうしたって空気の張りつめた感じがする。けれどこのような修業をせめて寒の内にだけでもしないとなあ。目鼻がそがれるまではしなくともよさそうだけれど。

 

 寒○○という季題は厳しいものが多いけれど、「寒施行」という優しいものもある。これは餌の乏しいこの季節に、狐や狸に小豆飯、豆腐のから、油揚などを田の畦や野道に捨てて施すことを云うんだそうだ。日本人って優しい。そういえば養老孟司さんが云っていたなあ、世界中のケンタッキー・フライドチキンのなかで、鶏供養するのは日本だけだって。そういうことだよなあ。おっと、寒○○からフライドチキンのことになってしまった。そぞろ歩きしすぎたようだ。

 

 

 

  ひたむきに鞍馬をさして寒詣         雨圃子

                                       

 

35)東山、時雨けり

 

 

 

 冬立つ前の日の寒い朝、京都南禅寺界隈を吟行した。阪急河原町からのバスを「神宮前」でおり、平安神宮大鳥居そばのコンビニでお結びを二つと栗のはいった三笠饅頭を買って、疏水に沿いながら六勝寺桜並木を南禅寺へと歩いた。京はもう冬なんだなあなどと感じながら動物園手前の信号を待っているころには、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。京都名物の時雨が降ってきたのだ。今日は一日中晴れるということだったから傘は持ってこなかったのだけれど、苦になるほどの降りではない。むしろ句になるなあ、と嬉しかった。

 

 

 

  京に寝よ一夜ばかりは時雨せん    虚子

 

 これは吉田虚桐庵をお持ちだったころの虚子の句だ。我庵は大文字山の落葉かなという句を残している。この時雨の句には「瓢亭を吉田の庵にとどめて」という言葉書があるとおり、京都はよく時雨するところだよ、という句にちがいない。ちなみに言葉書の「瓢亭」は虚子と同郷の俳人五百木瓢亭のことで、無鄰庵のむかいの日本料亭のことではない。

 

 「時雨」という季題、傍題が多いし例句もとても多い。短歌にも多く詠まれてきた。日本人がこよなく好きな言葉、情緒のようだ。けれどこの言葉なかなか本意の把握が難しい。もっとも分かりやすかった解説は『雨のことば辞典』(講談社学術文庫、倉嶋厚・原田稔編)かもしれない。

 

……冬型気圧配置の日に、テレビの気象衛星の雲画像で、日本海や黄海・東シナ海に白い「雲の筋」がたくさん映っているが、それは、これらの雲が風に流されて無数の行列になったものである。……その「雲の行列」の一つ一つの雲が通過するたびに、1~2時間の周期で降ったりやんだりを繰り返す。これが時雨である。……先刻の雨がうそのように青空から日が射して、庭の菊の花や柿の実が明るく輝く。そんなことの繰り返しが時雨…

 

 だそうである。語源は「しばしば暮れる」「過ぐる」だ、などとも書いてある。

 

豊岡の空しぐるるや幾たびも       弘子

 

ふる里の時雨華やぐ一日かな      同

 

 時雨のあとに出る虹を時雨虹というが、瞬時に消えてしまう虹である。

 

   その色を湖に頒ちし時雨虹       弘子

 

 ほんの一刻、湖の水面に七色の影が映ったのであろう、儚い美しさである。

 

 

 

 南禅寺三門をぬけて法堂への玉砂利の道で、老いた園丁が一人時雨のなか黙々と落葉を拾っていた。時雨で一句いただくことができた。〈園丁の黙の深さや初時雨〉

 

                                     〆

 

  

 

 

34)晩秋に、よせて

 

 

 

 『珠玉』という開高健の遺作を読んでいてこんな言葉に出会った。

 

 

 

  小説家は経験から作品のネタをひろうのだという意識を持ってはいけないが捨ててもいけないと知っている。作品はだまっていると寄ってくるが呼べば逃げるものである。経験という果実はつぶして、砕いて、形を失わせてから酒にしなければならないが……

 

 

 

 三つの物語からなる『珠玉』の、第二話「玩物喪志」のなかの一節である。この一節の「作品はだまっていると……」を「句はだまっていると……」と置き換えて読んでしまう今の自分だが、まさにそのとおりだなと感じた。

 

兼題「空也忌、朴落葉」で難渋していて、空也忌は諦めてせめて朴落葉でだけでも五句出そうと決め、箕面の山に朴の木を探しにいってみた。けれどもこれがなかなかで、けっきょく成果は得られなかったのだ。いつだったか大山崎山荘の吟行のおり、山荘への坂道の途中に朴の落葉があり、どなたかが出句されていたなあ! 飛騨高山に祭りをみに行った四十年ほど前に、たしか朴葉味噌で地酒をいただいたなあ! などとは思い出したりもしたのだが、句にはならない。数少ない朴の葉の経験なのに、まだまだ「寝かせ」ておかねばならない。句会の前々日のことだ。一所懸命に句を「呼んだ」けれど空回りするばかりだった。ところがである、あきらめて寝てしまった朝方に朴三句、空也二句が「寄ってきた」のだ。とりあえず枕元のランプを点けてメモしておいた。寝床での句はどうしようもない句がほとんどだ、と云われているけれど、翌日の白昼に推敲すれば良いと、また眠りに落ちた。翌日つまり句会の前日に、それぞれ推敲して「ええいっ、ままよ! 」などという気持ちはすべて払拭できた五句が仕上がった。(もちろん先人方がみると、凡だな。となるかもしれませんが

 

句会での結果は、空也忌の二句を主宰が並選で、朴落葉の三句は互選で5人が採ってくださった。「だまっていると寄って」きたと云えるかも知れない。だまって寝ていると寄ってきた、と云えるのかも知れない。

 

開高健の単行本『珠玉』は、この句会のかえりみち梅田かっぱ横丁のワゴンセールで見つけたものだ。19902月第一刷と、奥付にある。開高ファンだった僕は、この作品の載った「文学界」新年特別号をあわてて買いに走ったことを思い出した。開高が前年の12月に亡くなって、直後の掲載雑誌だったからだ。すぐに単行本も出た。それも買っていた。けれど単行本のほうは、その後、高校時代からの親友で外地にすむH君にプレゼントした。開高健のことを教えてくれたのが彼だった。そのHは10年前、開高健と同じ59歳で逝った。

 

空也忌の父母の位牌の黒と赤             

 

 〆

 

33)嬉しくて懐かしき、秋祭。

 

 部落に秋祭の季節がやってきた。豊穣を感謝する祭だ。 

路地ごとの電柱では、宮の名を染め抜いた幟が赤くゆれている。氏子の名前も幟とともにゆれている。近隣の子らが何か月も前から練習を重ねてきた太鼓の音も、ちゃんと祭囃になっている。楠の大きな樹がすみきった青空のなかで、静かに微笑んでいるようだ。焼き鳥の煙、ソバを焼く煙をこの樹が空高く舞いあげる。音と匂いにさそわれて、老いも若きも善男善女が石の鳥居をくぐってはいってゆく。八幡様は大賑わいだ! 

     

    老人と子供と多し秋祭         虚子

      年よりが四五人酔へり秋祭      普羅

      秋祭昔めく色並べ売る         弘子

      挨拶にしわぶき一つ在祭        喜代子 

 

  古くから住む人々の多いこのあたりもやっぱり独居の老人、夫婦連れの老人が多い。静かなんだが、それはまた活気にもとるとも云える。どの路地を歩いても金木犀の香があふれているこのあたり、焼き鳥の匂いいが勝つなんてことは年に一度、秋祭の二日間だけだ。孫をつれて祭を味わいに帰ってきた娘は、鳥居の下で幼馴染と立ち話。三歳のわが孫は、スーパーボールをすくって大喜びだ。金魚すくいの女の子らもいる。祭になると子供がふえる。人があふれて賑わいがもどる。 

 

  つたへ古る獅子舞唄や秋祭       秋櫻子

    賑ひも一筋町や秋祭           莫生

  外股におかめが舞ふよ在祭       清子

  バス停の位置をずらして秋祭       和子

 

 われらが八幡様の秋祭には子供神輿が町内を練る。揃いの法被を身に着けた小学生たちが、御祝儀の白い袋をいっぱい結わえた御神輿をかついで通りをゆき、氏子の家々に幸せを振りまいてゆく。そういえば三十年ほども前、三人のわが子らも法被鉢巻をして旧西国街道を練りあるいたものだ。

 

 かくいう自分も小学生のころには、阪急岡町駅のそばの原田神社の秋祭に山車をひいたものだ。あちこち引き歩いては袋いっぱいのお菓子をもらった。嬉しかったなあ。道端でおおぜいの大人たちが歓声をあげて応援してくれるのが、なんだか主人公になったみたいで、嬉しかった。

 

  神官の立つて字を書く在祭         弘美

 

 協賛者の名前が墨痕あざやかに鳥居のわきに張り出されるのも、力強く賑々しくて豊かな秋の感じがする。秋がたけなわだ。                   

 

                                     〆

 

(32) 秋の花

 青空がもどりそよ風が吹く気持ちのいい朝、秋をさがしに山を歩くことにした。
一の橋をわたって木下道を一人ゆけば、知らずしらずに両手をポケットにいれている。シャツの第一ボタンを止めている。なんていい感じの「寒さ」だろうか、と思った。水嵩をました渓流も活気に満ちて、瀬音が高い。さまざまな小鳥の鳴く声も聞えてくる。いつの間にか山はすっかり秋のよそおいだ。
けれど紅葉はまだまだ。ほんのりと赤くなっている枝もあるけれど、ここ箕面山の紅葉は1か月半ばかり先、11月の下旬過ぎからだ。紅葉より秋草、足もとのあたりに目を向けて草の花を探すことにしよう。野路菊が咲いている。水引草の花が目立たつことなく咲いている。高野箒も開きはじめている。秋の草花は小ぶりで色がほのか、控えめな感じがするのは僕だけだろうか?

簪の耳掻ほどの草の花           虚子
淋しきがゆゑにまた色草といふ       風生
秋草もふるさと人も情あり          弘子
 そういえば水引草の赤い花の色も白いのも、ただの赤ただの白ではない。深みとでもいうか悲しみとでもいうか、色に影がある。金木犀のあのオレンジ色もそうだ、絵の具では表現できなさそうな微妙な色をしている。なによりみんな小さい花だ。なんともいえず情ありという感じがある。

 

山にある秋は目にはいるものだけではない。耳にとどく秋もあり、香りの秋もある。堰を落ちる渓の流れの音が遠くなったり近くなったりする道には、鳥の鳴き声がちちちっと聞こえたり、ぎゃーっと聞こえてきたり賑やかだ。

 

ほのかな木犀の香に包まれたかと思った矢先、落ちて潰れた銀杏の臭いがあふれていたりする。香りも絢爛だ。

 

 

 

 野路の秋我が後ろより人や来る      蕪村

 

「野路に落つ銀杏の実の潰れかな」などと句帳に控えて山を下りれば、麓の駅のターミナルに車をとめて翁と媼が二人、小さな鉢植えがいっぱいの台車を歩道にあげようとしている。怪しまれるといやだから「お手伝いしましょうか? 」などとは言わなかったが、大変そうだった。けれども何やらうれしそうな感じもある。そういえば家の暦に「野草」と鉛筆の書き込みがあって、明日明後日と線引きがしてあった。ああそうか、我が家の老婦人が楽しみにしている山野草展なんだ。出品のための搬入だな、と気がついた。台車には小さな秋が整然とならべられていた。            

 

 〆

 

 

31) ジンジャーの……。

 

 

 

 中学のバレーボール部の恩師を囲んで、敬老の日の小宴があった夜に少々いい気分で家に戻れば、ジンジャーの白い花が活けられていた。鼻の穴が最大限に開いた気がしてしまうほど、いわゆる芳香が満ちていた。思わずその鼻の穴を白い大きな花びらに寄せると、ほろ酔いはいっぺんに覚めた。なんてまあいい匂いなんだろうか ! などと口ずさめば、ほんとやねえ、南国の香りやねえ! などと後ろの老婦人が応える。

 

 原産地はインド、マレーあたりのこの多年生の植物は、わが家の狭庭の北側のはしっこ、隣家との境のすぐそばで茂っている。雨をたっぷりと吸って生き生きとその大きな葉を揺らめかせている。ジンジャーエールにジンを垂らせた飲み物のほうが僕にはお似合いなのだが、この匂いは別格だ。植わっているものの花の香はなかなか届いてこないものだから、くだんの老婦人は毎シーズンこれを伐って透明ガラスの花活に挿す。

 

秋もそろそろ酣ということだろうか。

 

ジンジャの香夢覚めて妻在らざりき       石田波郷

 

 この句とっても淋しさがあるなあ。けれど豪華な寂しさだ。ふと目覚めたらジンジャーの花があり、香りが満ちているんだから。

 

 

ジンジャーの花を季題として表題に挙げているのは『角川 俳句大歳時記』だけだけれど、とても素敵な隠れた季題だと思う。ほとんど例句が見当たらないのでこれを読んでくださった皆さん、どうぞ名句をたくさんお詠みください。いつかいろいろの歳時記に採り上げられるかも知れませんよ。

 

ジンジャーの花を活けたり老婦人       

 

 人生の秋にさしかかっている落着きを感じませんか、この句。

 

 

 

 さて、バレーボール部の監督をしていた恩師は81歳になっておられて、「僕は80歳から水彩画をはじめたんだ。君一緒に個展をやろうよ」と強烈なアタックを打ってきた。けれど僕は9人制バレーボールの名レシーバーだったものだから、かるく両手で受けて相手コートに還した。「先生、個展というのは一人でするものですよ。それに僕は展示するものがないですよ」「俳句を書くんだよ、君」などという他愛もないやり取りが進んで、懐かしの部友たちと台風前の一夕、いい時間を過ごしたのでした。

 

 

 

                                     〆

 

 

(30杞陽の「虚子自選句集」

 

 

 

 高浜虚子の俳句を読み学ぶ気持ちになった。

 

 

 

『私は、いささかの留保もなしに、虚子が<怪物>であることを進んで肯定せず

 

にはいられなかったし、世の<前衛>俳人たちが虚心坦懐に虚子に学ぼうとし

 

たなら、得る所きわめて多かっただろうに、と思わずにはいられなかった』

 

 

 

 と大岡信の書いている(岩波文庫『虚子五句集 下』の解説)のが身体のどこかに残っていたのだろうか。そういうときに『虚子自選句集』という古い新潮文庫を入手したことが、大きいはずみとなって、しっかりと読む気になった。

 

昭和33年発行の1冊で、この句集は虚子自選の岩波版『虚子句集』の5千余句の中から、京極杞陽がさらに千七百余句抜き出したものだそうだ。杞陽の感性、美意識が選んだ虚子作品集ということなのだ。

 

杞陽は巻末に寄せた「虚子先生の句」という文章のなかで、こんなことを言っている。

 

   私は不図こんなことを考へた。虚子先生の句のあとに、「これは諸国一見の僧にて

 

候」と呟いてみるのである。

 

「咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 、 これは諸国一見の僧にて候」

 

「桐一葉日當りながら落ちにけり 、 これは諸国一見の僧にて候」

 

「田植女の赤きたすきに一寸惚れた  、 これは諸国一見の僧にて候」

 

他の人の句では中々かううまくは行かないのである。ここに何かが在ると思ふのである。

 

先生のどこか執著のない人柄に依ると思はれるのである。

 

……唯々諸国一見の僧である。

 

 

 

この文章は、もともと杞陽が昭和21年から昭和56年まで主宰していた俳誌「木兎」に寄せたものだが、『虚子自選句集』をまとめるに際して再録したものである。

 

 

 

 さて「諸国一見の僧にて候」の句とはこういう句ですよと、杞陽があげたそのほかの句を見てみよう。

 

 

 

  やり羽子や油のやうな京言葉 / 椀ほどの竹生島見え秋日和 / 君と我うそに

 

  ほればや秋の暮 / 我宿は巴里外れの春の月 / 食ひかけの林檎をハンドバッ

 

  グに入れ     

 

かういう旅僧といふものの心を理想化すると虚子先生のホ句の心が割り出せてく

 

るような気がするのである。

 

 

 

 と杞陽は文章を結んでいる。

 

 

 

 この秋からはこの僕も、旅の僧とまではゆかないまでも、旅人のようにいつも好奇心を旺盛にして花鳥を眺め人事を眺めては、句をつくっていこうと思う。

 

 

 

                                     〆