ドイツ・ミュンヘン便り

 円虹でもおなじみのドイツ・ミュンヘンの様子を、現地の方々が少しづつ送ってくれています。ここで順次紹介していきます。

ミュンヘンの茶室

 7月に英国庭園で3年ぶりのミュンヘン日本祭が開かれ、好天の元大変な人出で俳句コンテストも盛況だった。写真は早朝の準備の際通りかかった茶室。裏千家14世淡々斎は茶道の海外普及に努め、その長男鵬雲斎(玄室)が1972年、札幌・ミュンヘン姉妹都市提携を記念してバイエルン州に茶室「閑松庵」を寄贈したもので、英国庭園内の池の島にひっそりと立っている。茶道同好会が協会に発展、茶道普及に努めている。

9€・ティケットで鉄道の旅

 ドイツ鉄道は遅れや故障で評判が悪いが、燃料節約、環境保護のため車から乗り換えてもらおうと、6月から8月まで1か月9ユーロの切符を売り出した。町の交通網と普通列車のみだが、乗り継げば国を縦断でき、国外のザルツブルクまで行ける。夫と私もドナウ、イン、イルツ川が合流してバイエルンのヴェネチアと呼ばれるパッサウに行ったが、各停で2時間半、疲れた。

 

 

コロナ禍の後の日本春祭

  アウグスブルクでもコロナ禍のため丸二年大小の行事がストップした。今年「母の日」に日本春祭が復活した際、その開放感は尋常ではなく、会場の植物園の入場券窓口から行列が何百メートルも続いた。ミュンヘンからの俳人は駐車場探しに一時間、券購入に一時間かかり、私たちの俳句朗誦を逃した。写真は俳句コンテストを催したテント。ミュンヘン句会は7月の日本祭の準備で忙しい

 

 

春の野鳥

 我が家は3階建ての小型集合住宅の最上階で周りがテラスになっている。先月登場のリスは建物横の木を登って来て駆け回るが、あとは主に野鳥で、四十雀、五十雀、尾長、黒歌鳥、花鶏や菊戴、ロビンなど、大型は森鳩、白子鳩や鴉。写真は子育て中の啄木鳥で必死だ。この日夜から雪が降り、青木亮人先生のZoom俳句セミナ―があった43日まで3日降り続いた。

自然界の活動開始

 

 同志社大学の総長を務めた海老名弾正の娘にピアノを一時習ったが、彼女は昭和6年にベルリンに留学し、そこでは5月に一斉に花が咲くと言った。今は気候変異で春も早まり、ミュンヘンの我が家でも3月になると餌付けの野鳥や動物が繁殖期を迎える。以前子リス4匹が樹の幹を猛烈な勢いで螺旋状に上り下りしていたが、色が焦げ茶、赤、狐色、ミルクティー色と様々で驚いた。

ボーデン湖の早春の光

2月に暗く寒いミュンヘンを抜け出して ボーデン湖で息抜きをした。昔氷河に覆われていたボーデン湖はドイツ、オーストリアとスイスに囲まれ、中部ヨーロッパでは3番目に大きい。リンダウ島の聖ペーター教会(紀元千年築)にはハンス・ホルバイン()の唯一現存の壁画がある。独日協会にいたボーデン湖出身の女性によればこの湖は百年に一度凍ってその上を通れるそうで、最近では1963年だったという。

雪だるま

 今冬は冷え込みが弱く、本格的な冬を待っている内に峠を越えてしまった。南のスペインや日本で大雪の便りを聞いて不思議に思う。聖夜前後に寒気が緩んたがその後ミュンヘンでも少し雪が降り、その雪をかき集めて池の端に膝の高さほどの男女の雪だるまがあった。頭に枯草の髪の毛を生やし、細い枯れ茎のようなものが腕になっている。この冬は池の上でのスケートは無理のようだ。

プレッツヒェン (クリスマス・ビスケット)

 待降節に今年もアウグスブルク俳人から美味しい手作りプレッツヒェン入りの缶 (写真) が届いた。横の小ツリーはミュンヘン俳人の手作り蝋燭。ところで私の母校では弥撒はお隣の上智大学のイグナチオ教会で与ったが、高校3年の希望者は聖夜に学校に泊り、庭のお御堂での深夜弥撒で聖歌隊となった。

ラーツケラー(新市庁舎地下レストラン)

日本で活躍したユダヤ系ピアニスト、レオ・シロタの映画(2008)を独日協会で鑑賞後ラーツケラーでワインを(右は天井画)。彼の長女ベアテは日本国憲法の男女平等の草稿を作成。映画「ベアテの贈り物」の映写会を神戸女学院大学でされた「円虹」の平井雅子教授は平成18年大学に句会を作られた*が、翌年惜しくも急逝された。

墓地のモザイク庭園にて

 若くして亡くなった俳人の簡素な骨壺埋葬式があった。秋晴れのもと、広大な墓地の一角の石柱が林立する芝園で、骨壺が渦潮模様の刻まれた共同の石柱の元に埋められた。式典も音楽も無く、ただ夫からの亡き妻への手紙と彼女の経歴や俳句への熱い思いのみが読み上げられ、その後皆いつまでもそこに立ち尽くした。

9月の小さな旅

 ヴァッサーブルク(水の城)という名の通り蛇行するイン川にすっぽり嵌ったラッキョウ型の町に寄った。華麗な建物が零れ落ちそうに詰まっている。1085年に史実に現れ塩の取引で栄え、中世には商業取引で富を築いた。モーツァルトが旅の途中泊った宿屋(当時)は外壁に記述がある。

読書の秋

 コロナ禍の家居でふと『「円心集」を読む』(平成23年)を手に取る。当時「円虹」編集長で今当欄の句評担当の吉村玲子氏が招待作家の作品と「円虹」雑詠巻頭句を評した書で、渾身の評論が新鮮かつ情報豊富。弘子先生の評も引用され、当時の「円虹」や俳壇の様子がよくわかる。

林檎の花

ドイツでは林檎の花が咲くと春が来るという。放送局の呼びかけで毎年各地の咲き始めが観測され、林檎花前線は日に40キロ進むとか。今年のドイツは春の冷え込みのため5月が盛りだ。遅霜の場合果樹園では水をかけて花を氷で守ったり煙を夜通し焚く。個人の庭の林檎はケーキやジャムを作った残りを地下室で長期保存する。

アウグスブルクの石庭

 ヤンマーディーゼルの山岡孫一がそのモーターの発明者ディーゼルを讃えて1957年アウグスブルクのヴィッテルスバッハ公園内に石庭を築造した。ドイツ最古の日本庭園の一つ。大きな石を日本から運び、周りに垣を巡らした。白砂の代わりの芝の緑が新鮮で、市民の憩いの場となっている。

2011年3月…

 福島の地震、津波、原発事故の直後ベニスへ行く予定があり、日本の家族の安全を確認して旅立ったが、東日本の被害の大きさに胸が痛んだ。ベニスのホテルでは支配人が気遣ってくれ、部屋もグレードアップしてくれるなど、心遣いが身に沁み、今もその表情が思い浮かぶ。テレビでは募金を募るQRコードが頻繁に出て、イタリア人の細やかさを見る思いだった。雨がちのホテルの庭の片隅に馬酔木がひっそりと咲いていた。

2月の警察馬パトロール

ヨーロッパの式典などで軍隊や警察の騎馬は欠かせない。ドイツでも同様だが、写真はミュンヘンの市庁舎広場での一コマで、のんびりとパトロール中のようだ。コロナ禍の二年ほど前なので、広場はガイドツアーのグループで溢れていた。ありふれた景色が今では別世界のように思える。今予防注射が始まったが、コロナ変種株のためにまた危機感が高まっている。

 

 

ミュンヘンの初鴉

 ドイツ語俳句に嘴細鴉、深山鴉、渡鴉などよく登場するので、兼題を「初鴉」とした。巣から落ちたのを拾って育てられた鴉の物語でも、ネット投稿の、学校に現れて「腹減った」としゃべる鴉も、写真の我が家付近のアイドルも皆ヤコブ。どれも愛されているようだが名の由来はわからない。高野素十の「とん~と歩く子鴉名はヤコブ」はドイツ留学中の作だろうか。

アドヴェントリース

 ドイツでは待降節に樅の枝を編んだ輪を平らに置き、その上に4本の蠟燭を立て、4回ある日曜ごとに灯す蝋燭を増やしていく。写真はアウグスブルクの句友が作ってくれた変形で、俳句を書き折り畳んで窓を開けた紙を輪にしてあり、中にティーライトを灯す。去年早春に急死した彼女の大切な形見。

新市庁舎とベスト終焉の喜びの踊り

 ミュンヘン新市庁舎の塔の仕掛け時計は上段はバイエルン大公ヴィルヘルム5世の結婚式を等身大の人形で再現。下段(写真)は1517年ペスト終焉の際の樽職人の踊り(事実か疑わしい)で、日に2回又は3回人形が回る。実際の踊りは以来7年ごとに催され、私も友人のお陰で間近に見学できた。

ミュンヘンのオペラハウス

 1818年完成のオペラハウスは火災や戦災の後1963年に今の形となった。内外ともギリシャ様式で、コリント列柱の上の破風とその後方の金色のガラスモザイク破風にはギリシャの神々が描かれる。モーツァルトのイドメネオやワーグナーのラインの黄金などが初演された。私の同僚がここの合唱団にいたので親しみがあるが、現在コロナ禍でまた閉鎖中だ。

秋日の中、市内のサーフィン

 ミュンヘンは海は無いがサーフィンを楽しめる。元祖は英国庭園内のアイスバッハという小川で、手ごろな波があることをサーファーたちが発見して始め、今や国外にまで名を轟かせている。写真は我が家近くの用水路。これも理想的な波が立つことがサーファーに知れ渡り、同好会ができて若者が列を作り順番を待つ。 

夏休暇とコロナ禍

 夏休みでコロナ感染者がまた増えて家居が続くので、気晴らしに南にドライブした。アルプスのジルヴェンシュタイン人口湖はイーザル川の氾濫や枯渇を防ぐ貯水池で、電力発電所もある。しかし放水は見えず、山女だった母と訪ねた黒部ダムの迫力とは比べようもない。

ミュンヘン最小のサーカス

 コロナ規制の緩和で6月末に近所の草地に小さなサーカス・テントがまた立ち、週末に家族連れが詰めかけている。サーカスに魅せられた若いカップルが、子らにその魅力を伝えたいと2009年に創設したもの。ミュンヘン最大のサーカス・クローネもコロナ禍で打撃だが、この小さなサーカスが生き延びているのは嬉しい。毎年一月にはモナコの国際サーカス祭がテレビ中継される。

薔薇のパビリオン

 アウグスブルク植物園内の薔薇庭園。5月の日本春祭の際は写真のパビリオンで催し物が開かれ、句会も句を披露するが、今年は疫禍で全て中止になった。今月6月にはミュンヘンとアウグスブルク両句会が久しぶりに合同でメール句会をした。

 

5月の祭

 シューマンの歌曲「詩人の恋」(ハイネ詩)が「美しい5月に」で始まる通り、ドイツの5月は麗しい。祭りの行事も多い。今年は新型コロナ禍で散々だが、2年前の5月末に地方で聖体節に出合った。建物を若木で飾り、広場に祭壇を設け、摘花で地面に色と香の絨毯を織り成す(写真)。祝祭行列が楽隊入りで今まさに出発するところだ

白鳥の親子

 

春になるとどこの池でも水鳥が巣を作る。主に大番、鴨、雁などで、写真の白鳥のエルザ夫婦も毎年雛を育てる。後方守備の夫は首を掻いていて遅れた。鳥の雛はよく鴉や狐に襲われるが、後日見た張り紙によれば、撮影の数日後にエルザが犬に噛まれて重傷を負い、入院中という。子供たちと父鳥が途方に暮れているのではと心配だ。ドイツでは多くの水鳥は常住で季題にはならない。

 

柳の芽吹き

 今回はザルツブルクから書く予定が新型コロナ危機で外出規制、旅行不可能となった。一人か家族での運動や散歩は許されるので戸外に出ると、寒気の中柳が芽吹いていた。平凡な景の緑が心に沁みる。こちらでは枝垂れない柳も多く、季節になると柳絮が大気に充満する。

ブーフハイム美術館

 

正月にシュタルンベルク湖畔の美術館(写真)に寄った。創設者ブーフハイムは映画「U・ボート」の原作者として有名だが美術品収集家としても名を成した。「青騎士」の作品など充実している。木板画の久保舎己が2018年に展示会を開いた。今回はパウラ・モーダーゾーン‐ベッカーの特別展示が印象的だった。

 

クリッペ(キリスト降誕場面)

 

13世紀前半の中部イタリアに起源を遡るクリッペ(キリスト降誕場面の模型)はクリスマス市、教会や各戸で待降節に飾られる。普通精密な木彫りミニチュアの人物や動物が箱庭的に家畜小屋でのキリスト降誕を再現。以前イタリア・ヴェローナでは広場で子供の作品を見た(写真)。聖家族や羊などの生き生きとした表情が楽しい。

 

ドイツの良夜

 

少し前後するが、914日にバイエルン独日協会が初めての「月見会」を開いた。

 

素晴らしい秋晴れで会場は人で埋まった。ミュンヘン句会はワークショップを夕方開き、夜8時からは尺八グループと日本昔話を語るホフマンさんと組んで秋の月の句を朗読した。正式な俳句朗読は初めてで緊張したが、皆とても良い出来で驚いた。南ドイツ新聞に詳しい記事が載り、我々の俳句が一句引用されていた。

 

北スペインの葡萄畑

スペイン語クラスの皆と9月中旬主に北スペイン・バスク地方を一週間旅した。温暖な土地で無花果、胡桃やウチワサボテンの実が実り、藤、泰山木、ユッカ、アスターやダリアが咲き乱れ、季節がよく分からない。写真はあるワイナリーに属するホテルで、ビルバオのグッゲンハイム美術館で有名なフランク・ゲーリーの設計。ホテル横の醸造所を見学後リオハ・ワインを試飲した。

遊船

 

15年振りにドナウ川で船遊びをした。川幅が最も狭いところは80mしかない。昔は岸を行く馬に船を曳かせて川を遡り塩を運んだという。西暦620年頃建てられたベネディクト会修道院ヴェルテンブルクに世界最古のビール醸造所(1050年)があり、名物の滋味深い黒ビールを楽しんだ。

 

ミュンヘン市の誕生日

ミュンヘンが初めて公文書に登場する1158614日を市の誕生日とし、今年も市庁舎広場と周辺をビヤガーデンで埋めて盛大に祝った(写真)。フライジング司教が塩交易の関としていたイーザール川の橋を宿敵ハインリヒ3世がかの年に破壊、上流のミュンヘンに橋を掛けて塩交易税、貨幣鋳造、市場権をも得たため市は急速に発展する。近隣国との攻防の歴史が続く。

マイバウム(メイ・ポール)

 ドイツの町や村では51日にマイバウムという柱を数年置きに立て替えるが、立てる前に隣村の者らが闇に紛れてその木を盗む習慣がある。

 写真左のミュンヘンのもの(高さ35m)は2017年に立て替る際40年振りに盗まれてしまい、「泥棒共」にビールを振るまうなどして返して貰った。

 

写真右は今年51日に泊まっていた小村での質素なマイバウム。

 

牡丹雪と鉄橋

イザール川と運河に掛かる列車と歩行者のための鉄橋で19世紀半ばに完成、長さ260m1945年連合軍のミュンヘン侵攻を防ぐため鉄橋を爆破したが、一市民が爆薬の半分を密かに取り除いていたため橋は残った。高さが31mあり計300人近くの飛び込み自殺を記録し、1985年に橋を新設した際金網を張り巡らしたが、自殺者はなお絶えない。

イザール門

 

 バイエルン公ルートヴィヒ4(神聖ローマ皇帝)1322年のアンフィングの勝利の後ミュンヘンの街を広げた際の城壁の東門で、当時の姿がほぼ残る。中央の帯状壁画はその勝利凱旋図。主塔に見える時計(東面)は普通だが、西面のは針が左回りに進み文字盤も逆。「バイエルンでは時計が逆回りする」という言説を受けている。両脇の塔には大衆演劇役者ファレンティンの博物館がある。

アドヴェントコンサート

 

今年は少し遅く122日にアドヴェントが始まり、街はクリスマス気分に満ち溢れた。今回も友人が30年来活動しているセミプロの教会合唱団の演奏を聴きに行った。演目はモンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」(1610年)で、演奏に1時間半を要する大曲。出だしのコルネットの明るい上昇音階が印象的だ。モンテヴェルディはその3年前に有名なオペラ「オルフェオ」を作曲している。写真は指揮者と7人のソリストが登場する前の緊張した瞬間。

 

『円虹』日独俳句交流

「円虹」日独俳句交流  待ち望んでいた日独俳句会が佳乃主宰、 𠮷村前編集長と会員の方を待降節直前のミ ュンヘンにお迎えして実現した。この集い はドイツの俳人にとってまたとない勉強の 機会で皆とても感激していた。「『円虹』 回顧」で井上泰至氏が「ミュンヘン句会」 を取り上げてくださったのが励みになる。 左の写真は大会の二日後、ホテルでの記念 写真。夫(左端)も全面的に協力してくれ た。 

青葉のロマンティック街道


 ロマンティック街道の中世の街並みが青空に映えて印象的だ。写真のディンケルスビュールの「ドイツの家」はフランケン地方で最も美しい木組みの家といわれている。この町は30年戦争の時スェーデン軍に占領され破壊されそうになったが、町の子供たちが軍の隊長に懇願して救われたのを記念して毎年7月に「キンダーツェヒェ」の祭りを祝う。

 

雪のノイシュヴァンシュタイン城

先月バイエルン国王ルートヴィヒ二世に触れたのでそのお城の一つを紹介する。ディズニーの城のモデルになったノイシュヴァンシュタイン城で、佳乃先生も20139月の来独時に見学されたようだ。写真は二月の強風の中、雪を被った崖に張り付く様に見える城をフュッセン近郊より望遠で捉えたもの。メルヘン王の中世騎士道への憧れから設計され、崇拝するワーグナーに捧げられたが、1886年の王の死の際城はまだ完成していなかった。

 

ミュンヘン留学生の森鴎外

 

森鴎外は軍医として1884年ドイツに留学、帰国後翻訳者、小説家として活躍しました。彼の小説『うたかたの記』(1890)では画学生の巨勢が恋する花売り娘マリイにミュンヘンで再会、二人で郊外のシュタルンベルク湖で舟遊び中、マリイの亡き母に恋したルートヴィヒ二世がその面影をマリイに求めて湖に入り溺死…  国王の死の真相は未だに謎です。

 

ミュンヘンのクリスマス市

 

ミュンヘンのクリスマス市

 

 本誌12月号の「円虹」回顧で青木亮人氏が言及されている賑やかなクリスマス市をお届けする予定が、12月19日のベルリンでのクリスマス市テロ事件で様相は一変しました。ミュンヘンの市庁舎前のクリスマス市に立つツリー(写真右)の足元には犠牲者を悼んで人々が蝋燭を置いています。ドイツの市民はテロに屈服すまいと、各地でコンサートやデモを行っています。

ミュンヘンのお墓参り

旅の写真

有名なノイシュバンシュタイン城があります。 日本と雰囲気、空気、そして木々の色が違うことが判ります。きれいな国です。 現地の句会の様子も写っています。こちらと変わりませんね。

先生は日本から着物を持参されたのですね。日本の伝統的な民族衣装の印象はいかがだったのでしょうか?現地の方々への良いお土産になったのではないでしょうか?